2010年9月 のアーカイブ

七五三準備

2010年9月30日 木曜日

お伊勢さんに研修で出ている間、神楽殿の電気工事が終わっていました。今日は大工さんが床板の工事を進めました。

床板敷設

床板の敷設

塗装をした後、この上にフローリングを敷きます。

明日からは10月です。ここ数年、七五三のお参りも分散化しているので、写真撮影所の準備も急ぐところです。

比々多神社では、七五三のご祈願を随時承っています。

753●七五三について(当社HPより)●

7・5・3の陽数を男女児の年齢に当てはめたもので、3歳男女児の「髪置」(かみおき=それまで剃っていた髪を伸ばしはじめる)、5歳男児の「袴着」(はかまぎ=袴を着け始める)、7歳児の「帯解」(おびとき=付け紐の着物から帯でしめる着物にかえる)という儀式に由来します。

七五三参りは、これまでの成長に感謝し、さらなる無事成長を祈るもので、11月15日にお祝いをします。11月15日に祝うことになったのは、この日が二十八宿(にじゅうはっしゅく)の鬼宿日(きしゅくにち)にあたり、何事の祝い事にも最良の日であることによります。

7歳までは節目となる多くの儀式が行われますが、昔から「七つまでは神の子」といって、神さまと人との変わり目に位置するからです。

 

七五三に欠かせない「千歳飴」の袋には、鶴・亀・松・竹・梅などが描かれていて、幾久しく健やかな成長の願いが込められています。

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*社頭では、お祝いの千歳飴(神奈川県内製菓所謹製)を準備しています。

お伊勢参り

2010年9月30日 木曜日

25日から29日のお伊勢さまでの研修が無事終わりました。

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解散後にあらためてゆっくりとお参りをいたしました。

神宮(内宮)への入り口となる宇治橋

神宮(内宮)への入り口となる宇治橋

20年に1度執り行われる最大のお祭り「式年遷宮」にあたり、宇治橋も架け替えられられました。その1つとして、昨年11月3日渡始式(わたりはじめしき)が行われました。年間750万人もの人と神さまをつなぐ橋。次の作り替え(平成41年)までの間に、1億人以上の人が渡る計算です。

元和5年(1619)作の擬宝珠(ぎぼし)

元和5年(1619)作の擬宝珠(ぎぼし)

高欄(こうらん=欄干)には松坂の鋳物師(いものし)による青銅製の擬宝珠(ぎぼし)が飾れれていますが、外側向かって左から2番目の擬宝珠の中には、万度麻(まんどぬさ=一万度お祓いを行う意)といわれる特別の神札が納められています。まさしく満願が込められています。

参宮案内所

参宮案内所・衛士見張所

宇治橋西詰には、こちらも新しくなった参宮案内所・衛士(えし)見張所があります。お伊勢さま全般の案内(地図入りパンフレットなどあり)、迷子呼び出し、車椅子貸し出し、コインロッカーからペット一時預かりまであります。

御手洗場(みたらし)

御手洗場(みたらし)

一般の手水舎(てみずや)もありますが、五十鈴川(御裳濯川 みもすそがわ)の清流で心身を清めるのが古来からの習わしです。

国民(くにたみ)も常に心を洗はなむ みもすそ川の清き流れに  明治天皇御製

明応7年(1498)銘の擬宝珠

明応7年(1498)銘の擬宝珠

上の画像は、国内最古ともいわれる風日祈宮橋(かざひのみやばし)の擬宝珠。この橋は9月17日に渡始が行われたばかりで、真新しい檜(ひのき)の香りが漂っていました。

内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)

内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)

神楽殿では各種ご祈願を受け付けていて、神楽が奉納されます。中でも、大々神楽(だいだいかぐら)は古式ゆかしい舞楽(ぶがく)が舞われ、古典芸術としても一見の価値があります。ここでは、神宮大麻(じんぐうたいま)やお守りなどの授与品、ご朱印も受けられます。

石段を上がり内宮御正殿(ないくうごしょうでん)へ

石階を上がり御正殿(ごしょうでん)へ

何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる  

西行法師の思いを体で感じる瞬間です。

踏まぬ石

踏まぬ石

内宮御正殿から荒祭宮(あらまつりのみや)に向かう石階の途中に、4つに割れた石があります。天の字に似ていることから、天から降ってきたとのいわれもあり、踏まぬように盛り塩で清めてありました。

荒祭宮

荒祭宮

荒祭宮(あらまつりのみや)は、内宮御正殿におまつりされている天照大御神(あまてらすおおみかみ)と同一神ですが、その荒御魂(あらみたま)が鎮まるところです。式年遷宮のクライマックスである遷御(せんぎょ)(平成25年;大御神さまがお遷りになる儀式)では、内宮・外宮に続いて準じた形で遷御が行われます。

式年遷宮ではさまざまなおまつりが粛々と行われますが、遷御を含めた12の祭典は、天皇陛下の御治定(ごじじょう;祭典の日時を定められる)を仰ぐもので、祭政一致、国のおまつりとしての意義がここにあります。

御厩(みうまや)

御厩(みうまや)

皇室から牽進(けんしん)された神馬(しんめ)が飼育されている御厩(みうまや)があります。毎月1日、11日、21日の3度、菊花紋の馬衣をつけて御神前に見参します。

おかげ横丁

おかげ横丁

お参りのあとの楽しみの1つです。お土産も沢山ありますが、「宮下」(みやげ)にはお守りが一番です。

禊祓

2010年9月27日 月曜日

神職の行法(ぎょうほう)に禊祓(みそぎはらえ)があります。水につかって心身を祓い清めることです。

その起源は、イザナギノミコトが亡き妻イザナミノミコトに会いに黄泉(よみ)の国を訪れ、その身についた穢(けが)れを祓い清めるため、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で、禊祓をしたと古事記・日本書紀に記されています。

海中での禊

海中での禊

則ち、禊とはミ(身)についた穢悪を水の浄化によってソグ(削ぐ)ということです。水につかる、または水をかぶり、身も心も清め自己の魂を振り起こし、心身の調和を図り、甦りをすることです。水の霊力にふれることが大切なのです。

百人一首でも有名な藤原家隆の和歌(『新勅撰和歌集』)に、

風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける

とあります。これは、六月大祓(みなづきのおおはらえ)を歌ったものですが、神職の研修では大寒の寒中禊を行うこともあります。

鳥船行事(心気を振り起こし大自然の生気と合一させる)

鳥船行事(心気を振り起こし大自然の生気と合一させる)

白褌(しろふんどし)に白鉢巻きの姿となり、祓詞(はらえことば)、鳥船行事、雄健(おたけび)行事、雄詰(おころび)行事、気吹(いぶき)行事、身滌(みそぎ)行事という流れで行います。

鳥船の行は、天海(空)をこぎ渡るような雄大な気持で3つの所作を行い「イエーッ エーイッ」「エーイッ ホ」「エーイッ サ」と元気に声を出します。途中3首の和歌を唱えます。

朝夕に 神の御前(みまえ)にみそぎして すめらが御代(みよ)に仕えまつらむ

遠つ神 固め修めし大八洲(おおやしま) 天地(あめつち)共にとはに榮えむ

天津神(あまつかみ) 國津神(くにつかみ)たちみそなはせ おもひたけびて我が為(な)す業を

 

残念ながら、研修中につき画像を添付できませんが、今朝は五十鈴川(神路山に発し三重県伊勢市を流れる清流)で禊祓を行いました。

教育勅語渙発120年

2010年9月26日 日曜日

今年は、明治23年(1890)10月30日に「教育ニ関スル勅語」(いわゆる教育勅語)が発せられてから120年の節目を迎えました。

教育は「国家百年の計」といわれますが、学級崩壊、校内暴力、いじめ、不登校、引きこもり、学力低下といった子どもたちの異変やモンスターペアレント、児童虐待などの親の異常行動などには目を覆いたくなる有様です。また、教員の精神疾患による休職者の増大化や指導力不足教員の増加などを含め、社会問題として連日テレビを賑わせています。私たちの社会は何を拠り所にすれば良いのでしょうか。

実は100年前にも同様の教育の混乱がありました。江戸幕府が終焉を告げ、文明開化となった明治初年から20年前後、日本は過去を切り捨て極端な西洋化に走りました。地に足のつかない知識教育に偏った結果、徳育が見放され父兄を軽蔑する風潮が生じたといいます。これは、先の敗戦で誇りを失い、占領政策により日本人としての背骨を失った戦後60年の状況と似ていると思います。

教育勅語はそのような社会状況の中、明治天皇より渙発(かんぱつ)されました。その内容は、儒教の人として守るべき道「五倫」(ごりん)と比較されますが、日本の伝統的な精神を活かし、人として践み行うべき徳目が示されています。そして、その意義は道徳心の低下が顕著な今の時代にこそ必要とされている内容だと思われます。

教育勅語(原本) 東京大学蔵

教育勅語(原本) 東京大学蔵

朕(ちん)惟(おも)フニ我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ我ガ臣民(しんみん)克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス爾(なんじ)臣民父母ニ孝(こう)ニ兄弟(けいてい)ニ友ニ夫婦相和(あいわ)シ朋友(ほうゆう)相信ジ恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛衆(しゅう)ニ及ボシ学ヲ修メ業(ぎょう)ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ世務(せいむ)ヲ開キ常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ是(かく)ノ如(ごと)キハ独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン斯(こ)ノ道ハ実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ

口語訳 国民道徳協会訳文

口語訳 国民道徳協会訳文

ここには、①孝行②友愛③夫婦の和④朋友の信⑤謙遜⑥博愛⑦修業習学⑧知能啓発⑨徳器成就⑩公益世務⑪遵法⑫義勇という大切なこと、12の徳目が示されています。

神職研修

2010年9月25日 土曜日

25日から29日まで、神社本庁総合研究所主催による「第89回中堅神職研修(特)」に参加の為、伊勢の地・神宮へ参りました。神職の教養を培う目的で、全国から53名の参加者が集い、神宮道場で研修が行われます。

神宮道場 明治天皇行在所でもあった建物

神宮道場 明治天皇行在所でもあった由緒ある建物

神宮道場は、神宮司庁の旧庁舎で、昭和48年(1973)までは神宮の全ての事務が、ここで取り扱われていました。同51年に神宮道場と改称され、神職や神職を志す学生の研修施設として活用されています。【伊勢神宮崇敬会HPより】

昨年新たなになった宇治橋を渡り、内宮神楽殿でお神楽の奉納、内宮御正殿(ごしょうでん)で御垣内(みかきうち)特別参拝、荒祭宮(あらまつりのみや)遙拝(ようはい)を済ませ、清々しい気持ちで研修が始まりました。

今年は、既に過去最高となる800万人もの方々が参宮されていますが、土曜ということもあり朝から多くの参拝者で賑わっています。

合宿生活(10人部屋)のため、不安な要素も多いですが、お互いに協力しながら過ごしていきたいと思っています。

神宮の美

2010年9月24日 金曜日

昨日の雨は意外と激しく、境内の砂利が結構流されていました。御神田もそうですが、近隣では稲刈りがこれからのところもあり、稲穂の状況が気になります。

土手(招魂社前)の彼岸花

土手(招魂社前)の彼岸花

ようやく彼岸花がぽつぽつと咲き始めました。

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 横浜高島屋で行われている「伊勢神宮に捧ぐ近・現代の美」に行ってきました。神宮美術館に所蔵されている文化功労者、日本芸術院会員などの超一級品の絵画に触れることが出来ました。入場料は一般800円ですが、神社に無料券を若干用意していますので、ご希望の方はご連絡ください。

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明日から5日間、伊勢の神宮(於:神宮道場)で研修に入るため、伊勢の地へ参りました。

家庭のまつり

2010年9月23日 木曜日

 昨日のお月さまは、まさしく幽玄の美でしたが、今日は終日、活発な秋雨前線の影響で、大粒の雨が降り止まぬ秋分の日となりました。

引っ越しをされた方が、神棚のおまつりを希望され祭儀を執り行いました。

神棚祭

神棚祭

 近い存在である「ご先祖さま」に手を合わせることは多いと思います。また、神棚におまつりされている「氏神さま」は、地域の遠いご先祖さまともいえ、「お伊勢さま」は、日本人の総氏神さまです。どちらも目に見えぬ存在ですが、家庭の中で絆を結ぶ大切な存在です。

目に見えぬ神の心に通ふこそ人のこころの誠なりけれ  明治天皇御製

仲秋の名月

2010年9月22日 水曜日

記録づくめの暑い夏でしたが、お彼岸に入るまで残暑が厳しいとは思いもしませんでした。夕方、比々多小学校に行くと、校長先生が「今日は36度を記録し、計測した中では最も気温が高かった」と仰っていました。

さて、今夜はお月見。虫の声が辺りに響き渡り、昼間の暑さが嘘のように和らいで涼やかな夜、澄んだ空には仲秋の名月がぽかりと浮かんでいます。

仲秋の名月

仲秋の名月

旧暦7・8・9月の最中(もなか)なので仲秋(中秋)、お月さまに芋をお供えするので芋名月といいますが、月見団子(おまんじゅうで代用しました)御神酒などを供え、芒(すすき;暑くて穂が出ていません)を飾りました。

お月さまにお供え

お月さまにお供え

来月の後の月(栗名月・豆名月)も楽しみです。明日からようやく暑さも弱まりそうです。お月さまのお蔭かな。

職人さんの働き

2010年9月22日 水曜日

昨日に続き、今日は社殿周りの枝下ろしや運悪く枯れた立木を伐採しました。境内の森が寂しくなる気もしますが、建物が傷むのを未然に防ぎ、栄養を元気な木や枝に行き渡らせるためにも必要な作業です。

社殿に回りの枝下ろし

社殿周りの枝下ろし

今年は神楽殿内に七五三の写真撮影所を設けることとなりました。それに伴い、屋根の修理や装飾工事などを施すこととなり、今日は終日職人さんが入りました。

幕取り付け工事

幕取り付け工事

瓦の交換作業

瓦の交換作業

職人さんによると、損傷して薄くなった瓦に水が流れ込み、凍害で傷みが激しくなっていたそうです。しかしながら、昭和33年から50年以上も頑張ってきたわけですから、本当にお疲れさまです。

左(古):50年前の遠州瓦  右(新):撥水に富む愛知産瓦

左(古):50年前の遠州瓦 右(新):撥水に富む愛知産瓦

神宮大麻頒布研修会

2010年9月21日 火曜日

来る10月17日(日)に、比々多地区戦没者の慰霊祭が行われますが、午後からは鎮魂太鼓の奉納演奏があります。その囃子車の通行に支障がないように、駐車場と道路の枝下ろしをいたしました。

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午後、神奈川県神社庁において「神宮大麻頒布研修会」が開催され、県内32名の神職が参加いたしました。

研修会の様子

研修会の様子

伊勢の神宮で丁重に奉製(ほうせい)される御神札(おふだ)を神宮大麻(じんぐうたいま)といいます。毎年年末になると新しい御神札を神棚に納め、新しい年が良い年であるようご加護を願うのが古くからの家庭のまつりの在り方です。

江戸時代には、御祓大麻(おはらいたいま)といわれ、御師(おんし)といわれる人たちにより全国の9割もの家庭に頒布(はんぷ)されていました。明治5年には今の神宮大麻に名称が変わり、現在では神社本庁を通して各都道府県の神社庁、そして各神社から各家庭に頒布されています。

神宮大麻

神宮大麻

神宮大麻は、皇室の祖先神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御神威(ごしんい)のこもった御神札であるとともに、「御祓大麻」といわれたように、その工程においてお祓いが何度も何度も厳修されています。また、“ 祓の具 ”としての麻串(ぬさぐし)が芯には入っています。

*古くは千度麻(せんどぬさ)・万度麻(まんどぬさ)ともいい、千度もの大祓詞(おおはらえことば)を唱えて奉製していました。

青年会考案の新しい神棚

青年会考案の新しい神棚

本日講師をつとめられた、神宮の孫福先生は、「神棚にお参りの際、目をつぶり、お伊勢さまの大きな石段を一歩ずつ上がるイメージをもち、白布の向こうの御正宮(ごしょうぐう)にお参りをする気持ちでお参りしてみてください」といわれました。

恐らく、希望に満ちて一日のスタートが始まり、かたじけない、もったいない思いで一日を終えることができることでしょう。