今日で5月もお仕舞い。明日からは水無月です。田に水を注ぐ水の月に入ります。
神社下の御神田(神奈川県神道青年会)では、5日(日)にお田植えが行われます。
この度の大震災で、甚大な被害を被った宮城県気仙沼市の羽田神社で、29日に「お田植祭」が行われました。苗を植えた児童等は、津波に負けずに復興と五穀豊穣を祈ったそうです。
6月は、崇敬者祭(6月19日)、夏越大祓(6月30日)が予定されています。
水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 延ぶといふなり
今日で5月もお仕舞い。明日からは水無月です。田に水を注ぐ水の月に入ります。
神社下の御神田(神奈川県神道青年会)では、5日(日)にお田植えが行われます。
この度の大震災で、甚大な被害を被った宮城県気仙沼市の羽田神社で、29日に「お田植祭」が行われました。苗を植えた児童等は、津波に負けずに復興と五穀豊穣を祈ったそうです。
6月は、崇敬者祭(6月19日)、夏越大祓(6月30日)が予定されています。
水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 延ぶといふなり
昨年に引き続き、今年も「一心泣き相撲比々多場所」を開催いたします。
開催は7月17日(日)です。雨天でも決行いたします。
お申し込みは、NPO一心泣き相撲実行委員会で受け付けをいたします。
募集定員は120名ですので、お早めにお申し込みください。
台風2号が本土へやって来ました。被災地での被害が心配されるところです。
お昼現在、伊勢原の雨脚は軽い状況です。これから次第に強くなるところです。
本日は社務所において、しめやかに雨音を聞きながら、三年祭を執り行いました。
お隠れになられた方に、拍手をするのは、、、と思われがちですが、祖先のまつりでは喪明け以降は清らかな音を立てて二拝二拍手一拝でお参りをいたします。
拍手は相手を称える行為ですから、そのことにより逆に力をいただくものといえます。
今日は大安吉日。土曜日ということもあって、雨で足下の悪い中でしたが、初宮参りを中心に多くのご祈願の方がお参りにみえました。
万端の準備と万全の心構えで結婚式を迎えられたお二人には、甚だ残念なお天気でしたが、それでも皆さん晴れがましい笑顔でいっぱいでした。
境内の木々の新芽は、水のエネルギーをいただいて、更に緑を濃くしていく季節です。
それぞれの親御さんからいただいた生命に感謝するとともに、お二人で力を合わせ新たな門出の出発です。新しい命への予感も溢れています。
雨音は粛々とした雰囲気を更に増してくれました。また、時折聞こえる蛙の鳴き声や鳥のさえずりは、皆を穏やかな気持ちにしてくれたことと思います。
誓詞で奏上した気持ちを忘れずに、幸せな家庭を築いていただきたいと思います。
本日はまことにおめでとうございました。
関東甲信地方も梅雨入りしました。予報ではここ数日雨が続きそうです。近隣では、今週から来週あたりが田植えのピークでしょうか。
境内の若葉も色濃くなってきましたが、枯れ木も目立っています。
小雨の中でしたが、枯れた杉の木を4本切り倒しました。年輪を数えると40年くらいでした。
昨日は伊勢原市森林組合の通常総代会に出席いたしましたが、樹木も手を掛けないと次の世代が育っていきません。
また、鶴巻の大エノキ(実はケヤキ:根回り12.5㍍)の土壌改良工事が行われました。約50㌢ほど掘り、灰や炭を埋め、土をかけました。土中に機械でエアーも入れていました。表面には藁を引き詰めてあります。
工事人が「この木は見ているだけで飽きないなあ。」と言っていましたが、本当に立派な大木です。
木の神さまは微笑んでお聞きになっていたと思います。(^^)
昨日(25日)、神社本庁設立65周年記念大会が渋谷C.C.Lemonホールで開催され、全国から神職・総代・関係者等が大勢集まりました。
大会に先立って、明治以降お隠れになられた物故神職・総代の慰霊祭がしめやかに執り行われました。
先人のご恩に感謝するとともに、その功績や意志を引き継ぎ、今を生きる私たちがそれぞれの役目や使命を果たしていくことを確認する時間となりました。
続いて、常陸宮同妃両殿下のご台臨を仰ぎ、神社本庁池田厚子総裁ご臨席のもと設立65周年記念式典が厳粛に行われました。
常陸宮さまのお言葉、池田厚子総裁の式辞には、共通してこの度の震災における惨状を憂うとともに、先人たちが守り伝えてきた各地域のおまつりを通して絆を結び、元気を生み出していく必要があるとの思いが伝えられました。
また、来賓としてご挨拶された安倍晋三元総理は、「この度の大震災において、天皇陛下が避難所や被災地をご訪問され、国民一人一人に思いをいたす大御心に、日本人のお手本、あるべき姿を見い出す機会」となったことを述べられました。
式典の中では、様々な功績表彰が発表されました。僭越ながら、禰宜が指定団体(神道青年全国協議会)功労者表彰という栄に浴すことができました。身を引き締めて、更なる奮迅努力をするところです。
24日早朝、作業の安全と復興の祈りを込めて青葉神社(仙台市青葉区)へお参りしました。
青葉神社は仙台藩祖である伊達政宗公をおまつりする神社ですが、石鳥居が倒壊したままの状態でした。
しかしながら、この日は運良く年に一度の大祭、例祭日でした。ご神意が発揚され、地域の絆が更に深まり、復興に向けて元気が出てくるようお祈りするところです。
さて、この日は仙台市のお隣り、多賀城市へ入りました。見た目には、前日の塩竃市よりも被害状況はひどく感じました。信号も未だに点灯せずに、警察官が交通整理をしていました。
市街化区域の農地では、行政が瓦礫処理を出来ないとのことで、その支援作業を行いました。
ここでは、朝霞JC(埼玉県)の人たちと共同で作業を行いました。持参した大量の土嚢袋(どのうぶくろ)が活躍しました。
人の手では運搬が困難な大木やコンテナなどがありましたが、土建業の仲間がユンボを借りてきたため、難なく運び出し、整地まで綺麗にすることができました。
畑を所有する農家の方の「ふるさとことば」は、時折聞き取れないこともありましたが、とても満足げな様子でした。
一人ではできないことも、みんなの汗で成し遂げた達成感を感じました。
その後、被害のひどい七が浜の惨状を視察いたしました。
元の綺麗な景勝地と穏やかな生活地に戻るには長い時間と大きな力が必要だと思います。遠隔地に住む人ができることを考え、その思いを多くの人の力で形にしていく努力が大切です。
僅かでしたが、色々なことを考えるとても有意義な2日間でした。
23日・24日の両日、禰宜が災害復興支援ボランティアで宮城県に行ってきましたのでご報告いたします。
22日(日)夜10時過ぎ、伊勢原青年会議所(JC)現役及びOB有志18名が集結し、車4台で出発いたしました。
23日(月)朝5時過ぎ、塩竈港に到着いたしました。自衛隊や警察、消防などの方々の姿を見かけました。
本事業は塩竈青年会議所が窓口となり、復興支援ボランティアの調整役となってくれました。
私たちへの取材はありませんでしたが、テレビ局が2社船に同乗していました。
マリンゲート塩竈(塩竈港)から、桂島、野々島、石浜島を経由して、所用時間1時間で寒風沢島(さぶさわじま)へと渡りました。
寒沢島は人口200名強の島ですが、高齢の方は避難のため島から離れている様子でした。
島の副区長さんの指示により、1班は瓦礫木材の運搬と焼却作業、もう1班は再び船に乗って朴島(ほうじま)に向かい、生活主要産業である生かき処理場の汚泥掻き出し作業にあたることになりました。
持参した安全長靴、ゴーグル、耐油ゴム手袋、防塵マスクが役に立ちました。一輪車とスコップをフル回転させて作業にあたりました。
作業所の中も外も汚泥が層をなしていました。今後気温が上昇すると臭いもきつくなってくると思われます。
最初は、悪臭とその重さに辟易としましたが、何とか協力して作業を進めることができました。
1日で出来る作業には限りがあり、大したこともできませんでしたが、支援の行き届かぬ離島での作業はとても良い経験となりました。
島の人たちはとても優しく、心のこもったおむすびをいただきました。また、生かきまでお土産にいただいてしまい、私たちが忘れている何かを与えてもらった気がしました。