2011年1月 のアーカイブ

節分祭舞台づくり

2011年1月31日 月曜日

今朝6時過ぎの社殿内は、零下1.5度となり、水道が凍りついてしまいました。もちろん、日供(にっく)奉仕はとても寒かったです。

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さて、今日は総代さんが集まり、朝早くから節分祭の舞台づくりをしていただきました。

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作業は、ヘルメット着用のうえ、安全第一です。

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「豆まき・宝まき」神事は、神楽殿を利用しての特設舞台です。

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「年男・年女」奉仕者は、10時・12時・3時で170名余りとなりました。

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あとは、奉仕者や景品協賛者の掲示などをすれば完成です。

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お正月期間に用いた「お賽銭箱」も通常のものに取り替えていただきました。

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寒い中、終日にわたるご奉仕ありがとうございました。

続いて、明日は境内外の注連縄張りをお願いすることになっています。

御霊代について

2011年1月30日 日曜日

 12月に葬儀が続いた関係で、昨日今日と五十日祭が集中いたしました。

以前は、自宅で行うものでしたが、現在はまちまちです。

五十日祭

五十日祭(日本料理店にて)

神道の先祖まつりでは、葬儀後の納骨(埋葬祭)以外は、御霊代(みたましろ)に対しておまつりを執り行います。霊璽(れいじ)と呼ばれるもので、仏式の位牌(いはい)に相当します。

霊璽

霊璽

通夜の日、浄闇(じょうあん)の中、遷霊祭(せんれいさい)において、故人の「みたま」を遷し留めたものが霊璽です。一般的には白木(しらき)の木主(ぼくしゅ・もくしゅ)です。

表には、「何某命之霊」といった霊号(れいごう)を、裏には、生年月日、帰幽(きゆう)年月日、享年(きょうねん)が記されています。

五十日祭(斎場)

五十日祭(斎場)

 霊璽には、蓋(ふた)が覆ってありますが、これは直接目に触れることを避けるためであり、仏教の本尊を拝むのとは対照的な考えです。日常は蓋をしたままですが、年祭や盆行事などには外すこともあります。

五十日祭(自宅)

五十日祭(自宅)

本日は、仏式の葬儀を営んだ方が、実はご先祖さんが神道であったとのことで、遷霊祭を執り行い、あらためて御霊代に遷し留めた上で、その意を丁重にお伝えして、五十日祭のご奉仕をいたしました。

情報が氾濫する時代ですが、核家族化や地域のつながりが薄れる中で、脈々と続いてきたものが途切れることも多々あります。

本当に大切なものをしっかりと守り伝えるためにも、身を引き締めてつとめていかなければならないと感じました。

福枡

2011年1月29日 土曜日

今年は、節分祭(2月3日)で「年男・年女」としてご奉仕をする人たちの人数把握に時間が掛かり、枡(ます)の発注が遅くなり、ようやく今日納品されました。

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福枡(ふくます=福豆入り)は、授与所で限定頒布(初穂料1700円)いたします。松竹梅とめでたい縁起物、うさぎの絵入りです。

家庭や会社内の鬼を打ち祓い、福を招き入れて幸せな一年になりますようお祈り申し上げます。

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「鬼は外!福は内!」

伊勢原タイム 1月28日号

伊勢原タイム 1月28日号

市内外の多くの皆さまから、沢山の協賛品を賜りました。心から御礼申し上げます。

国旗制定記念日

2011年1月27日 木曜日

27日は、暦には「国旗制定記念日」とあります。

明治3年(1870)1月27日(新暦では2月27日)、太政官布告(だじょうかんふこく)に「御國旗」として規定され、日本船の目印として採用されたようです。これに因み、日本国旗協会が定めたそうです。

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私たち日本人は、農耕や漁労生活の中で、四季折々に自然とともに暮らしを営み、太陽を信仰の対象とし、感謝の真心を育んできました。

聖徳太子が小野妹子に、隋の煬帝(ようだい)へ遣わした国書には、「日出処天子至書日没処天子無恙云々」(日出づるところの天子、書を日没するところの天子に致す。つつがなしや、うんぬん・・・)とあります。方角をさしているのはもちろんですが、表現がとても巧みです。  

古くは、高松塚古墳やキトラ古墳(ともに奈良県)の壁画には金色の日象が描かれています。源平合戦では、平氏が「赤地に金丸」、源氏が「白地に赤丸」を用いたのが旗印としての始めともいわれています。

日の丸紋・布目瓦(三之宮郷土博物館収蔵)

日の丸紋・布目瓦(三之宮郷土博物館収蔵)

何時の世も変わることなく差し登る太陽を象(かたど)り、丸は永遠に終わりのない繁栄を、赤は偽(いつわ)りのない真心を、白は清浄を尊ぶ日本人の生き方を示しているといわれます。

 

サッカーのアジア・カップ準決勝(25日)では、日本は宿敵韓国を倒し、決勝戦(29日)は、オーストラリアと戦うことになりました。4度目となるアジアの頂点を目指し、好試合を期待するとともに、日の丸が高々と揚がることを楽しみにしています。

文化財防火デー消防訓練

2011年1月27日 木曜日

昨日は文化財防火デー。全国の神社仏閣などを中心に消防訓練が行われました。

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昭和24年(1949)1月26日、法隆寺(ほうりゅうじ・奈良県)で火災が発生し、金堂(こんどう)という建物とともに、法隆寺金堂壁画が焼損するという事件が起こりました。その後、文化財の保護を要望する声が全国で高まり、議員立法により昭和25年(1950)に「文化財保護法」が制定されました。

消火器による消火訓練

消火器による消火訓練

文化財は日本の歴史・文化・風土の中で生まれ、長い年月を掛けて育み守られてきた貴重な財産です。

文化財には、「有形文化財」、「無形文化財」、「民俗文化財」、「記念物」、「文化的景観」、「伝統的建造物群」の6種類があります。具体的には、建物、彫刻、絵画、古文書、民俗行事、遺跡、希有な動植物、それらを守る技術などです。

郷土博物館の文化財を視察

郷土博物館の文化財を視察

伊勢原市内には、国・県・市指定の文化財が61件あります。また、登録文化財が8件あり、神奈川県では鎌倉市に次いで2番目の多さです。【伊勢原文化財サイト

社殿の建築・構造を視察

社殿の建築・構造を視察

比々多神社周辺には、昭和初期360基の古墳があったといわれ、埋蔵文化財の宝庫ともいえます。

訓練に総代さんも大活躍

訓練に総代さんも大活躍

比々多神社及び併設の三之宮郷土博物館には、県重文指定の「うずらみか」を始め、木彫り「狛犬一対」、「登尾山古墳出土品」、「金銅単竜環把頭」、「尾根山古墳出土品」、「らちめん古墳出土品」、「下谷戸縄文遺跡環状列石及住居跡」などの市指定文化財があります。

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また、5月5日に行われる「国府祭」(こうのまち)は県指定無形民俗文化財です。

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先人から伝わる郷土の財産を守るのは、今を生きるものの役目でもあります。

訓練を終えて

訓練を終えて

年明けから、乾燥状態が続く毎日だけに、火の管理はもちろんのこと、予防と確認を徹底したいところです。

消防本部や消防団の皆さま、ありがとうございました。

常緑樹

2011年1月24日 月曜日

今年は花粉の飛散量が、昨年の5倍とも10倍ともいわれていますが、境内の杉の雄花が膨らみ始めました。

杉の雄花

膨れる杉の雄花

飛散は2月の1~2週目頃でしょうか。アレルギー症状をお持ちの方は、早めの対策をどうぞ。

寒椿

寒椿(かんつばき)

杉花粉の飛散と同じくらいに咲き始めるのがツバキ。葉の厚さから厚葉木、葉のつやから艶葉木といわれる常緑木です。

境内には多くの椿が生えていますが、一年中緑の森を構成する木々の一つです。しばらくして、境内の高木の下に咲く椿をゆっくりとお楽しみください。

神さまの依り代となる神籬(ひもろぎ)

常緑樹の榊は神さまの依り代(よりしろ)

神社で神事に用いる「榊」(さかき)は、同じツバキ科の仲間でサカキ属です。

手にとりし青きさかき葉眼にしみて我が学び舎に想ひはせたり  彬子女王殿下

(平成23年歌会始・詠進歌)

 

明後日の文化財防火デーを控え、消防本部の方々が境内で入念に確認作業を行いました。

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消防・消火訓練は、26日(水)午前9時半から行われます。お時間のある方はお越しください。

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厄除開運

2011年1月23日 日曜日

今日の境内はウオーキングの団体が目立ちました。鶴巻サマリアマンション山の会さん、楽天会さんなど顔見知りの方々が大勢お参りされました。

楽天会の皆さん

楽天会の皆さん

 

さて、今日も厄年の方が厄除祈願でお参りになりました。節分を境に立春から新しい年の始まりとなりますので、この時期に厄を祓う方が多くなります。

平成23年厄年表

地方によっては、誕生日を2回行って厄年を過ぎたり、橋のたもとで持ち物を落として厄を落とすなどの民間信仰もあります。

社務所では、節分祭の「鬼遂之儀」(おにやらいのぎ)に用いる鬼の装束を取り出して干しました。

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鬼は疫病や災禍などの象徴とされます。万人の災いを祓い除けて、招福を願う儀式の準備です。

模擬結婚式

2011年1月23日 日曜日

今日は鶴巻温泉の温泉旅館・元湯 陣屋さんでブライダルフェアが行われ、模擬結婚式を執り行いました。

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四季折々の季節美を誇る格式高い和風旅館での結婚式は、和婚ならではの情緒深い趣きがあります。

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模擬結婚式といっても、実際の結婚式と同様に神事を執り行いました。参加された皆さまは、粛々としたその荘厳さに思いを深められたことと思います。

命のつながり

2011年1月22日 土曜日

本日、参集殿において祖霊祭が執り行われました。

十年祭

十年祭

神道の葬儀は、神葬祭(しんそうさい)といわれますが、五十日祭をもって忌明(きあ)けとし、喪の期間に神棚を覆っていた半紙を取り除き、日々のおまつりを再開いたします。

この期間に、お正月が掛かり、神棚の御神札(伊勢神宮の御神札や氏神さま)をおまつりできなかった場合には、あらためて新しい御神札をお受けください。

祖霊祭は、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭などがあります。

もちろん、祥月命日(正辰祭)やお正月、お彼岸やお盆にご先祖さまをお迎えするのは、古くからの習わしです。

命のつながりを確認して、今を生きる力をいただくことが大切です。

 

昨日のタウンニュースに、比々多神社と片町・御嶽神社(所管社)の「どんど焼き」の記事が掲載されました。

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神前結婚式

2011年1月22日 土曜日

神代(かみよ)の昔、イザナギ・イザナミ二柱(ふたはしら)の神さまが夫婦となり、日本の国土を始め多くの神さまをお生みになられたのが、結婚式の始まりといわれています。

本日結婚式を挙げられたお二人

本日結婚式を挙げられたお二人

武士の時代には「家」を重んじて、床の間に神さまをお迎えして儀式を執り行いました。

結婚式後のお二人

結婚式後のお二人

家の儀式では、神さまにお供えした御神酒を盃(さかずき)で交(か)わしました。現在は、三献(さんこん)の儀といって、三三九度(さんさんくど)の盃を酌(く)み交わし飲み交わします。

参列されたご親族とともに

参列されたご親族とともに

誓詞(せいし=ちかいのことば)では、「・・・互いに相和(あいわ)し相敬(あいけい)し苦楽をともにし、夫婦の道を守り子孫繁栄の道を・・・」と誓いをたてられました。

綿帽子(わたぼうし)を取られて

綿帽子(わたぼうし)を取られて

お互いに、幾春秋(いくはるあき)を重ねて来られたお二人。

人生の晴れの門出にあたり、親からいただいた命の尊さを実感し、力を合わせて幸せな家庭を築いてください。

おめでとうございます。