‘その他’ カテゴリーのアーカイブ

年度替り

2019年3月20日 水曜日

本日の晴れの佳き日、伊勢原市内の小学校では卒業証書授与式(卒業式)が行われました。

一方で、年度末行事として中学校の郷土ウオークが実施され、社殿前では中学校1年生が集合写真を撮影していました。

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また、神奈川県神社庁では臨時協議員会が開催され、新役員が決まり新年度体制が整いました。

当社でも新年度役員出席のもと、4月1日には大祭・国府祭会議を開催する予定です。

古代のパワーストーン

2019年3月3日 日曜日

昨日・今日と南金目神社(平塚市南金目)、八剱神社(平塚市上吉沢)、日月神社(伊勢原市沼目)の祈年祭をお仕えしましたが、残すは来週の真田神社のみとなりました。

年度末で役員さんの切り替わりを迎えるところもありますが、4月に大祭を迎える神社では各種相談や準備が進められています。

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さて、訪日外国人が増える中、本日はインバウンドを対象としたモニターツアーが実施され、5人の外国人が参加しました。

当社では拝殿に昇殿して、建物の構造や参拝作法についての説明を致しました。

生憎の雨模様でしたが、「まが玉づくり体験」に挑戦して頂き、思い思いのオンリーワンの「まが玉」が出来上がりました。

周辺で発掘された「まが玉」を御覧の上、古代のパワーストーンの魅力を感じてもらいました。

臨時祭等の予定

2019年3月1日 金曜日

年度末の3月となりました。

御神前では月次祭(つきなみさい)を執り行い、国家の安泰と皇室の弥栄、氏子・崇敬者の安寧を祈念しました。

社頭掲示 弥生

社頭掲示 弥生

御代替りにあたり、5月1日から新元号となりますが、「平成」と記すのも残り2ヶ月です。

本年は皇位継承に伴い、神社で行う臨時祭等の予定があり、神社祭祀に関しての審議が進められています。

外国人の御案内

2019年2月8日 金曜日

「一月(いちげつ)往(い)ぬる二月(にげつ)逃げる三月(さんげつ)去る」といいますが、お宮では参拝者の最も多い一月が過ぎたかと思うと節分がやって来て、週末からは兼務社の祈年祭(としごいのまつり・きねんさい)が三月半ばまで続きます。

また、神社関係の各種会合や研修に加え、年度末にかけて地域の諸行事が多いのも毎年恒例の事です。

お蔭様で、一昨日から例祭(4月22日)に伴う提灯奉納(ちょうちんほうのう)の申込みが始まりましたが、頃合いを見計らって大祭準備を進めなくてはなりません。

タウンニュース伊勢原版

タウンニュース伊勢原版

さて、来週は外国人ライターによるモニターツアーが予定されていますが、今日は武道関係者から依頼の電話が入り、南米・チリ共和国の方々の御案内をすることになりました。

神社は我が国の津々浦々に古くから鎮座していますが、その多くが地域とともに長い年月を歩み、そして今も変わらずに存在しています。

変わらない美しさ、続いてきた形、心の有り様、その伝統や文化を、飾らない言葉でお伝えしたいと考えています。

良き年でありますように

2018年12月31日 月曜日

いよいよ平成30年も大晦日を迎えました。

お蔭様で、全ての祭事を恙無く御奉仕することが出来ました。

また、多くの皆さまの御参拝を賜るとともに、様々な形で御支援・御協力を頂き感謝申し上げます。

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さて、本日も正月準備に明け暮れ、万端整えて元日を待つことになりました。

午後10時半には臨時奉仕者の正式参拝を執り行い、続いて各所を祓い清めました。

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氏子・崇敬者の皆さまには、新しき年が良き年でありますように、衷心(ちゅうしん)よりお祈り申し上げます。

臨時奉仕者の面談説明会

2018年12月25日 火曜日

一昨日は正月臨時奉仕者の面談説明会を開催しました。

今年も女子学生に加え、男子学生の希望者が多く、巫女(みこ)用の緋袴(ひばかま)、男子用の白袴を支度して着装(ちゃくそう)の仕方から学んでもらいました。

miko臨時奉仕ではありますが、心構えや礼作法、言葉遣いを重視しつつ、授与品の授受等を繰り返し指導しました。

非常に寒い中でのお勤めですが、明るく元気に、そして何より丁寧に、職員一同参拝者をお迎えしたいと思っております。

85回目の御誕辰の日

2018年12月23日 日曜日
天皇陛下には85回目の御誕辰(ごたんしん)の日をお迎えになり、国民斉(ひと)しくお祝い申し上げる次第です。

全国の神社では、中祭(ちゅうさい)として「天長祭」(てんちょうさい)執り行い、大御代(おおみよ)の長久(ちょうきゅう)と皇室の弥栄(いやさか)を祈念します。

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以下に宮内記者会の全文(宮内庁ホームページより)を掲載します。

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。
第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉えんを迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵どしています。
そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来じらいこの伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労ねぎらいたく思います。
そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。

支部神職忘年会

2018年12月7日 金曜日

昨晩は神奈川県神社庁相模中連合支部(中郡二宮町・大磯町・平塚市・伊勢原市・秦野市管内)の忘年会が伊勢原市内で開催され、支部神職28名が参加しました。

当社からも宮司以下4名で出席し、日頃の奉務話や今後の取組み等、それぞれ懇親を深める一時となりました。

お互いに健康管理に注意しつつ精励し、無事に年末年始を乗り越えることを確認して散会となりました。

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天皇陛下御即位三十年奉祝記念大会

2018年11月30日 金曜日

昨日は神奈川県神社庁並びに神奈川県神社総代会連合会の主催で、「天皇陛下御即位三十年奉祝記念大会」が横浜の地で開催されました。

会場の関内ホール(大ホール)は800名余りの参加者で埋まり、当社からは宮司・禰宜・責任役員・総代14名が参加しました。

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第一部は奉祝舞楽(ほうしゅくぶがく)で、当社のまが玉祭でも隔年で出演をお願いしている横浜雅楽会による「納曽利」(なそり)が演じられ、奉祝に相応しい雰囲気が醸し出されました。

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第二部は記念式典、第三部は元侍従長(じじゅうちょう)の渡邉允(まこと)先生をお迎えして、記念講演が行われました。

報道でも伺い知ることのできない宮中祭祀の様子、天皇陛下と神奈川県との多くの結びつき等について、終始丁寧な優しい口調で話されました。

そして、天皇皇后両陛下が常に国民とともにあり、〝 寄り添い 〟の気持ちを汲み取ることが出来ました。

記念式典 主催者式辞

記念式典 主催者式辞

頭を垂れて

2018年10月31日 水曜日

神無月も今日でお仕舞いとなりますが、七五三詣の問い合わせのみならず、新年の企業祈祷の連絡が入るようになりました。

社頭では来訪者が続き、総代さんによる酒祭の下準備、中学生の職場体験学習の事前訪問、バス会社との神奈川県神社庁「天皇陛下御即位三十年奉祝記念大会」(11月29日)、また「兼務社巡拝会」(2月25日)の打ち合わせ、兼務社総代さんの要件、更には歴史文化を活かした比々多地区のPR事業の関係者打ち合わせ等がありました。

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さて、歩道の拡幅工事に伴い、7月に仮移転をした庚申塔(こうしんとう)が元のところへ無事に据えられ、工事関係者参列のもと奉告祭(ほうこくさい)をお仕えしました。

古くから大山道(おおやまみち)の道標(どうひょう)としての役割を担いつつ、これから先も街道を行き交う人を見守る道祖神(どうそじん)として静かに鎮座(ちんざ)されることでしょう。

石屋さんは工事が予定通りに捗(はかど)った点でも安心されたようです。

帰りの道中も無事でありますよう、頭を垂れて帰路に就(つ)きました。