5・6月は総会の多い月ですが、本日は禰宜が関東甲信越静市町村教育委員会連合会総会のため、新潟県長岡市に出張しました。
旅先では必ずお宮に立ち寄って参拝しますが、今回は蒼紫(あおし)神社と長岡藩についてご紹介します。
長岡藩中興の祖とうたわれる3代藩主・牧野忠辰(まきのただとき)公、えびすさまの事代主命(ことしろぬしのみこと)をお祀りする蒼紫神社は、30万坪の広大なお山、悠久山(ゆうきゅうざん)に鎮座する旧県社です。
神門 高明門
牧野氏は三河国牛久保(現在の愛知県豊川市)の土豪から身を興し、元和4年(1618)に譜代大名として長岡に入封、以後250年にわたって統治しました。
備前焼の狛犬
長岡藩士の信条として知られる「常在戦場」(じょうざいせんじょう)、「質朴剛健」(しつぼくごうけん)は、長岡の歴史と人々の気質に大きな影響を及ぼしているといわれます。
慶応4年(1868)旧幕府軍が京の鳥羽伏見で薩長連合に破れ、新政府軍が越後に迫り来ると、軍事総督・河井継之助(かわいつぎのすけ)は非戦思想を以て和睦を願い出ますが会談は決裂。
徳川300年の恩顧に報いるため忠義を貫く戦い(北越戊辰戦争)となりますが、壊滅的な打撃を受け〝 賊軍 〟の汚名を受けます。
藩主歴代霊廟
「事を天下に為す者は吉田松陰、我が子の教育を託すは小林虎三郎」と佐久間象山(さくましょうざん)に言わしめた〝 二虎 〟の小林虎三郎は、「国家百年の大計」として、窮地の中にあって学校を建てて子供を育成することを訴えました。
病翁 へいおう (小林虎三郎)碑
三根山(みねやま)藩から送られた救援の米百俵を家中に分配せず、その代金を国漢学校の書籍や用具にあて、新校舎を完成させた「米百俵の精神」は、小泉首相の所信表明演説(平成13年)で有名になりました。
長岡に息づく教育理念、根底思想に触れる歴史探訪となりました。