日本人に信仰する宗教を尋ねると、その信仰の深さや関わりに違いこそありますが、仏教と答える人が多いことがわかります。しかしながら、その家庭に入ると仏壇と神棚があることが多いこともわかります。そして、その仏教もインドやチベットなど、アジア諸国の仏法僧(ぶっぽうそう)とは異なり、そこに安置(あんち)されている位牌(いはい)に対して、つまりご先祖さまへの供養(くよう)に重点がおかれています。お釈迦(しゃか)さまの説かれた教えは、日本固有の祖先や祖霊をまつる信仰を除外しては広がることがなかったわけです。
これは日本固有の民族精神にもとづくものであり、命は一つでも代々のご先祖さまから子々孫々(ししそんそん)へ脈々とつながっていると捉(とら)える信仰があるように思えます。また亡くなった人の魂は、そう遠いところへは行かず、この世にとどまり私たちを見守ってくれると信じられています。
古来より、私たちは、安産、初宮参り、七五三、成人式、結婚式、厄年、年祝いなど、節目としての「人生儀礼」を大切にしてきましたが、その意味で、人生最後の重儀として葬儀は行われるべきものです。そして、その延長に「祖先のまつり」もつながっているといえます。
神葬祭(しんそうさい)は、神道(しんとう)による葬儀であり日本固有の儀式です。『古事記』(こじき)や『日本書紀』(にほんしょき)には、天若日子(あめのわかひこ)や伊弉冉尊(いざなみのみこと)の葬祭の様子が記されていて、民族固有の習俗と理解することができます。
しかしながら、仏教伝来とともに、葬儀のことに関しては仏式ということが、とても長い間常識となりました。また、江戸初期には、幕府により寺請制度(てらうけせいど)という制度つくられ、いずれかの寺院を菩提寺(ぼだいじ)と定め、その檀家(だんか)となることが義務付けられました。
江戸中期に、吉田家から許可状を得たものだけは神葬祭が許され、末期には神職とその嗣子(しし=あとつぎ)にのみ認められました。そして、明治に入り、神仏分離(しんぶつぶんり)以降藩内の士族から広がり一般に及ぶようになりました。
神葬祭のながれ
神葬祭は、様々な儀式から成り立っています。地域や諸事情により異なることもありますが当社でのお通夜からの主な流れをご紹介いたします。
- 通夜祭(つやさい)
- 遷霊祭(せんれいさい)
- 葬場祭(そうじょうさい)
- 火葬祭(かそうさい)
- 帰家祭(きかさい)
- 十日祭(とおかさい)
- 五十日祭(ごじゅうにちさい)
- 埋葬祭(まいそうさい)
五十日祭をもって忌明け(きあけ)とします。清祓(きよはらい)をして、喪(も)の期間に神棚を覆っていた半紙を外し、神棚のおまつりも始めます。
- 合祀祭(ごうしさい)
- 一年祭(いちねんさい)
- 三年祭(さんねんさい)
- 五年祭(ごねんさい)
- 十年祭(じゅうねんさい)
- 二十年祭(にじゅうねんさい)
- 三十年祭(さんじゅうねんさい)
神葬祭あれこれ
霊璽(れいじ)
仏式の位牌(いはい)に相当します。御霊代(みたましろ)ともいいます。遷霊祭(せんれいさい)において、故人の「みたま」を遷し留めます。一般的には白木(しらき)の木主(ぼくしゅ・もくしゅ)です。表には、「何某命之霊」といった霊号(れいごう)を、裏には、生年月日、帰幽(きゆう)年月日、享年を記します。霊璽には、蓋(ふた)が覆ってありますが、これは直接目に触れることを避けるためであり、仏教の本尊を拝むのとは対照的な考えです。日常は蓋をしたままですが、年祭や盆行事などには外すこともあります。
霊号(れいごう)
仏式でいう戒名(かいみょう)にあたるのが霊号(れいごう)です。霊璽に書き記す故人の御霊(みたま)としての名前です。現在では一般的に、1.称名(たたえな)2.尊称(そんしょう)3.結辞(けつじ)などを記します。
1.称名:身分や老若、性別を示すものですが、現在では身分には関係なく、若い順に以下のような称名を付けることが多いです。
男性 | 童男(わらわご)・若子(わかご・わくご)・比古(ひこ・彦)・郎子(いらつこ)・大人(うし)・翁(おきな)・老翁(ろうおう) |
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女性 | 童女(わらわめ)・少女(おとめ)・比女(ひめ・姫)・郎女(いらつめ)・刀自(とじ)・大刀自(おおとじ)・媼(おうな) |
2.尊称:氏名や称名の後に付けるもので、命(みこと)・之命(のみこと)・神(かみ)などです。「尊」は皇室以外には用いません。
3.結辞:霊璽であることを示すもので、霊・之霊・霊位・霊神・霊璽・神霊などがあります。
祖霊舎(それいしゃ)
祖先のまつりは、神棚とは別の祖霊舎(それいしゃ)で行います。または、御霊舎(みたまや)いいます。白木のものが一般的ですが、漆塗りのものもあります。神棚と同じく南向きか東きとし、神棚より低い位置にします。亡くなった故人の霊璽は、五十日祭または一年祭の後にご先祖の御霊とともにおまつりします。
お墓
神社で墓地を所有するところはほとんどありませんので、個人墓地もしくは宗派を問わない霊園、または埋葬が可能な寺院を選びます。墓石の形については決まりはありませんが、頂上を尖らせた剣先状(けんさきじょう)にしたものが見受けられます。正面の文字は、「何某家墓」、「何某家之奥津(都)城」(おくつき)などが多く、地域性などにより異なります。
霊祭(れいさい)
葬儀における通夜祭や葬場祭が亡骸(なきがら)に対する儀式であるのに対し、「御霊」(みたま)に対するおまつりで、御霊舎(みたまや)と墓前で行うおまつりです。葬儀が終わったことを告げる帰家祭(きかさい)、十日祭(とおかさい)、五十日祭、百日祭、一年祭などで、それ以降を代々のご先祖さまと同様の「祖霊祭」といいます。
年祭
年祭(ねんさい)は、式年祭(しきねんさい)ともいい、一定の年忌(ねんき)で行われる祖霊祭(それいさい)です。一般的には、三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭(地方により五十年祭まで)などで、自宅の祖霊舎と墓前で行うおまつりです。満年数でこれを行います。
まつりあげ
式年祭を十年、二十年と行い三十年を節目にまつりあげとなります(地方により五十年)。その後は、個人としてではなく歴代のご先祖さまとともにおまつりします。
祥月命日(しょうつきめいにち)
帰幽(きゆう)当日の祥月命日(しょうつきめいにち)に行うおまつりを正辰祭(せいしんさい)といいます。代々のご先祖さまのうち、その日が祥月命日にあたる霊璽を正面にもってきます。
お盆
お盆は、古くからあった「みたままつり」の行事に仏教行事が合わさったもので、お正月と並んでご祖先さまを迎えて親しく過ごす行事です。7月13日〜16日あるいは8月13日〜16日に行われています。13日の夕方に苧殻(おがら)を焚いて迎え火をし、15日もしくは16日に送り火を焚きます。
お彼岸
お彼岸(ひがん)は、季節の変わり目であるとともに、ご先祖さまをおまつりする日本独自の大切な行事です。お盆にはご先祖さまをお迎えするのに対し、お彼岸にはお墓参りをしてご先祖さまに会いに行くといった意味合いがあります。春には「おはぎ」を、秋には「ぼたもち」お供えします。お彼岸の中日(ちゅうにち)にあたる春分の日と秋分の日は、かつては「春季皇霊祭」(しゅんきこうれいさい)、「秋季皇霊祭」(しゅうきこうれいさい)という祭日でしたが今でも宮中では皇霊祭が行われています。
お参りの作法
神葬祭では、神社でのお参りと同様に、二拝二拍手一拝(にはいにはくしゅいっぱい)でお参りをしますが、拍手は忍手(しのびて)で、音を立てずに行います。これは故人を偲び、慎む心を表すためです。また、忍手でお参りする期間は、五十日祭または一年祭が終わるまでです。墓地でのお参りも同様です。
日々のおまつり
葬儀が終わってから、ご先祖さまと合祀(ごうし)するまで(五十日祭または一年祭の後)の間は仮の御霊舎におまつりして、霊前にお供え物をあげます。常饌(じょうせん)といって、故人家族が通常食しているものを供えます。合祀してからは、神棚のおまつりと同様に、お米(飯)、お酒、お塩、お水をあげます。命日やお盆、お彼岸、年祭などには、これに魚や海菜野菜、菓子や嗜好品などを加えます。
包みの表書き
白黒の水引で結び切りのもの、あるいは奉書紙(ほうしょがみ)に麻苧(あさお)で結んで包みます。市販の熨斗袋(のしぶくろ)で構いませんが、表に蓮(はす)の絵が付いたものは、仏式用なので用いないようにします。表書きは「玉串料」(たまぐしりょう)または「御霊前」(ごれいぜん)と書きます。包みの裏の合わせは、下の折り返しの上に、上の折り返しを重ねます。年祭でも「玉串料」と記します。
※「祖先のまつり」についてのご相談は社務所にお尋ねください。