相模国三ノ宮・比々多神社

収蔵品

神社関係資料

布目瓦(ぬのめがわら)一枚

旧社地から堀得しものといい伝えられ、扇形で日の丸の紋があり、長さ5寸8分、横9寸8で布目があります。

古文書(こもんじょ) <整理中>

天正19年(1591)徳川家康公寄進状(きしんじょう)を始めとする朱印状(しゅいんじょう)、江戸道中諸儀式規定、慶長8年(1603)三宮村水帳(検知水帳)写しを始めとする多数の資料が残っています。中でも、国府祭の神輿の通行に際してのトラブルに関する訴訟文書は、大変貴重なものです。 

掛け軸

山岡鉄舟(1836-1888・幕末明治の政治家、明治天皇侍従、子爵)筆掛軸

国学四大人の一人・賀茂真淵(かものまぶち・1697~1769)、幕末の剣術家山岡鉄舟(やまおかてっしゅう・1836~1888)、幕末の国学者・権田直助(ごんだなおすけ・1809~1887)らの手の掛けものが展示されています。


神器具(しんきぐ)

古くは、神さまにお供えするものは熟饌(じゅくせん=煮炊きした物)を用いていました。そのお供えを盛る器(御供鉢、高坏)類を展示しています。展示品は、中世のものといわれ市内の伝統技術の歴史や大山の木地師(きじし)との関連も考えられ貴重な資料です。


その他

御朱印長持(ごしゅいんながもち)、御墨付朱印状(家康公以下歴代将軍)、桐製黒漆塗御紋硯(すずり)、馬具、刀剣類、八雲琴、丸山丹治銘いたとりの笛、火縄銃、陣笠、印籠(いんう)、蒔絵重箱(まきえじゅうばこ)、菓子器、御用札、他


考古資料

下谷戸縄文遺跡環状列石及住居跡

明治30年代、日本考古学の先駆者である坪井正五郎博士は、当社宮司の協力を携えて、この地を発掘調査されました。その考古学草創期の研究者の書簡類が多数残されています。

昭和25年(1950)に文化財保護法が制定された市内でも、30年代から発掘調査が実施され、登尾山(とおのやま)古墳、尾根山(おねやま)古墳、埒面(らちめん)古墳、栗原(くりばら)古墳、下谷戸(しもやと)遺跡などの出土資料が展示されています。


登尾山古墳出土品 一括
昭和57年(1982)2月5日 伊勢原市指定重要文化財

登尾山古墳
家形埴輪
五獣形鏡
銅椀

登尾山古墳は、三ノ宮と坪ノ内を分かつ標高105メートルの尾根上で、遙か相模湾を望む地に位置します。
昭和35年(1960)4月、農道改修の時、玄室(げんしつ)らしきものが出土したのを契機に発掘され、県教育委員会と國學院大學の共同調査が実施された古墳です。半地下式の横穴式石室をもつ円墳で、関東地方には比較的少ないもので、古墳時代後期(6世紀)頃と考えられます。

出土品は、円筒埴輪(えんとうはにわ)、家形埴輪(いえがたはにわ)、装飾大刀(そうしょくたち)、刀子(とうす)、鉄鏃(てつぞく)、五獣形鏡(ごじゅうけいきょう)、馬具で金銅製鏡板(こんどうせいかがみいた)・喰・引手・杏葉(ぎょうよう)・雲珠(うず)、有蓋脚付銅鋺(ゆうがいあしつきどうわん)、玉類、須恵器高坏(すえきたかつき)、土師器高坏(はじきたかつき)などです。

銅鋺は、仏教の影響を強く受けたものといわれ、関東では首長クラスの前方後円墳からしか出土しておらず、貴重な資料です。
装飾大刀は、銀糸を巻き付けた柄に金銅製の柄頭(つかがしら)【圭頭(けいとう)】、鐔(つば)、刀装具を有し、馬具は、鏡板・杏葉・雲珠・辻金具・飾りとも鉄地金銅張であり、豪華絢爛な飾り馬に乗った支配者(豪族)の姿が想像されます。

因みに、この古墳は、銅鏡・銅鋺・装飾大刀・馬具が揃って副葬された相模唯一の例であり第一級のもので、相模国造の墳墓とする推定が有力となっています。
金銅製圭頭大刀馬具・金銅製雲珠


尾根山古墳出土品 一括
昭和63(1988)年4月30日 伊勢原市指定重要文化財

須恵器高坏
鉄鏃・耳環

尾根山古墳は、三ノ宮の通称尾根山に所在し、付近は標高約150メートル、東に傾斜する尾根上に位置します。現在は、万松寺のすぐ北の尾根上、みかん畑に古墳址が3箇所残っています。6基程の円墳からなる古墳群で、昭和36~37(1961~62)年に県教育委員会により4基(1~4号墳)が発掘調査されました。野石乱積の横穴式石室を持ち、その形は長方形、正方形、袖を有すものなど様々な形態で、複数回の埋葬が行われていたり、築造年代も時期が違うことが明らになっています。いずれも古墳時代後期(6~7世紀)頃と考えられます。
遺物は、県内最大級の須恵器や土師器などの土器類、大刀、鉄鏃などの鉄製武器、耳環(じかん)、勾玉切子玉(きりこだま)などの装飾品などです。


環頭大刀柄頭(かんとうたちつかがしら) 一口
昭和57年(1982)2月5日 伊勢原市指定重要文化財

単龍環頭大刀柄頭

三ノ宮の栗原古墳からの出土品で、大正時代に農作業中に発見されました。この柄頭は、柄や鐔に金をあしらい木製の鞘にも金色に輝く飾り金具を付した大刀の柄部分を飾るものです。中には竜、外側には瑞雲が透かし彫りがしてあります。横の径6.8センチ、厚さ1.0センチの銅製鋳造品で、6世紀後半の頃のものと考えられます。
県内では、金や銀、金銅、鉄など金属で飾られた装飾大刀が38遺跡で発見されていますがこの三ノ宮周辺には8遺跡が集中しています。

装飾大刀出土遺跡の地図を見る【PDF:248Kb】


らちめん古墳出土品 一括
昭和63年(1988)4月30日 伊勢原市指定重要文化財

らちめん古墳
馬具・金銅製鞍

らちめん古墳は、比々多神社の北側、元の恵泉女子学園短大の構内に位置(この周辺は、元比々多神社境内地)します。この古墳は、昭和43年(1968)に工事中に発見され、横穴式石室をもち現在は露出した石室や玄室、玄門、羨道も見ることができます。

乳文鏡(銅鏡)、銀装大刀(ぎんそうたち)、鉄鏃、馬具(金銅装杏葉、鏡板、鞍金物)、耳環などが出土していて、遺物から6世紀後半から7世紀と想定されます。平成12年度からの3次にわたる調査で、墳丘規模は直径40メートルの円墳を呈することがわかりました。


御領原(ごりょうはら)古墳群出土品

みわ玉

この古墳群は、三ノ宮の竹ノ内から神明にかけての上御領原・下御領原の台地上に築造され大古墳群で、昭和初年当時70基以上もありましたが、戦後の開墾で消滅しました。
展示品には、銅訓(どうくしろ)、三輪玉(みわだま)等があります。


境内遺跡出土品

尖底土器
顔面把手

縄文時代から平安時代までの遺物が出土しています。当館でも最も古い遺物、縄文時代早期尖底土器(せんていどき)があります。勝坂式(かつさかしき)といわれる顔面把手(がんめんとって)は、中期のもので、下部に花形紋を付した鉢形土器も同時期と考えられます。中期・期の土器の他に打製石器、磨製石器、石錘、石匙、石棒(いしぼう)等があります。
また弥生時代のものでは、昭和34年(1959)に発掘された中期の須恵器の甕(かめ)、社殿東より後期の壺形土器、古墳時代では、祖霊社(それいしゃ)跡よりガラス製の勾玉、管玉、滑石製(かっせきせい)の模造鏡などが発見されています。その他、平安時代末期の経塚(きょうか)より経筒(きょうづつ)等が出土しています。

須恵器大甕


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