昨日(29日)は安産祈願の吉日「戌の日」で、境内は無事出産を願う妊婦さんとその家族で賑わいました。
境内や参集殿で27日から行われていた映画の撮影も、今晩で予定通り無事終了となりました。
広報が出来る段階であらためてお知らせいたします。
さて、昨日は禰宜が八雲(やくも)立つ出雲(いづも)の国へ出掛けましたので、その様子をお知らせいたします。
ご存じの通り、『古事記』や『日本書紀』に記された「八岐大蛇」(やまたのおろち)、「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)、「国譲り神話」、また、『出雲国風土記』独自の「国引き神話」など、出雲地方は〝神の国〟〝神話の国〟にふさわしく、今もその心がありありと伝えられています。
出雲神話の中心である出雲大社(いづもおおやしろ:旧官幣大社)は、大黒様(だいこくさま)で知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)をおまつりする最古の神社で、明治初期まで杵築(きづき)大社と呼ばれていました。
今も勅使(ちょくし)の参向(さんこう)が見られ、古来の祭祀が粛々(しゅくしゅく)と引き継がれています。
今年は60年に一度の大遷宮「平成の大遷宮」が斎行され、神さまの更なるご神威(しんい)をいただくべく、多くの参拝者で賑わっていました。
国宝に指定された本殿は、日本最古の神社建築様式「大社造り」で、8丈(24メートル)もの高さを誇ります。
直径1メートル余りの巨大な杉3本を鉄で束ねて造られた「心御柱」(しんのみはしら)、「宇豆柱」(うづばしら)が拝殿北側から出土(平成12年4月)したことにより、出雲大社・千家(せんげ)宮司家(国造家)に伝わる『金輪御造営差図』(かなわごぞうえいさしず)に描かれた鎌倉時代の16丈(48メートル)もの壮大な本殿が現実のものとなり、地元の人たちや関係者を震え上がらせました。
因みに、国旗掲揚塔(発掘以前建立)はその16丈の本殿より1メートル低く作られていて、国旗の大きさは畳75枚分(重さ49㎏)でこちらも日本一です。
案内役の神職に導かれて八足門(はっそくもん)をくぐり、あらためて身を正し、二拝四拍手一拝という作法で正式参拝に臨みました。
そして、神さまの恵みを足下からいただく「お庭踏み」をして、本殿を拝しながら御垣の内をぐるりと巡らせていただきました。
その後、島根県立古代出雲歴史博物館で多くの発掘物を見学、出雲の歴史や文化などについても学びました。
長浜神社(ながはまじんじゃ:旧県社)は、国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)をおまつりする神社で、ご祭神は出雲国の命名者といわれています。(『出雲国風土記』)
続いて、「国譲り神話」「国引き神話」の舞台である稲佐(いなさ)の浜へ降りました。
ここは「神在月」(かみありづき:旧暦10月)に、全国から神さまを迎える斎場(さいじょう)でもあります。
そして島根半島の西端、日の沈む夜を守る日御碕神社(ひのみさきじんじゃ:旧国幣小社)にお参りしました。
神話の神さまに誘(いざな)われたような、そんな有意義な一日でした。