今日は落幡神社(秦野市鶴巻)と御嶽神社(伊勢原市池端)で新穀勤労感謝祭(新嘗祭)並びに神宮大麻頒布式を斎行し、一ヶ月早いものの年越大祓神事も併せて執り行いました。
年末に向けて兼務社の祭典は残り9社となりましたが、一方で各社の御神札準備などに時間を要するようになってきます。
残り一ヶ月、歳旦祭(さいたんさい:元旦)や賀詞交歓会(1月7日)などの日程を確認しつつ、今年一年の御礼と来年に向けたお願いをする時期に突入しました。
昨晩は比々多観光振興会の準備会合が開催され、来年6月の発足式に向けて地域の方々が話し合いを進めました。
恵まれた自然風土、果樹などの農産品、歴史と伝統、社寺への信仰、受け継がれる地区の魅力を活かし、地域の観光振興につなげることが目的です。
週末はみかん狩りの行き帰りに立ち寄る人も多く、今日は雨脚が強まる中、70名の団体がお参りになりました。
また、歴史や郷土史研究の団体が神社の巡拝、御朱印参拝でお見えになりました。
今日は子宝や安産、七五三参りなどのご祈願とともに、地鎮祭や結婚式などの出張祭典も重なる一日でした。
明日で霜月もお仕舞い、「年越大祓」(12月20日)の申し込みも日々増えつつあります。
昨日に続き、冷たい雨と風の強い一日です。
この雨の中、『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』の著者・川村伸秀氏を始め、茅ヶ崎市内に住む方々7名が訪ねて来られました。
坪井正五郎企画展(平成27年5月予定・茅ヶ崎市立図書館)開催にあたり、当社に残る書簡の調査とのことでした。
坪井正五郎は、文久3年(1863)江戸生まれの人類学者で、モースの大森貝塚発見に影響を受けて考古学に興味を持ったとされ、考古学の草分け、日本の人類学の始祖といわれる人物です。
東京大学教授として、現在の自然人類学、文化人類学、民俗学、考古学と幅広い研究を重ね、石器時代住民=コロボックル説を唱えたことで知られます。
当社周辺は古代文化発祥の地であり、考古学研究のため何度も足を運んだものと考えられます。
三之宮郷土博物館には、先々代宮司との親しい縁を感じる書簡が残されています。
その内容は真面目な研究者とは異なるユニークな一面を知ることができます。
三連休明けの火曜日、今日は北風の冷たい雨の一日となりました。
面白し雪にやならん冬の雨 芭蕉
境内に落葉が舞うのを眺めるばかりで、明日は今日の分も庭掃除となります。
吹くたびの風の色わく落葉哉(おちばかな) 宗祇
静さに耐えずして降る落葉かな 虚子
昨日は石座神社(秦野市鶴巻)と八幡神社(伊勢原市坪ノ内)で新穀勤労感謝祭並びに神宮大麻頒布式を執り行いました。
早くも兼務社から元旦祈祷の申込みがあり、今日から正月に向けて、一ヶ月にわたるお神札書きが始まりました。
週の始まりで電話は多かったものの、参拝者や来客が少なかったこともあり、次の恒例祭典「年越大祓」(としこしのおおはらえ:12月20日)や正月準備に時間を費やすことができました。
昨日は駅前自治会や伊勢原南地区のウオーキング、各種団体のみかん狩りなどもあり、朝から境内は賑わいを見せました。
そして、大安の日曜日、戌の日とあって、初宮詣、七五三詣、安産祈願、御朱印参拝など、今月一番の人出となりました。
さて、あっという間に11月も最終週を迎えましたが、21日に現政権は衆議院解散に踏み切り、12月2日公示、14日投票となり、2年前と同様に師走の選挙となりました。
昨日は神奈川県第16区候補予定者の事務所開きがあり、厚木市の宮司さんとともに神事のご奉仕にあたりました。
「樹(た)てし志の緩(ゆる)むこと無く」 「説く言葉(ことのは)の直く正しく」 「邪心(よこしまごころ)無く」 、、、と祝詞を奏上しました。
公明正大に選挙が行われることを祈るばかりです。
今日は勤労感謝の日です。
祝日法に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」と記される国民の祝日ですが、戦前は「新嘗祭」(にいなめさい)という祭日でした。
〝 豊葦原瑞穂国 〟(とよあしはらのみずほのくに)という異称をもつ我が国では、五穀の豊穣を祈る「祈年祭」(きねんさい:2月17日)と対置して、収穫に感謝する儀礼として「新嘗祭」を行ってきました。
「天照大神(あまてらすおおかみ)の新嘗(にひなへきこ)しめす時」(日本書紀) とあるように、神代(かみよ)の昔に遡(さかのぼ)る稲米儀礼であることがわかります。
明治4年(1872)までは、11月の下卯(しもう)を祭日としていましたが、明治6年の新暦採用から23日と定められました。
宮中では恒例祭典で最も重要なものとして、神嘉殿(しんかでん)において「夕の儀」(よいのぎ:23日午後6時)・「暁の儀」(あかつきのぎ:23日午後11時)として執り行われます。
天皇陛下には自ら皇祖(こうそ)天照大神をはじめ天神地祇(てんじんちぎ:天地の神々の総称=天つ神・国つ神)に、「夕御食」(ゆうみけ)「朝御食」(あさみけ)をお供えになり、神恩に感謝されます。そして、自らもお召し上がりになられます。
年ごとの新嘗祭に対して、天皇即位後一世一度のそれを「大嘗祭」(だいじょうさい)といいます。
全国津々浦々の神社でもこれにならって、神社祭祀規定の〝 大祭 〟として斎行しています。
この日までは新米は食さないというのが納得いただけると思います。
当社でも定刻午前10時、粛々と伝統の神事を執り行いました。
収穫感謝の思いとして、ご神前には新米や野菜、果物など〝実り〟が横山の如く並べられました。
更なる神威(しんい)が氏子・崇敬者にもたらされることと思います。