‘なぜ?なに?’ カテゴリーのアーカイブ

相模國府祭調査報告書

2020年3月28日 土曜日

昨日の強風と雨により、今朝は境内清掃に時間を費やしましたが、朝のうちから気温が上がり、薄着でも汗ばむ程でした。

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昨日、大磯町から相模國府祭(さがみこうのまち)の調査報告書が届きました。

国及び県の補助事業として、平成28年度から4ヶ年という歳月が費やされたもので、相模國府祭の意義や社会的背景、類社(一之宮・寒川神社、二之宮・川勾神社、三之宮・比々多神社、四之宮・前鳥神社、一国一社・平塚八幡宮、総社・六所神社)の歴史や伝統、祭儀を知る貴重な資料であるとともに、まつりを支える地域の人たちの思いを感じることのできる467頁もの大冊(たいさつ)です。

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相模國府祭は、昭和52年2月9日に県無形民俗文化財に指定されていますが、本調査を契機として国の指定となることを望むものです。

守護不入の聖地

2020年3月19日 木曜日

近年目立つ御朱印めぐりにより、元宮(もとみや)への参拝者が増加傾向にあります。

旧宮山の高台(標高100メートル)は、かつて社殿が建てられていた埒面(らちめん)という神聖な場所です。

天保5年(1834)の『社傳記』によれば、鎌倉時代には「守護使不入地」(しゅごしふにゅうち)として、17000坪余りを有していましたが、室町時代の頃より幾多の戦禍により神地を失ってしまいました。

寛政年間図面

寛政年間図面

寛政4年(1792)には、幕府より守護不入圖面が社家の永井民部に授けられています。

社傳記より

社傳記より

「元宮」は社務所前より境内の森を抜けて真っ直ぐ、徒歩で7~8分(約500メートル)のところです。

東は横浜、南は高麗山(湘南平)と見晴らしがよく、三浦半島や江ノ島、相模湾を望む事が出来ます。

祈 疫病退散 早期終息

2020年3月9日 月曜日

今日は平日ながら厄除祈願が続きました。

昨今の社会状況もあって、生活への不安を抱いている人も少なくないと思われます。

疫神社

疫神社

さて、昨日は兼務する日月神社(伊勢原市沼目)の祈年祭奉仕がありましたが、その境内社についてお知らせします。

日月神社の境内には、医療の神として称えられる大物主神(おおものぬしのかみ)をお祀(まつ)りする疫(えき)神社が鎮座しています。

今年編纂から1300年となる日本最古の歴史書『日本書紀』(720年成立)の「崇神天皇記」(すじんてんのうき)には、この神さまの御神威(ごしんい)により、国難ともいうべき疫病(えきびょう)が終息した事が記されています。

昨日は疫神社に静かにお参りされる若い人たちの姿を目にしました。

国の基

2020年2月11日 火曜日

今日は御代(みよ)替りを経て、初めて迎える「建国記念の日」です。

今年編纂(へんさん)1300年という記念の年となる『日本書記』には、初代・神武天皇(じんむてんのう)[神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのみこと)]が橿原宮(かしはらのみや)に都を開いたことが「辛酉年(かのととりのとし)春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめす)。是(こ)の歳(とし)を天皇の元年(はじめのとし)となす」と記されています。

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明治維新により「諸事(しょじ)、神武創業(じんむそうぎょう)の始めに原(もと)づく」として、神武天皇即位を紀元(きげん)と定め、上記を太陽暦に換算して2月11日が当てられ、明治6年には「紀元節」が祝日として制定されました。

立春を過ぎ、日本の自然観からも相応しい時期にあたります。

しかしながら、先の大戦の占領政策により、国民の祝祭日であった明治節(11月3日)、新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさい 11月23日)とともに廃止されましたが、復活を願う国民の声により、昭和41年に「建国記念の日」としてあらためて国民の祝日に定められました。

因みに、この日は大日本帝国憲法が制定(明治22年)された日にあたり、令和2年は皇紀2680年にあたります。

新しき時代を生きる私たちは、国の基(もとい)を学ぶべきといえます。

初午

2020年2月9日 日曜日

今日は2月最初の午(うま)の日で「初午」(はつうま)です。

この日は稲荷神社の縁日で、全国の稲荷社で祭事が行われます。

稲荷神社は宇迦之御魂神(『古事記』うかのみたまのかみ:『日本書紀』倉稲魂命)や保食神(うけもちのかみ)、御食津神(みけつかみ)等を祭神(さいじん)として祀(まつ)る、食物や農耕、諸産業の守護神です。

「ウカ」「ウケ」「ケ」は食物の意で、春には田の神が山から降りてくる田の神信仰と結びついたり、商人による屋敷への勧請(かんじょう)等、民衆に広範に根付いた信仰形態をもっています。

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初午が日曜日と重なったことから、企業の邸内社(ていないしゃ)の祭事は「二の午」(今年は2月21日)に集中しています。

日本書紀1300年

2020年1月28日 火曜日

2週間後には「建国記念の日」(2月11日)を迎えます。

我が国は悠久の歴史を有する世界でも最古の国ですが、国史を学ぶべき歴史の教科書には人類の起こりは記されていても、国の成り立ちを語る「神話」についての記述が不十分なため、日本人であっても国の生い立ちを語れる人が多くありません。

今年は奈良時代に完成した日本最古の勅撰(ちょくせん)の正史(せいし)である『日本書紀』[720年(養老4年)]が成立してから、1300年という記念の年にあたります。

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この機会に、是非とも神代(かみよ)から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録に触れて、自分の生まれた国、自分の育った国の歴史について考える時間を持ちたいものです。

厄年

2020年1月21日 火曜日

今週に入ってようやく、正月の賑やかさから落ち着きを取り戻していますが、厄除祈願の問い合わせは依然として続いています。

厄年(厄年表)は人生の節目・転換期にあたり、災難や障りが生じやすい年回りといわれています。

「この年はしも古より忌(い)み嫌う慣わしなれば、禍事(まがごと)の限りを祓い清めむと・・・」

(厄除祈願祝詞)

厄年の年齢は「数え年」で数え、地域による違いもありますが、男性25歳・42歳・61歳、女性19歳・33歳・37歳をいいます。

この年が「本厄」で、その前後が「前厄」「後厄」にあたります。

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本来、厄年は長寿を祝う還暦(61歳)や米寿(88歳)などの「年祝い」と同じで、〝 晴れ 〟の年と考えられていました。

厄年は地域社会の中にあって、一定の地位や役割を担う年回りにあたり、祭礼に関わる「役」ともいわれます。

心身を清浄に保ち、慎みを以て事にあたることで、無事に役を果たすことが出来たわけです。

現在ではそうした神事に携わる機会もありませんが、足下を見直しつつ、慎みの気持ちで精進することが大切といえます。

火の神

2020年1月12日 日曜日

今日は消防署・消防団による消防出初式が行われ、地域の消防団が鎮火水(ちんかすい)を持ってお宮にお参りになりました。

消防団には、安全を祈願した御神札(おふだ)を頒布(はんぷ)しました。

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鎮火祭(ちんかさい)は「ひ(ほ)しずめのまつり」ともいい、古代の律令(りつりょう)の中で、『神祇令』(じんぎりょう)登載(とうさい)の令制祭祀(りょうせいさいし)の一つです。

当時は宮城(きゅうじょう)の防火守護のための祭儀として、6月と12月の年2回行われました。

祭神はカグツチ(迦具土神・軻遇突智)または、ホムズビ(火産霊)で、イザナミがこの神を生むときに陰部(いんぶ)を焼かれ、それがもとで亡くなったとされる火の神です。

火災防止の目的で鎮火祭を執り行っている兼務社もありますが、乾燥が続くこの季節、あらためて火の恐ろしさに思いを致し、予防と点検に気を引き締めたいと思います。

御神前の鈴緒

2019年12月28日 土曜日

今年も師走28日の朝一番の仕事として、御神前の鈴緒(すずお)と鐘楼(しょうろう)の掛緒(かけお)を掛け替えました。

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参拝者の真心が神さまに届くよう、毎年職員が真心込めて撚(よ)り合わせ、綯(な)い上げています。

IMG_0761持ち手には、国産の麻苧(あさお)をふんだんに用いています。

師走大祓式

2019年12月20日 金曜日

数日前までは雨を覚悟していましたが、日差しに恵まれて「師走大祓式」(しわすのおおはらえしき)を迎えました。

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神社祭式関係規定では、大祓は「〇〇祭」とは区別され、恒例式にあたります。

毎年六月と十二月の二季(にき)ですが、今年は大嘗祭(だいじょうさい)に伴う臨時の大祓がありました。

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当社では大祓式に先立ち、社殿で大祓奉告祭(おおはらえほうこくさい)、続いて、境内に設けた祭場で大祓式を執り行っています。

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大祓神事では、祓物(はらえつもの)として木綿(ゆう)と麻布を正面に置き、これらに罪(つみ)や穢(けが)れを移し、祓所(はらえど)の神々の神威(しんい)により、解除(げじょ)を願うものです。

古代、贖物(あがもの)という財物(ざいもつ)を罪の償(つぐな)いとして出したことが起源とされています。

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また、半紙で作った「人形」(ひとがた)は、息を吹きかけ身を撫(な)でて、罪・穢れを移したもので、比々多地区内はもとより、崇敬者の方々の氏名が記されています。

祭員に合わせて参列者が大祓詞(おおはらえのことば)を繰り返し奏上(そうじょう)する間、人形の名前を全て読み上げ、各家庭の災禍(さいか)を除くものです。

祓い清めた後は、総代により忌火(いみび)で焚(た)き上げられました。