2011年1月12日 のアーカイブ

静かな境内

2011年1月12日 水曜日

今年も手水舎(てみずや)後方の大きな石に生える「ど根性榊」(どこんじょうさかき)は、しっかりと背丈を伸ばして成長しています。

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 平日なので、いつもの静かな境内に戻りつつありますが、会社関係のお参りはまだ続いています。

社会奉仕団体の参拝

社会奉仕団体の参拝

 

京都大学教授・佐伯啓思(さえき けいし)氏の「薄れゆく正月風情」(MSN産経ニュース・1月10日)を転載いたします。

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正月が過ぎて10日も経て書くのも気がひけるが、年年、正月というものの実感が薄らいでゆく。ひとつは歳(とし)のせいかもしれない。歳をとると物事に対する新鮮な感動はどうしても薄れてゆくだろう。ましてや正月も60回も経験しておれば特に何というものでもない。ただカレンダーのめくり方がいつもより多少手が込んでいるという程度のことである。これはもっぱら個人的な事情である。だがどうもそれだけでは済まない何かがあるようにも思われる。それは時代というものに関わる何かであろう。こちらは個人的な事情とは違った共同の経験に関わっている。

子供の頃の記憶を持ち出せばまた個人的事情に立ち入りそうではあるが、少なくとも昭和30年代には、正月は格別のものであった。各家には日の丸が掲げられ、ささやかながらも門松がおかれ、しめ縄が結わえられていた。年末になると、買い出し、大掃除、おせちづくりと大人たちはいかにも忙しそうで、町はいつにない活気にあふれていた。そして、年があけると、時間は突然に歩みをやめ、寺社以外、町は完全に活動を停止した。それが3日間続くのである。私はこの死んだような町の風情が結構好きで、店という店がすべて閉まり、人一人歩いていない真っ白な空間が何やら妙に神聖なもののように思われたものである。

こんな記憶をたぐりよせたのは、いうまでもなく、昨今の正月の光景と対照させるためである。それでもしばらく前までは、大手のスーパーやショッピングセンターは三が日は閉めていた。それが今では正月から堂々と営業している。それどころか、通常午前10時開店なのが、元旦に限り朝9時から特売セールなどを行っている。町なかの商店もほとんど開いている。そこに、初詣帰りの人々が群がってくる。

日の丸はおろか門松もしめ縄もあまり見ることはなく羽根つきも凧(たこ)揚げもめったに目にしない。あの死んだような空白の時間と静寂はどこかへ消えてしまった。私は個人的には昔のあの正月の風情をなつかしむ。正月の三が日は、店という店は基本的には営業休止にすればよいとさえ思う。あの聖なる静寂を取り戻すことができればと思う。しかし個人的感慨とは別に、どうしてこうなったのか、そのことが気にかかるのだ。

正月はもともとその年の歳神を迎えて豊穣(ほうじょう)を祈願する儀式だったようだが、そうだとすれば正月にはいくぶんかの宗教的な時間が流れていたことは間違いなかろう。年が改まることで、旧年の恥や垢(あか)を洗い落とす。真っ白な3日間は、日常から抜け出し、多少は神聖なる時間に浸ることで一種のみそぎを行い、新たな年の安全と豊穣を願っていたのであろう。寺社以外はいっさい活動を休止するということ自体が集団的な儀式なのである。この儀式をへて、人も社会もそれなりに新たに生まれ変わる。非日常的で多少は神聖な時間の感触を宗教的と称するなら、正月にはどこか宗教的雰囲気があった。

それがなくなったのである。新たな年にいたるという儀式的な手順が失われてしまった。正月という特権的な時間も通常の時間も同じになってしまった。それを隔てる敷居(ボーダー)がなくなったのである。

何やらバリアフリーの時間を文字通り何の障害もなく移動しているようなものである。ボーダーレス社会とはこのようなものなのであろう。

新しい年へと移り行く時間の敷居をつくっていたものは、何かに対する畏れであったろう。年が変わる、という運命的な時間の動きに対する畏れである。寺社へ初詣にゆき、賽銭(さいせん)を投げ、お祈りをし、絵馬を買い、おみくじを引く、という今日では若者のデートや家族の行楽の口実にしかすぎない風習も、もとはといえば、どこか時間を動かす神聖な見えない力を感受する宗教的感性の名残といえよう。人はそのようなものを発明し、それをうまく使うことによって時間に敷居を与え、時間に意味を与え、そうして集団の共同の経験を作り出してきたのであろう。

あの戦争が終わった時、国文学者の折口信夫は「神、敗れたまいし」とうたった。この戦争の意味は、日本の神々が敗北したことだ、という。確かに神々は敗北したのである。ただしそれはアメリカの軍事力によって敗北したのではなく、日本人が日本の神々を見捨てたということだ。理由は簡単で、神風が吹かなかったからだというのである。神風などに期待するよりも、アメリカ流の合理主義、実用主義に頼った方が、もっと生活を豊かで快適にしてくれると考えたのであった。

神を見捨てた後にわれわれが神の座に祭りあげたのは、経済的利益であった。神が立ち去った後の正月を経済原則が支配している。正月に営業すれば利益があがる、というただその一点だけが決定的な基準になったのである。経済効率という尺度は、非日常と日常の区別もなくし、バリアフリーな時間をうみだした。この傾向は90年代の規制改革、構造改革以後ますます進展したのである。神という見えない力に畏れをもっていたはずのわれわれは、今日、利益と利便のもつ見えない力に支配されている。いつかこの流れが逆転し、あの徹底して不便で静かな正月がまためぐることを初夢としておこう。