2011年6月23日 のアーカイブ

被災地支援

2011年6月23日 木曜日

翌22日、昨日の雨は上がりましたが、東北地方は初の真夏日となりました。

この日は、視察組と支援ボランティア組に分かれて行動をしました。視察組は、岩手県の陸前高田、大船渡、釜石、大槌町へと向かい、ボランティア組は気仙沼の支援センターに入りました。

 

支援センターで作業仕分けを待つ人たち

支援センターで作業仕分けを待つ人たち

良く聞いた話ですが、作業の仕分け、マッチングに大変時間を要しました。支援ボランティア組も体育館での写真洗い出し班と店舗の泥掻き出し班に分かれました。

気仙沼市唐桑町の体育館

気仙沼市唐桑町の体育館

体育館には、数え切れないほどの写真アルバムが所狭しと並んでいました。当方は4人、他に5人、事前から作業を行っている人たち5人を含め、14名で作業は始まりました。

写真の洗い出し作業

写真の洗い出し作業

先ずは、汚れたアルバムから写真を取り出す作業。泥水に濡れて、写真とくっついて剥がしにくいものもありました。また、アルバム毎に番号で区分して、他と混在しないように気を配りました。

次に、プラスチックの衣裳ケースに水をくみ入れ、薄いゴム手袋をはめて写真を1枚ずつ洗う作業。ぬめりや汚れが取れないものも多々あり、異臭もあってマスクは必需品でした。

続いて、写真の水気を拭き取ったうえで、乾燥機械(発電機を使用)を用いて乾燥させました。その後、簡易アルバムへのしまい込み作業で完了。

作業にあたって人たちと

作業にあたった人たちと

この人数でも、3組分のアルバムしか作業を完了することが出来ませんでした。まだまだ先の遠い長い作業ですが、アルバムを手にして喜ぶ人たちの姿を想像しながら、根気よく続けて欲しいと思います。

多くのご先祖さま

多くのご先祖さま

体育館には、津波で流された多くのご先祖さま(霊璽や位牌)が安置されていました。そっと拝み手を合わせました。

北野神社

北野神社

視察組と北野神社(気仙沼市新町)で合流しました。ここでは、菅原宮司さんから被災地の状況についてお話を伺いました。諸施設が使用出来ないことから、社務所を様々な団体の会議場所として提供されているとのことでした。

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4月には、新しい神楽殿の着工予定だったようですが、取り止めとなりました。しかしながら、氏子総代の総意により、先送りするものの工事を行うことが決まったばかりのようです。心の支えである神社の隆昌こそ、氏子地域の発展につながっていることを感じました。

日々執り行われる罹災者の慰霊祭

北野神社で日々執り行われる犠牲者の慰霊祭

 菅原宮司さんは「犬や猫がぶるぶるっと身体を揺するように、現世に生きる人の災いを大地が身を揺らして祓ったようなもの」と揶揄(やゆ)されました。

そのお言葉は、自然とともに生きてきた日本人が、自然に対する畏れを忘れ、感謝を忘れたことの戒めと咀嚼(そしゃく)しました。

派手さのない、ささやくような言葉ながら、東北人の心の強さやひたむきさを感じることのできる2日間でもありました。

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被災地視察

2011年6月23日 木曜日

神道青年全国協議会OB有志による「東日本大震災被災地視察並びに復興支援」(21・22日)が開催され、禰宜が参加いたしましたのでご報告いたします。

榴岡天満宮

榴岡天満宮

仙台駅東口から徒歩約15分、榴岡(つつじがおか)天満宮(仙台市宮城野区)に、全国から15名の神職が集合しました。

被災地の復興支援は、日毎に進んでいますが、神社の復興はまだ程遠いのが現状です。また、マスコミでは報道されませんが、地震発生直後、神社が避難所となったり、支援物資供給の拠点となりました。

そこで、神職の目で被災状況を見るとともに、支援をする目的で開催されました。

倒壊したままの燈籠

倒壊したままの燈籠

この神社では、本殿の扉がずれて開かず、全ての見積もりで2億円ほど経費が掛かるとのことでした。

国宝・大崎八幡宮の大前で

大崎八幡宮の大前で

次に、国宝である大崎八幡宮(仙台市青葉区)にお参りいたしました。

ここは、地震発生間もない頃に、被災地への物資供給の拠点となったところです。境内には大きなテントが設営され、現在も全国から様々な物資が届いているとのことです。

支援物資について説明を伺う

支援物資について説明を伺う

小野目宮司さんからは、支援物資受け入れや配給、炭水化物ばかりの食生活が続いたことなどの苦労話を伺うことができました。

続いて、被災の大きい石巻へ入りました。

日和山・鹿島御児神社から石巻湾を望む

日和山・鹿島御児神社から石巻湾を望む

古くから、神社は比較的高台に鎮座していますが、石巻の港を見渡す日和山(ひよりやま:標高60.4メートル)には、旧県社・鹿島御児(かしまみこ)神社(石巻市日和が丘)が鎮座しています。

政府や行政、報道関係者も、一度この丘の上から石巻の状況を一望してから被災地へ入るようです。

大きな被害を受けた入江の様子

大きな被害を受けた旧北上川河口の様子

江戸時代には、奥羽米の積出し湊として栄えた石巻ですが、水産業の大きなダメージも一目してわかります。

手向けられた沢山の花束

手向けられた沢山の花束

この日和山は、松尾芭蕉、石川啄木、宮澤賢治、志賀直哉、斎藤茂吉、折口信夫などの文人が、風光明媚な様子を歌や句に詠んだところです。民の竈(かまど)から煙の上がる日が一日も早く訪れることを願いました。

続いて、零羊崎(ひつじさき)神社(石巻市湊)にお参りしました。

延喜式内名神大社・零羊崎神社

延喜式内名神大社・零羊崎神社

ここは、地震直後には約150人もの避難者を受け入れ、現在でも多くの方々が避難所生活を余儀なくされていました。

昇殿参拝をして、櫻谷宮司さんから避難所内でのトラブルを含め、貴重なお話を伺うことができました。

この後、避難所として受け入れ先となったところや、被災地で陣頭指揮を取られた神職の方々をお招きして、一関の温泉旅館で体験談をお聞きすることができました。

 

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