相模国三ノ宮・比々多神社

被災地支援

翌22日、昨日の雨は上がりましたが、東北地方は初の真夏日となりました。

この日は、視察組と支援ボランティア組に分かれて行動をしました。視察組は、岩手県の陸前高田、大船渡、釜石、大槌町へと向かい、ボランティア組は気仙沼の支援センターに入りました。

 

支援センターで作業仕分けを待つ人たち

支援センターで作業仕分けを待つ人たち

良く聞いた話ですが、作業の仕分け、マッチングに大変時間を要しました。支援ボランティア組も体育館での写真洗い出し班と店舗の泥掻き出し班に分かれました。

気仙沼市唐桑町の体育館

気仙沼市唐桑町の体育館

体育館には、数え切れないほどの写真アルバムが所狭しと並んでいました。当方は4人、他に5人、事前から作業を行っている人たち5人を含め、14名で作業は始まりました。

写真の洗い出し作業

写真の洗い出し作業

先ずは、汚れたアルバムから写真を取り出す作業。泥水に濡れて、写真とくっついて剥がしにくいものもありました。また、アルバム毎に番号で区分して、他と混在しないように気を配りました。

次に、プラスチックの衣裳ケースに水をくみ入れ、薄いゴム手袋をはめて写真を1枚ずつ洗う作業。ぬめりや汚れが取れないものも多々あり、異臭もあってマスクは必需品でした。

続いて、写真の水気を拭き取ったうえで、乾燥機械(発電機を使用)を用いて乾燥させました。その後、簡易アルバムへのしまい込み作業で完了。

作業にあたって人たちと

作業にあたった人たちと

この人数でも、3組分のアルバムしか作業を完了することが出来ませんでした。まだまだ先の遠い長い作業ですが、アルバムを手にして喜ぶ人たちの姿を想像しながら、根気よく続けて欲しいと思います。

多くのご先祖さま

多くのご先祖さま

体育館には、津波で流された多くのご先祖さま(霊璽や位牌)が安置されていました。そっと拝み手を合わせました。

北野神社

北野神社

視察組と北野神社(気仙沼市新町)で合流しました。ここでは、菅原宮司さんから被災地の状況についてお話を伺いました。諸施設が使用出来ないことから、社務所を様々な団体の会議場所として提供されているとのことでした。

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4月には、新しい神楽殿の着工予定だったようですが、取り止めとなりました。しかしながら、氏子総代の総意により、先送りするものの工事を行うことが決まったばかりのようです。心の支えである神社の隆昌こそ、氏子地域の発展につながっていることを感じました。

日々執り行われる罹災者の慰霊祭

北野神社で日々執り行われる犠牲者の慰霊祭

 菅原宮司さんは「犬や猫がぶるぶるっと身体を揺するように、現世に生きる人の災いを大地が身を揺らして祓ったようなもの」と揶揄(やゆ)されました。

そのお言葉は、自然とともに生きてきた日本人が、自然に対する畏れを忘れ、感謝を忘れたことの戒めと咀嚼(そしゃく)しました。

派手さのない、ささやくような言葉ながら、東北人の心の強さやひたむきさを感じることのできる2日間でもありました。

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