昨日は、御嶽神社(伊勢原市伊勢原)例祭、八坂神社(平塚市上吉沢)例祭に伴う神輿御霊入れ神事を始め、地鎮祭や伐木清祓などの出張祭儀などで、出たり入ったりの一日でした。
先週末から学校も夏休みとなりましたが、今日は境内も静かな一日でした。
今年は梅雨明け同様、蝉の初鳴きが早かったものの、未だ夏の盛りの蝉時雨(せみしぐれ)とまではいかない様子です。
鳴きやめて 飛ぶ時蝉の 見ゆるなり 子規
それでも境内の隅々を気をつけて見てみると、夏の虫や小動物が活動している様子を観察することができます。
昨晩は、氏子(三ノ宮・栗原・神戸・木津根橋)の責任役員、自治会、青年会、総代が参集殿に集い、大祭(4月22日)・国府祭(5月5日)の反省会を開きました。
それぞれの立場から多くの貴重な意見をいただき、意義深い集まりとなりました。今後ご提案の意見や懸案事項について、協議・検討を重ねながら、伝統を守りつつ、よりよいお祭りになるようにしていきたいと思います。
経年や地震などの影響で建物がゆがみ、戸が開きにくくなっていた神楽殿ですが、大工さんの手により、無事修復工事(18日)が終わりました。
新築工事をとの声もありますが、しばらくは大切にしていきたいと思っています。
今朝は総代有志のご奉仕により、土建業の会社からいただいた杉の角材を運んでいただきました。
秋には酒祭(11月8日)が予定されていますが、お水取り神事を執り行う沢山(三段の滝)の整備作業などに使用されます。
日々の地道なご奉仕が長い伝統を積み上げています。
本日は神明社(伊勢原市上平間)の夏越大祓でしたが、これで兼務社の大祓も全て修めることができました。
今月は上平間の水神祭(6日:6カ所)、下平間の清水祭(13日:2カ所)がありましたが、この地区は敬神の念篤く、様々な講組織が残っています。
お宮の中にも、伊勢講奉納(昭和6年)のお賽銭箱や参宮記念(大正9年)の太鼓など、先人の赤誠(せきせい)溢れる気持ちを感じることができます。
さて、神社のご神前にはお米やお酒、野菜や果物など、数多くの献備品(けんびひん)が上がります。
当社では神前奉納の名札を墨書していますが、なるべく漢字で表記するようにしています。
茄子(ナス)、甘藷(サツマイモ)、馬鈴薯(ジャガイモ)、胡瓜(キュウリ)、南瓜(カボチャ)、西瓜(スイカ)あたりは、何とか読み書きもできると思いますが、蕃茄(トマト)、萵苣(レタス)、甘藍(キャベツ)、菠薐草(ホウレンソウ)、玉蜀黍(トウモロコシ)、甘蕉(バナナ)あたりは、かなりの難読でしょうか。
夏空の広がった本日、朝から地鎮祭が続きました。
「神主さんの服装は涼しそうに見えますね」とよくいわれますが、ご奉仕を終えると、白衣(はくい)も汗でびっしょりです。
私たち神職がおまつりで着用する服装を「装束」(しょうぞく)といいますが、大祭・中祭・小祭の区分に応じて、それぞれ正装(せいそう)・礼装(れいそう)・常装(じょうそう)と定められています。
通常、お宮参りや交通安全などのご祈祷、地鎮祭や竣工式などの出張祭典では、常装である狩衣(かりぎぬ)を用いています。
平安時代には公家(くげ)の常用の略服で、袖口(そでぐち)に括紐(くくりひも)があるのが特徴です。もとは狩猟(しゅりょう)のときに着用したものです。
白衣の数え方は「枚」(まい)ですが、狩衣は「具」(ぐ)または「領」(りょう)で数えます。因みに、袴(はかま)は「腰」(こし)です。
土手には、台湾原産の帰化植物、高砂百合(たかさごゆり)が花を咲かせました。
昨日のブログで自然災害の怖さを記しましたが、山形県を中心とした東北地方に激しい雨がもたらされ、土砂災害や低地の浸水、河川の増水や氾濫など、警戒と緊張が続くようで、被害がもたらされないよう祈るばかりです。
当地でも大気が不安定な状態になっているようで、激しい雨や落雷、突風などには注意をしたいと思います。
さて、社務所では来週23日に迫った「第41回中・平塚・伊勢原連合神社総代会総会」に向けて、追い込みの準備中です。
今日は総会の冊子や被表彰者の記念品などが納入され、管内の神社に役割や準備内容の連絡をいたしました。
早くも、新年に頒布(はんぷ)する御札・御守・縁起物などの授与品について、奉製業者と打ち合わせをしました。
来年は、平成26年(皇紀2674年・西暦2014)甲午歳(きのえうまどし)平年(へいねん)で、明治以来147年、大正以来103年、昭和以来89年となります。
3連休を海や山の行楽地で過ごされた方も多いと思いますが、今年も来宮神社(静岡県熱海市)の例祭(14-16日)で、禰宜(ねぎ)が助勤(じょきん)奉仕をいたしました。
富士山の世界遺産登録に沸く静岡県では、道路の渋滞状況も例年以上だったように感じました。
さて、富士山は信仰の歴史や文化的価値も含めて世界遺産に登録されましたが、構成資産には北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)、富士山本宮浅間大社(以下、静岡県富士宮市)、山宮浅間神社、村山浅間神社、須山浅間神社(静岡県裾野市)、冨士浅間神社(須走浅間神社:静岡県小山町)、河口浅間神社(以下、山梨県富士河口湖町)、冨士御室浅間神社、と神社が八社も含まれています。
ご存じかどうか、富士山の八合目以上は富士山本宮浅間大社の境内地であり、頂上には奥宮が鎮座しています。
面白いことに、前述の八社と八合目、〝八〟はお鉢めぐりのはち、また末広がりを表し、八の字自体が裾野を広げるお山の形、向拝(こうはい)の社殿の形(上の写真)にも思えます。
〝富士山は登るものでなく拝むもの〟という人もいますが、神さまのふところにむかって登拝するので、慎みの気持ちが大切です。当然のことながら、清浄を旨とする神域において、ゴミは出さないどころか、拾うくらいの行動も必要です。
今日は神社で、「富士山の登拝着をお祓い(お焚き上げ)して欲しい」という依頼がありました。この方は上記のような心持ちだったのでしょうか。
消防庁によれば、6月の熱中症による救急搬送車数が4265人に上り、昨年同月比の2.3倍であることを発表(16日)しましたが、新生児(0%)や乳幼児(1.4%)はほとんどなく、少年(14.5%)、成人(34.7%)、高齢者(49.4%)となるほど多いのがわかります。
世の中で怖いものを順に挙げると「地震、雷、火事、親父」という故事が思い出されます。戦後は家族の中でもっとも権威の落ちた親父は別として、自然災害の恐怖は最たるもので、暴風、豪雨、豪雪、洪水、津波、噴火と聞いただけでも恐ろしい限りで、前述の高温などの気象異常も同様です。
便利な生活に慣れ親しんだ都会生活ほど、天災への対応の遅れや人災を大きくするものです。
古(いにしえ)より、神さまに込められた畏(おそ)れと感謝という祈り、自然との共生について考える機会になればと思います。
今年で第4回目とる「一心泣き相撲比々多場所」のご案内です。
昨年同様、敬老の日の9月16日(月・祝日)に開催となります。
比々多場所では、A 11:00~、B 11:30~、C 12:00~、D 12:30~、E 13:00~、F 13:30~となっていて、100名限定となっていますので、お早めにお申し込みください。
*詳しい内容につきましては、一心泣き相撲実行委員会の公式サイトをご覧ください。
13日(土)・14日(日)は真田のお天王(てんのう)さん。
真田神社(平塚市真田)は近郷では名高い旧郷社で、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と称し、明治3年には八坂神社と改称、明治9年に地名の真田神社となりました。
石橋山の戦い(1190年)で、源頼朝に呼応して兵を挙げた真田与一(さなだよいち)所在の氏神さまです。
真田は天平5年(733)、聖武天皇より荘園を賜った地と伝わっています。
農耕の盛んな地で、現在でも大祭には沢山の野菜がご神前に上がります。
往事は農具市やほおずき市で賑わいをみせていました。
宵宮(よいみや)には、神輿を担ぐ「どっこい、どっこい、どっこいそうりゃ」の勇ましい声、「よいやさ、よいやさ」と子供神輿の賑やかな掛け声が響きわたっていました。
猛暑の暑さ以上に盛り上がりを見せた真田のお天王さんでした。
本日は兼務社のおまつりが続きました。
御嶽神社(伊勢原市伊勢原)では、明治23年(123年前)に奉納された石造りの大きな灯籠(とうろう)が、経年により事故の恐れもあることから、21日の例祭を前に取り壊すことになり、厳粛に清祓を執り行いました。
また、稲荷神社(伊勢原市下平間)の氏子では清水祭、そして真田神社(平塚市真田)では例祭前日の動座祭(宵宮)と、夏本番のおまつり日となりました。
早朝から池さらいと用水路の清掃を終えた下平間の皆さんは、7月13日に清水祭を行うのが昔からの良き風習となっています。
池の水神さまと水口となる隧道(ずいどう)において水神祭を行っています。
現在は相模川西部用水により、取水は潤沢になっていますが、その昔は〝 我田引水 〟ではありませんが、水の争いがつきなかったと思います。
農家の助け合いの精神は〝 相互扶助の文化 〟とでもいいましょうか、水神さまを中心に生活を営むこの様子が、伊勢原市のウエブサイトに掲載されるそうです。
真田神社のおまつりの様子はあらためて掲載いたします。
境内に山百合(やまゆり)の芳香が漂い始めました。
神奈川県の県の花に指定されていますが、その華麗な姿から百合の王様と呼ばれるそうです。
また、手水舎(てみずや)前の由緒板の足下に、鬼百合(おにゆり)も花を咲かせました。
鬼百合か小鬼百合(こおにゆり)か判別していませんが、鬼百合ならば、茎に零余子(むかご)ができるようなので、じっくり観察してみたいと思います。
産卵・抱卵の時期を終えたのでしょうか。今日の境内には、雌(めす)の雉(きじ)が単独でやってきました。
早歩きが得意な鳥なので、残念ながら撮影は出来ませんでしたが、人間とはと異なり、瞼(まぶた)は上下でなく左右に閉じるそうです。
記紀神話(ききしんわ:『古事記』と『日本書紀』)には、「天つ神の命を受けて天降った天若日子(記 あめわかひこ:紀 天稚彦)が8年も音沙汰(おとさた)がないので、事情を問うために遣わされた雉が矢で射られてしまった」ことから、行ったきりで帰らない使者を〝 雉(きぎし)の頓使(ひたづかい)〟というと記されています。また、使者に従者をつけずに遣わすことを忌(い)んでいう諺(ことわざ)といわれます。
〝 雉も鳴かずば打たれまい 〟という言葉もありますが、無用なことをいわなければ禍は招かないですむものです。