昨日は立夏、神職の装束も夏用に替わりました。
これが国府祭報告の最後です。
さて、神揃山(かみそろいやま)では相模国の有力大社(五社)による発輿祭(はつよさい)が行われ、総社・六所神社の待つ大矢場(おおやば=逢親場)へ一之宮から順に向かいました。
今年は一之宮の神輿の大修理が施され、二之宮・八幡宮・六所神社で大神輿渡御が行われました。
三之宮・四之宮も揃って、大神輿の連合渡御をとの声も挙がっていますが実現するでしょうか。
奈良・平安時代、国司(こくし)が祭り主として行った国府祭は、神祇(じんぎ)制度と国の行政であり、祭政一致そのものでした。
武家政権に移りゆく中で、幕府所在国として特段の崇敬と保護を加えられた点においても、伝統が継続された価値が見出されます。
前出の有力五社からは七度半の遣いとして、総社に奉迎使(ほうげいし)が向けられます。
大磯町長が国司に扮して儀式は進められますが、「七十五膳献上」(しちじゅうごぜんけんじょう)といって、五社の神さまにお供え物が供えられ、五社のご分霊(ぶんれい)である守公神(しゅこうしん)を総社に納める儀式「神納対面」(しんのうたいめん)が例年通り行われました。
実際に国司が各社を巡拝すると日数も費用も掛かるため、五社の神さまのご分霊を総社におまつりすることにより、国司の負担は減るとともに、国府祭は盛大な行事となっていきました。
国司による各社参拝「国司代奉幣」(こくしだいほうべい)、総社による各社参拝「神裁許の儀」(しんさいきょのぎ)により、今年も五穀豊穣と国の安寧の祈りが込められました。
道中伊勢原に設えられた行在所において、商工や観光振興、商店会関係者多数が参列し、その安全と発展、祭政一致の願いが捧げられました。
暫しの休憩ののち、無事めでたくお宮に戻り、神さまにお社へお帰りいただきました。
多くの関係各位に感謝御礼申し上げます。