2010年3月5日 のアーカイブ

番付表

2010年3月5日 金曜日

三之宮郷土博物館には、板に書かれた古い番付表が保存されています。東の大関は雲龍久吉(柳川)、西の大関は境川浪右エ門(桑名)。残念ながら年号部分が不明ですが、力士の番付を見る限り、安政6年(1859)正月のようです。

【前年の9月は、井伊直弼(いいなおすけ)による安政の大獄(たいごく)が始まり、翌年は桜田門外の変が起きた年です。】

安政年間の番付表

安政年間の番付表

当時は大関が最高位ですが、雲龍・境川ともに横綱免許でした。江戸相撲では、吉田司家(よしだつかさけ)が相撲の全権をもち、横綱免許をはじめ行司の最高位である立行司の免許、仕切りなどの礼作法様式も定めていたようです。

昭和25年に、日本相撲協会が横綱審議委員会(横審)を発足させるまで、横綱免許は続きましたが、それまで吉田司家から免許を得ていない力士は歴代の横綱には数えられていません。

相撲の世界には、力関係や派閥争いが存在し、古い体質を非難する向きも多いですが、歴史と伝統を維持する上で苦労を重ねてきたが故に、他の競技にはない人気や楽しさが存在するのかもしれません。

3月1日発表の番付表が片男波部屋から届きました

3月1日発表の番付表が片男波部屋から届きました

横綱には特権が与えられるわけですから、心技体が整っていてこそはじめてその大きな責務を果たせるわけです。

春の大阪:玉乃島(中央)は前頭4枚目、玉鷲(左)は前頭4枚目

春の大阪:玉乃島(中央)は前頭14枚目、玉鷲(左)は前頭4枚目

 今夏、泣き相撲の開催(仮称「一心泣き相撲 比々多場所」)を計画しています。人生には折々の節目がありますが、“赤ちゃんの卒業式”という意味合いで行います。詳細はあらためてお知らせいたします。