2016年10月 のアーカイブ

墓石に歴史

2016年10月11日 火曜日

三連休最後の昨日は久しぶりに雨の心配がなく、行楽に出掛けたり、体育の日で運動をして過ごすには絶好の日和(ひより)だったと思います。

社頭も参拝者の絶えない一日となりました。

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さて、昨日は約一年前にお隠れになった故人のお宅で一年祭が営まれ、続いて真言宗の古刹(こさつ)において墓前祭をご奉仕しました。

神社では墓地を有していないため、霊園や個人墓地あるいは共同墓地に埋葬となる場合が多いですが、宗派によっては寺院の境内墓地に埋葬されることもあります。

当家では歴代住職の墓地と並ぶ高い位置に墓所を構え、古びた多くの墓石が連なっていることから、檀家の中でも力の及ぶ家柄であったと思われます。

様々な墓石に歴史を感じた一時でした。

楽屋

2016年10月10日 月曜日

更衣(ころもがえ)後も汗ばむような日が続きましたが、乾いた空気に包まれた秋らしい日となりました。

私たち神職が身に付ける装束(しょうぞく)も、ようやく湿気から解放されそうです。

林先生の驚く

林先生が驚く初耳学! 「まが玉祭の映像」

さて、昨晩放送の『林先生が驚く初耳学!』(9日22:00TBS系列放送)において、「楽屋」(がくや)の言葉の由来について説明する場面で、当社「まが玉祭」の雅楽(ががく)演奏の画像が紹介されました。

出番を待つ役者などが衣裳(衣裳)を着替えたりする準備の部屋を楽屋といいますが、もともとは雅楽の楽人(がくじん)が奏楽(そうがく)する場所をいったそうです。

他にも雅楽に由来する言葉では、「二の句(にのく)がつげない」「千秋楽(せんしゅうらく)」「打ち合わせ」「打ち止め」「音頭(おんど)を取る」などがあります。

成長は実り

2016年10月9日 日曜日

午前中は局地的な激しい雨が降りましたが、南金目神社(平塚市南金目)では例祭、真田神社(平塚市真田)では月次祭がありました。

真田神社では月次祭に合わせて総代さんが境内の清掃奉仕をしていますが、今日の清掃は取り止めとなり、式後の直会(なおらい)では「現任期の中で月次祭の雨は初めて」と話をされました。

真田神社

真田神社

今日は三連休の真ん中で大安吉日、雨の影響があったものの、初宮参りや七五三参り、御朱印参拝など、今年の秋一番の人出となりました。

これからようやく秋晴れの日が続きそうですが、頭(こうべ)を垂れた秋田の実りと同様、子供の成長は実りそのもの、七五三参りで賑わう社頭が楽しみです。

おめでとうございます

おめでとうございます

神輿御神霊入れ

2016年10月8日 土曜日

二十四節気の一で「寒露」(かんろ)となりましたが、9月から週末の度に雨が降り、今日も市内では幼稚園の運動会が延期となりました。

明日は市内7地区で地区学区体育祭が予定されています。

青柳地区

青柳地区

さて、今年の兼務社例祭も明日で仕舞(しまい)となります。

明日の南金目神社(平塚市南金目)例祭にあたり、青柳地区と川前地区で神輿(みこし)の御神霊(みたま)入れ神事のご奉仕がありました。

川前地区

川前地区

どちらの地区も青竹が四方に立てられ、注連縄(しめなわ)が張られた祭場内に大人神輿と子供神輿が気持ちよく真っ直ぐに据(す)えられていました。

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賑やかに楽しく、秋らしい天候のもと、和やかな祭礼となることをお祈り申し上げます。

憲法改正を考える

2016年10月7日 金曜日

今日は神道政治連盟神奈川県本部の結成45周年記念式典並びに記念講演会が横浜・杉田劇場ホールにおいて開催され、県内各地から神職・総代・氏子関係者が多数集いました。

第1部式典では開会儀礼に続き、これまでの功績に対する個人・団体の記念表彰、財政的支援による神社の表彰が行われました。

また、ご来賓の国会議員や神政連中央本部、神社本庁、そして関係団体からお祝いの言葉が述べられました。

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第2部では、埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏をお迎えして、「憲法改正を考える~わが国の伝統を踏まえて~」と題した記念講演が行われました。

主権の存在しない占領状態に、非合法的手続きのもと成立した憲法は、「近代憲法としてあり得ない、むごたらしい残酷物語、忘れない事実として我々は刻む必要がある」とその欠陥を指摘されました。

また、第1条と第9条を例に挙げて、高い知識と深い思慮でその内容の欠陥性を説かれました。

一方で、我が国の国体というべき天皇の御存在、天皇と国民の関係について述べられ、「ある意味〝象徴〟は元首以上に重い意味が込められている」と、不変の真理について考える機会となりました。

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今後国会において憲法論議が深まることが予想されます。

我が国の誇りある歴史伝統に基づいた、世界に恥じない美しい憲法をつくるため、私たちは正しい歴史的事実を認識する必要があります。

枝下ろし

2016年10月6日 木曜日

台風18号による影響が心配されましたが、お蔭様で大事に至らず安心しました。

境内の森では団栗(どんぐり)や銀杏(ぎんなん)など、成熟した木の実(このみ)が実りとなって落ちています。

今後秋が更に深まっていく予感です。

木実青かりし昨日のけふとなる 誓子

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さて、今日は高所作業車を用いて、枯れ枝を下ろす作業を行いました。

重機による大掛かりな作業につき、数年に一度の事ですが、参拝者の安全管理の面でも大切な仕事です。

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酒祭は11月9日

2016年10月5日 水曜日

古く奈良の御代(みよ)に御祭神としておまつりされた「酒解神(さかとけのかみ)」を称(たた)えて神恩(しんおん)に感謝し、新酒の醸造安全、酒を商い、嗜(たしな)む人たちの繁栄を祈る「酒祭(さかまつり)」(11月9日)を今年も執り行います。

お水取り神事 沢山祭場

お水取り神事 沢山祭場

当日早旦(そうたん)、栗原(くりばら)地区の沢山(さわやま)に入り、三段の滝でお水取り神事を執り行います。

その後神社に戻り、神器(しんき)である「うずらみか」に御神水を注ぎ、酒祭を斎行します。

授与所では酒類業や飲食業の商売繁昌、禁酒や酒難除けの守札(しゅさつ)を頒布しています。

相模國式内社の會

2016年10月4日 火曜日

昨日は菊華会の役員さんが来社され、今月27日(木)に菊小屋立て・菊の搬入などの準備が行われることになりました。

七五三参りの晴れ姿も映える、品位ある菊の展示が今から楽しみです。

寒川神社

高座郡 寒川神社 (現寒川町)

さて、本日は「相模國式内社の會」総会が寒川神社において開催されました。

平安中期には弘仁式(こうにんしき)、貞観式(じょうがんしき)を経て全50巻の延喜式(えんぎしき)という法制書が大成され、その第1巻から10巻までは神祇祭祀(じんぎさいし)について記されています。巻9・巻10を「神名帳」(じんみょうちょう)といい、そこに記載された3132座(2861社)を「式内社」「延喜式内社」といいます。

餘綾郡 川勾神社 (現二宮町) 

餘綾郡 川勾神社 (現二宮町) 

律令制下では、五畿七道(*ごきしちどう)という大きな行政区分があり、奈良時代から江戸時代までは令制(りょうせい)のもと66国が置かれ、中央から派遣された国司が国を治めました。

*五畿~大和、山城、摂津、河内、和泉 *七道~東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、西海道、南海道

東海道に属する相模国(さがみのくに)は、13座(大1座・小12座)の式内社が記載されています。

足上(あしがらかみ)郡は寒田(さむた)神社、餘綾(よろぎ)郡は川勾(かわわ)神社、大住(おおすみ)郡は前鳥(さきとり)神社・高部屋(たかべや)神社・比比多神社・阿夫利(あふり)神社、愛甲(あいこう)郡は小野神社、高座郡(たかくら)郡は大庭(おおば)神社・深見神社・宇都母知(うつもち)神社・寒川神社・有鹿(あるが)神社・石楯尾(いわたておの)神社です。

高座郡 石楯尾神社

高座郡 石楯尾神社 (現相模原市)

本年度も式内社巡拝研修が実施される予定(3月末)で、来年の第40回の節目として記念事業についての議論もなされました。

水始涸

2016年10月3日 月曜日

伊勢原観光道灌まつり(1日・2日)は2日間とも天候に恵まれ、多くの人出で賑わいました。

締めくくりの神輿渡御(みこしとぎょ)は威勢良く最高の盛り上がりを見せ、万灯神輿(まんどうみこし)の提灯(ちょうちん)が幻想的(げんそうてき)に揺らめいていました。

万灯神輿

万灯神輿

さて、秋分の末候で「水始涸(みずはじめてかるる)」(田の水を抜いて稲刈りの季節)となり、近隣の稲作農家でも農繁期を迎えています。

田んぼに黄金色に輝く稲が刈り取られ、稲架掛け(はさかけ)された様子は何とも美しい原風景です。

神社下の御神田(ごしんでん)では、今年は「正祭」「慰霊祭」(10月16日)の日に、神奈川県神道青年会による稲刈りが行われます。

荷田春満と五霊社

2016年10月2日 日曜日

昨日は市内で開催されている第49回伊勢原観光道灌まつりにあたり、墓所である大慈寺(伊勢原市下糟屋)と洞昌院(伊勢原市上粕屋)において、文武両道に秀でた太田道灌公の遺徳(いとく)を偲び、墓前祭(ぼぜんさい)が執り行われました。

今日は兼務する八剱神社(平塚市上吉沢)と五霊神社(伊勢原市上粕屋)で例祭のご奉仕がありました。

五霊神社 例祭

五霊神社 例祭

社伝によると、五霊(ごりょう)神社は大同(だいどう)元年(806年)の創建で、旧社地は三ノ宮地内の御領原(ごりょうはら)に鎮座していました。

平安時代には三ノ宮の地に国府が置かれていたと考えられ、国司による御霊会(ごりょうえ=死者の怨霊(おんりょう)を鎮めるためのまつり)が行われていたものと考えられます。

この五霊神社には、太田資長命(おおたすけながのみこと=太田道灌公)が合祀(ごうし)されています。

宝永7年(1710年)に現在の七五三引(しめひき)の地に遷座(せんざ)しましたが、その祭典において祝詞(のりと)を奏上したのが、賀茂真淵(かものまぶち)・本居宣長(もとおりのりなが)・平田篤胤(ひらたあつたね)とともに「国学の四大人」といわれる荷田春満(かだのあずままろ)です。

五霊社解除祝詞 荷田春満

五霊社解除祝詞 荷田春満

社殿を新たに造営するにあたり、「邪心(よこしまごころ)なく、穢(けが)れなく、咎(とが)もなく、祟(たた)りもなく、御恵(みめぐみ)と御徳(みいつ)により」と、無事を祈る斎主(さいしゅ)としての心情が祝詞に表れています。

昔から〝見るなの禁〟〝目がつぶれる〟といわれるのが神さまの鎮まる本殿(ほんでん)であり、清浄(せいじょう)を期(き)した宮司であっても、大祭の祭儀のみでしかその扉(とびら)を開くことはできないものです。

この宝永の造営時の墨書(ぼくしょ)には〝神主と雖(いえど)も開けるべからず、一国一郷(いっこくいちごう)の災難起こるべし〟とあり、後生(こうせい)に託(たく)す秘(ひ)すべき戒(いまし)めの言となっています。

今日の例祭に併せて、「戦没者慰霊祭」を毎年行っていますが、招魂(しょうこん)する英霊(えいれい)は五柱であり、「五霊神社」「御領原」「御霊会」の語と相俟(あいま)って、その関係の不思議さに恐れ畏(かしこ)むばかりです。