昨夕、本日と葬儀場において神道の葬儀「神葬祭」(しんそうさい)のご奉仕がありました。
俄(にわか)に設えられた斎場は、遺族や会葬者の悲しみの気持ち、慈しみの心、優しい愛情に包まれていました。
日頃、私たちは「食べたい」「眠りたい」「○○したい」・・・など、〝 欲 〟を抜きには生きられません。それが生きる源、希望や活力となっているからです。
一方で、故人にはその〝 欲=我 〟が失われます。
ご神前には、神さまの象徴である「神鏡」(しんきょう)が置かれますが、鏡はその姿を写すことから「正直」の意といわれます。
みな人のこころもみがけ千早(ちはや)ぶる神のかゞみのくもる時なく
- 後醍醐天皇 『 続後拾遺集 』 -
冗談話ですが、かがみの「が」(我)を取ると「かみ」になります。
私たちは、学業や仕事、スポーツなどに欲を以て取り組みますが、真剣で夢中な姿からは欲が感じられず、むしろ美しいものです。
心静かにご先祖さまと向かい合い、頭を垂れて御霊を慰めることにより、心の穢れが払拭され、正直の生き方が実践できるのです。