2012年6月3日 のアーカイブ

第1回神社検定

2012年6月3日 日曜日

本日は日曜日の大安で多くの初宮参りで境内が賑わいました。

また、地鎮祭や出張結婚式(元湯陣屋)などがありました。

洋装での神前結婚式

洋装での神前結婚式  誓詞(ちかいのことば)

さて、以前のブログ(2/26)でご紹介いたしましたが、本日第1回の神社検定が開催されました。

「日本のこころ」の再発見を趣旨として、国内38ヶ所の会場で行われ、6千人超の申込みがあったようです。当社の氏子崇敬者も2名試験を受けましたが、8月上旬の結果発表まで合格を祈るところです。

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今回は「参級」検定でしたが、来年はこれに加えて「弐級」、再来年は「壱級」もあるそうです。

神社(神道)は昔から公共性がもっとも高く、自然との共生、農林水産業はもとよりあらゆる産業や日々の生活と密着しています。東日本大震災でも神楽やお囃子、神輿、山車などの「まつり」が地域の結びつきの中心であることが再確認されました。

しかしながら、学校教育では「神話」を教える機会もなく、そういった意味で神社振興・活性化はもとより、日本文化再発見への期待が高まります。

テキスト 『神社のいろは』

テキスト 『神社のいろは』

公式サイトには例題が掲出されていますが、本日出題(100問)のうちの一部を紹介いたします。

(問80)天孫降臨(てんそんこうりん)の段です。実際に葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるために天降ることになった神様は日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)でした。この神様のお名前の意味はどれが正しいでしょうか。

1.容貌がにぎにぎしく晴れやかな子    2.火のように明るい子

3.稲穂がにぎにぎしく実る太陽の子    4.才能あふれる芸術の子

(問83)『日本書紀』では、天照大神(あまてらすおおみかみ)は天孫降臨(てんそんこうりん)に際し、鏡、勾玉(まがたま)、剣の三種の神器を与えて「この鏡は私だと思って同じ御殿に祀(まつ)りなさい」との「神勅(しんちょく)」が下されたとしていますが、この神勅を何というでしょうか。

1.天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅   2.斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅

3.豊鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅    4.神籬磐梯境(ひもろぎいわさか)の神勅

テキスト 『神話のおへそ』

テキスト 『神話のおへそ』

解りましたか?

(答80)3  (答83)3

心の教育・女性フォーラム

2012年6月3日 日曜日

昨日は土曜日で、ご祈祷や年祭(祖霊祭)などもありましたが、大きな行事が2つ重なりました。

1つは「春の大運動会」(比々多小学校)。禰宜がPTA会長のお役目で出掛けました。

子供たちの一所懸命に頑張る姿に、多くの元気をもらいました。保護者はもちろんのこと、地域の方々も大勢駆けつけていただき、演技や競技に大きな声援と拍手を送りました。

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2つ目は「心の教育・女性フォーラム」(横浜・関内ホール)。東京・大阪・愛知・広島・京都・岡山・愛媛に次ぐ8回目の開催で、神社から婦人会を含め6名が参加しました。

心の荒廃が社会問題視される中、女性の視点や感性から家庭教育の重要性や心の教育について考えるシンポジウムでした。

500名を上回る参加者

500名を上回る参加者

髙橋史朗氏(明星大学教授・一般財団法人親学推進協会理事長)による「脳科学から見た日本の伝統的子育て」という基調講演では、虐待児の半数以上、引きこもりの3割弱が発達障害であり、障害児にテレビやDVDのない生活を用意し、豊かな言葉や「あやし」「笑わせ」「高い高い」などを実施することにより改善が見られることの報告を披露されました。

また、伝統的な子育て「しっかり抱いて 下に降ろして 歩かせろ」や「三つ子の魂百まで」、什の掟(じゅうのおきて・日新館)「なぬものはならぬ」、茶道や武道における自立までの段階「守・破・離」などを引き合いにして、家庭の躾、親学の重要性を説かれました。

パネルディスカッション

パネルディスカッション

後半はパネルディスカッションで、コーディネーターに安倍・福田両政権で教育再生担当の総理大臣補佐官をつとめた山谷えり子氏(参議院議員)、シンポジストに髙橋史朗氏、全国の教員1万人以上が参加するTOSS(教師としての優れた教育技術を法則化運動する団体)代表である向山洋一氏、文部科学大臣政務官として教育基本法改正に尽力した有村治子氏(参議院議員)、高校教諭・横浜市教育委員などの経験から教育問題に詳しい義家弘介氏(参議院議員)という豪華メンバーで、親の役割や家庭教育などについて熱い議論が交わされました。

教育は学校教育・社会教育・家庭教育からなりますが、新教育基本法にはようやく家庭教育の重要性が明記され、教育の一義的責任は親にあることが明確となりました。子供とともに育つ親学をいよいよ推進する時だと思います。