午前中は、地鎮祭や井戸埋清祓と外の祭典がありましたが、昨日同様に夏のような暑さとなりました。
午後になって薄曇りとなりましたが、まだ慣れぬ暑さでこまめに水分を摂取するようにしたいものです。
昨日は「まが玉祭」の準備でテントを7張立てましたが、今日は社殿前に特設舞台を設(しつら)えました。
明日の午前中は雨の予報ですが、順調に準備も進んでいます。
お蔭様で、富くじの景品(協賛品)も集まってきています。
午前中は、地鎮祭や井戸埋清祓と外の祭典がありましたが、昨日同様に夏のような暑さとなりました。
午後になって薄曇りとなりましたが、まだ慣れぬ暑さでこまめに水分を摂取するようにしたいものです。
昨日は「まが玉祭」の準備でテントを7張立てましたが、今日は社殿前に特設舞台を設(しつら)えました。
明日の午前中は雨の予報ですが、順調に準備も進んでいます。
お蔭様で、富くじの景品(協賛品)も集まってきています。
昨日の強風で社殿内にも埃(ほこり)が舞い込みましたが、お蔭様で晩の雨で樹木にもしっとりとした潤いが見られます。
先週のブログにも記しましたが、今年は昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が崩御(ほうぎょ=お隠れになること)されてから満100年です。
明治神宮の御苑(ぎょえん)は、これから花菖蒲(はなしょうぶ)の季節を迎えますが、明治天皇が昭憲皇太后のためにお植えになられたそうです。
当社の石垣の下を流れる小川には、明治神宮の御苑から分けていただいた野花菖蒲がいつのまにか花を咲かせました。
例祭(4月22日)、国府祭(5月5日)が雨に降られたこともあり、今年のまが玉祭は何とか晴れを祈るところです。
ここ数日、新しい道路の建設に伴う環境調査が、当社駐車場で実施されています。
鎮守の杜では早い時間から鳥のさえずりを耳にすることができますが、一日の調査で20~30種もの鳥の確認ができるようです。
市内のタウン誌には、週末(17日・18日)の「まが玉祭」情報が告知されていますが、観光ガイドブックとして知られる『るるぶ』(JTBパブリッシング)の「伊勢原市版」が今夏発行されることになり、半日にわたって記事の取材がありました。
*まが玉祭情報 るるぶ.com
神奈川県では横浜・鎌倉・箱根という国際観光地に続く第4の国際観光地として、「城ヶ島・三崎」「大山」「大磯」の3地域を〝 新たな観光の核づくり構想 〟 地域として認定(平成25年2月15日)しました。
昨年一般社団法人化した伊勢原市観光協会では、歴史や伝統、自然の魅力溢れる伊勢原の情報を、以前にも増して発信しています。
*まが玉祭情報 伊勢原市観光協会
本日は所管二十二社の一、真田神社(平塚市真田)の月次祭(つきなみさい)でした。
真田神社の鳥居について、『神奈川新聞』(4月24日)に記事掲載がありましたのでご紹介します。
古くは牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)といわれ、近郷では名高い郷社(ごうしゃ)で明治3年八坂神社と改称、明治9年には地名の真田神社となりました。
石橋山の戦いで挙兵した真田与一義忠所在の氏神さまで、〝 真田のお天王さん 〟として知られるお祭りは7月13日(日)です。
与一が喘息(ぜんそく)を治すためにホオズキの根を煎じて飲んでいたことから、祭礼にホオズキ市が立ったといわれています。
お蔭様でフェイスブックへの「いいね!」が550件を超えました。
拙ブログ同様、今後も様々な情報を発信していきたいと思っていますのでご笑覧ください。
さて、まが玉祭(17日・18日)における「書道展・華道展」の出品作品が今年も沢山集まりました。
子供たちの感性溢れる伸びやかな作品に触れて、暫(しば)し心が和みます。
ここでは一部しか紹介できませんが、どうぞお越しの上ゆっくりとご覧ください。
蛙の鳴き声とともに近隣の農家では田植えの準備が始まりました。
午前中、神奈川県神道青年会(ホームページ・フェイスブック)の稲作事業として、育苗(いくびょう)箱に稲の種籾(たねもみ)を蒔(ま)きました。
来る6月8日(日)に、神社下の御神田において「御田植ゑ」が行われます。
この御神田では、当社の注連縄(しめなわ)や粽行事に用いる俵用の稲藁(いなわら)もつくられています。
さて、今日も「まが玉祭」の準備を少しずつ進めました。
18日(日)の締めくくりは「富くじ抽選会」(17:00-18:00)です。
富くじに参加するには、17日(土)13:00-16:00、18日(日)10:00-16:00に、鳥居をくぐった左手の案内所において、「緑の杜基金」にご協力ください。
ご協力の方には富くじを1枚差し上げます。(1人1枚限り)
富くじには松・竹・梅・鶴・亀と1~99の番号が記されていて、突き手役が箱の中の富札(とみふだ)を1枚ずつ突きながら抽選会が進みます。
景品は家電製品やお米、野菜、食料品、生活雑貨品など、豊富に準備していますので、是非ともご参加ください。
気づかないうちに梅が随分と大きくなりました。今年は実の数も多そうです。
今日で国府祭の片付けや整理が大方済みました。
と同時に、「まが玉祭」の10日前となり、必要物品の手配や依頼など、例年の事ながら慌てて進めています。
「まが玉祭」は当社のご祭神・天明玉命(あめのあかるたまのみこと:玉造りの神さま)を称(たた)えて、新緑の杜(もり)が最も美しいこの時期に開催しています。
そして、参画団体(武道や芸能など)にとっては、日頃の鍛錬を発表する場として定着してきています。
今年は明治天皇の皇后(こうごう)・昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が崩御(ほうぎょ=お隠れになること)されて満100年を迎えました。
みがかずば 玉の光は いでざらむ 人のこころも かくこそあるらし
この御歌(みうた)は明治神宮に本日掲げられているものですが、〝日々の努力〟の大切さを諭(さと)してくれるものです。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の〝 岩戸隠れ 〟(いわとがくれ)の神話では、当社ご祭神・天明玉命(*)が三種の神器(さんしゅのしんき)の一つ「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)を作り、同神器の「八咫鏡」(やたのかがみ)とともに榊(さかき)に懸けられました。
*『古事記』では玉祖命(たまおやのみこと)と記され同神とされる
勾玉(曲玉)は古代の装身具(そうしんぐ)ですが、胎児(たいじ)の形に似ることから子授け・子育てなど、古くから不思議な霊力(れいりょく)を発揮するものと信じられてきました。
まが玉祭では大人気の「まが玉づくり講座」を開催しますので、是非とも今に生きる古代文化の魅力を味わってください。
大型連休の最終日、道路や鉄道、空の便など、ふるさとや行楽地で過ごした人たちの帰省集中となり、お疲れの向きもあろうかと思います。
当社では初宮参りや交通安全祈願などの合間、国府祭の片付けや整理となりました。
気象条件などもあってか、今年の国府祭は5500人の減(警察発表)とのことです。
さて、本日は地鎮祭の他、吾妻山(ゴルフコース)におまつりされる吾妻社のご奉仕がありました。
お山は急な斜面であり、ホール内につき危険も伴うため、あらかじめ管理者が清掃とお参りを済ませた上で、地権者とゴルフ場関係者がハウス内に参列して、「遙拝式」(ようはいしき)を執り行いました。
吾妻神社(あづまじんじゃ)には、日本武尊(やまとたけるのみこと)の后(きさき)・弟橘媛(おとたちばなひめ)がおまつりされています。
『古事記』の東征(とうせい)神話には、倭建命(やまとたけるのみこと:『古事記』の表記)が相模の走水(はしりみず:横須賀市)から上総(かずさ:千葉県)に渡る際、荒浪(あらなみ)に遭ったところ、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと:『古事記』の表記)が入水して海神を鎮めました。
さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも (『古事記』)
これは「相武の国造(くにのみやつこ)に騙(だま)されて、火を放たれた時にも私の身を按じてくれた貴方」という倭建命を慕う別離の和歌です。
東国平定(とうごくへいてい)を成し遂げた倭建命は、足柄の坂本で「吾妻はや」と妻への尽きぬ嘆きを発しますが、これより東国を東(あづま=吾妻)というようになったそうです。
ぽつりぽつりと雨が落ち始める中、神揃山(かみそろいやま)から大矢場(おおやば)へと斎場が移りました。
総社・二宮・八幡宮では今年も大神輿での渡御(とぎょ)となりましたが、平成30年には「各社揃い踏みで大神輿による渡御を」との声も上がっています。
大矢場斎場の馬場公園には、各社の囃子太鼓が賑やかに響きわたりました。
昔は農具市や見世物小屋が立ち、一年に一度の楽しみだったようです。
現在では多くの露店が出て、家族連れや子供たちで賑わいをつくっています。
さて、七度半のお遣いといわれる各社の奉迎使(ほうげいし)により、総社の神さまを斎場にお迎えしました。
平安装束(へいあんしょうぞく)を身にまとい国司(こくし)に扮(ふん)する大磯町長とともに、神祇(じんんぎ)制度あるいは、国の行政を物語る祭政一致の神事「国司祭」(こくしさい)が繰り広げられました。
「七十五膳献上」(しちじゅうごぜんけんじょう)といわれる五社へ神饌(しんせん:神さまへのお供え物)が供えられた後、各社のご分霊「守公神」(しゅこうしん)を総社に納める儀式「神納対面の儀」(しんのうたいめんのぎ)が執り行われました。
任官した国司が国内の有力大社を巡拝するには、莫大(ばくだい)な費用や人数、日数などがかかることから、ご分霊を総社におまつりして国府祭が始まりました。
その後、「国司代奉幣」(こうしだいほうべい)、「神裁許の儀」(しんさいきょのぎ)が執り行われ、大矢場での神事を無事終えました。
お参りの方々には神揃山同様、各社の粽(ちまき)が頒布(はんぷ)されました。
「逢親場」とも表される大矢場ですが、逢瀬(おうせ)を楽しみつつ、今度は八幡宮から順に各社へ還御(かんぎょ)となりました。
大矢場からの道中、伊勢原の行在所(あんざいしょ)で休息を取ります。
今年も観光協会や商工会、商店会などのお出迎えを受けて、「着御祭」(ちゃくぎょさい)を執り行いました。
夕方は冷え込んで来ましたが、青年たちは勢いが衰えることなく、神戸(ごうど)からお宮に向かって神輿を担ぎました。
無事に宮入りを迎え、1300有余年の伝統をまた一つ重ねることができました。
ご協力の皆さまに感謝御礼申し上げます。