相模国三ノ宮・比々多神社

吾妻はや

大型連休の最終日、道路や鉄道、空の便など、ふるさとや行楽地で過ごした人たちの帰省集中となり、お疲れの向きもあろうかと思います。

当社では初宮参りや交通安全祈願などの合間、国府祭の片付けや整理となりました。

気象条件などもあってか、今年の国府祭は5500人の減(警察発表)とのことです。

吾妻山を遙拝

吾妻山を遙拝

さて、本日は地鎮祭の他、吾妻山(ゴルフコース)におまつりされる吾妻社のご奉仕がありました。

お山は急な斜面であり、ホール内につき危険も伴うため、あらかじめ管理者が清掃とお参りを済ませた上で、地権者とゴルフ場関係者がハウス内に参列して、「遙拝式」(ようはいしき)を執り行いました。

DSC01889

吾妻神社(あづまじんじゃ)には、日本武尊(やまとたけるのみこと)の后(きさき)・弟橘媛(おとたちばなひめ)がおまつりされています。

『古事記』の東征(とうせい)神話には、倭建命(やまとたけるのみこと:『古事記』の表記)が相模の走水(はしりみず:横須賀市)から上総(かずさ:千葉県)に渡る際、荒浪(あらなみ)に遭ったところ、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと:『古事記』の表記)が入水して海神を鎮めました。

さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも (『古事記』)

これは「相武の国造(くにのみやつこ)に騙(だま)されて、火を放たれた時にも私の身を按じてくれた貴方」という倭建命を慕う別離の和歌です。

東国平定(とうごくへいてい)を成し遂げた倭建命は、足柄の坂本で「吾妻はや」と妻への尽きぬ嘆きを発しますが、これより東国を東(あづま=吾妻)というようになったそうです。

コメントをどうぞ