今週末も兼務社の例祭が続きます。
今日は御嶽神社(伊勢原市池端)と落幡神社(秦野市鶴巻南:写真)です。
落幡神社では例祭式に併せ、例年通り境内招魂碑の御前で地区戦没者慰霊祭を執り行いました。
汗ばむほどの初夏の陽気で、晴れてお祭り日和となりました。
太鼓の音に誘われて、明日の大祭準備で賑わう神明神社(伊勢原市笠窪)にも様子を見に伺いました。
今週末も兼務社の例祭が続きます。
今日は御嶽神社(伊勢原市池端)と落幡神社(秦野市鶴巻南:写真)です。
落幡神社では例祭式に併せ、例年通り境内招魂碑の御前で地区戦没者慰霊祭を執り行いました。
汗ばむほどの初夏の陽気で、晴れてお祭り日和となりました。
太鼓の音に誘われて、明日の大祭準備で賑わう神明神社(伊勢原市笠窪)にも様子を見に伺いました。
花散らしの春の雨、更には強風予報で春の嵐が予想されましたが、桜は残り、掲げた提灯(ちょうちん)も無事で一安心です。
さて、今日は計画通りに、朝早くから俵(たわら)づくりが行われました。
当社では、「例祭」(4月22日)と「国府祭」(5月5日)において、神輿(みこし)の鎮座(ちんざ)を寿(ことほ)ぎ、お祝い分けの「粽行事」(ちまきぎょうじ)を執り行いますが、その粽を詰めるための俵を毎年奉製(ほうせい)しています。
以前は氏子である三ノ宮、栗原、神戸で各々つくっていましたが、様々な経緯で10年くらい前から総代さんが担うようになりました。
「年に1回なので思い出すのが大変」などの言葉が飛び交いながらも、覚書を頼りに段取りよく進められました。
況(ま)して総代任期は3年なので、その伝統を引き継ぐことは大変であり、本当にありがたいことです。
何よりも一生懸命な姿勢と真心を、神さまもご照覧くださることと思われます。
手先の器用さと出来映えに感心している内に、青々とした俵が4俵、例年通り立派に完成しました。
夫婦欅(めおとけやき)に張る注連縄(しめなわ)の縄綯(なわな)いとともに、国府祭で頒布(はんぷ)する「粽」を縛(しば)るための稭(みご=わらしべ)取り作業も平行して行われました。
今日は総代さんによる提灯献灯(ちょうちんけんとう)の作業が予定されていましたが、生憎(あいにく)の雨で明日に順延となりました。
境内の桜はようやく5~8分咲き、枝垂れ桜は2分程度開きました。
明日は市内の小・中学校で入学式が行われますが、見頃を迎える桜の下で写真を撮る姿も見られそうです。
例祭(4月22日)・国府祭(5月5日)の挙行にあたり、所管の警察署や交通安全協会、観光協会、商工会、商店会、行在所(あんざいしょ)など、其処彼処(そこかしこ)へ挨拶回りに伺いました。
あらゆるものが清らかに生き生きとする、万物清新の気に満ち溢れる「清明」(せいめい)でしたが、里の山々も芽吹いて盛り上がってきました。
昨日に引き続き、今日も兼務社の例祭です。
4月第1週目の日曜日は、八坂神社(平塚市入野)、熊野神社(平塚市千須谷)、十二柱神社(伊勢原市伊勢原)、雷電神社(伊勢原市串橋)と例年のことながら4社重なり、宮司と禰宜が2組に分かれてご奉仕にあたりました。
午前中の一時、小雨が降りましたが、各社とも予定の行事に大きな変更もなく安心しました。
旧村社のお祭りですが、市長や衆議院議員、県議会議員も参列して花を添え、何より子供たちが神輿や囃子(はやし)を盛り上げて、大人も元気をもらっていました。
祝詞(のりと)の起源は、天岩戸(あめのいわと)神話でアメノコヤネノミコトが「フトノリトゴト」を奏上したことに始まるとされます。
「フトノリトゴト」、「ノリトゴト」、神や天皇がいい聞かせる「ノル」(宣・告)、祈りの「ノリ」、霊威が乗り遷る「ノリ」など、その語源は様々な説があります。
『万葉集』に、「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」「敷島(しきしま)の倭(やまと)の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ」とあるように、古くから〝良き・美しき・正しき〟言葉には、麗(うるわ)しきものを生み出すという言霊の力が信じられてきました。
ご神前で「例祭祝詞」(れいさいのりと)を奏上しつつ、お互いに良き言葉を交わしながら和やかな一日であるよう願いました。