2012年10月19日 のアーカイブ

古事記の「こころ」

2012年10月19日 金曜日

今朝は雨の上がった境内に、比々多小学校の児童がどんぐり拾いにやって来ました。

今年のどんぐりは少しこぶりのようです。

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午後から伊勢原市立山王中学校の創立50周年記念式典が伊勢原市民文化会館大ホールで開催され、お招きをいただいて禰宜が出席いたしました。

校長先生が「教育は不易と流行」と表現していましたが、これまでの歩みを大切にしつつ、新たな時代に向かって欲しいと思います。

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さて、本日は相模中連合支部の研修会で、宮司を含め神職5名が平塚八幡宮に出掛けました。

昨年は当社で神葬祭についての研修会を行いましたが、本年は『古事記』編纂(へんさん)1300年ということもあり、湯島天満宮・権禰宜(ごんねぎ)である小野善一郎先生をお招きして、「古事記と信仰」について学びました。

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『古事記』の序文には、「言(ことば)と意(こころ)は朴(すなお)にして」とあり、上古(じょうこ)の人の言葉や心は素朴で、それを文章に書き表すことは難しく、この古伝承を理解するためには、字句や文章を理解するのではなく、神々と同じ視点に立って解読する必要があるという前提に立って解説されました。

我が国の神さまは、唯一絶対神であるゴッド(God)とは全く異なり、私たちと血の続いている遠祖、つまり先祖であるから、天つ神(あまつかみ)の御心(みこころ)から決して離れてはならないと説かれました。

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天つ神の御心とは、「異心」(ことごころ=本来の心でない自我の心)を祓った清浄の状態であり、武道で言えば明鏡止水の心境であり、慎みを忘れ、油断をし、感謝を忘れると、たちまち異心が本来の正直、清明を失ってしまうというものでした。

古事記上巻に記された神話の内、国生みから大蛇(おろち)退治に至る神々の物語を、神さまの視点に立ちながら、「天つ神の御心と異心」を当てはめながら講義を展開されました。

先祖からいただいた「いのち」の上に、今の私たが存在するのであり、自我を捨てて謙虚になること、祓えをして蘇(よみがえ)りをすることにより、「いのち」は子々孫々に脈々と連なっていくのです。