2012年10月12日 のアーカイブ

太田資長命(太田道灌公)を称えて

2012年10月12日 金曜日

伊勢原市内において、明日・明後日は「伊勢原観光道灌まつり」が開催され、市内外から多くの人たちが訪れます。

伊勢原は太田道灌公の終焉の地(糟屋で謀殺)であり、江戸城築城など文武両道に活躍した道灌公の遺徳を偲んで行われています。

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道灌公を物語る「山吹の里」という伝説があります。

父を訪ねる途次、越生(おごせ:現在の埼玉県入間郡)で雨に遭い、農家で蓑(みの)を所望したところ、娘が一輪の山吹の花を差し出したという。

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき  『後拾遺和歌集』

後に家臣にそのことを告げると、娘は上記の歌で〝蓑と実の〟を掛けて、貧しくてお貸しできないのを奥ゆかしく断ったのだと知り、恥じて歌道に精進したといいます。

道灌まつりポスター

道灌まつりポスター

市内には墓所として、首塚とされる大慈寺(だいじじ:下糟屋)、胴塚とされる洞昌院(とうしょういん:上粕屋)がありますが、あまり知られていないのが、五霊神社(ごりょうじんじゃ:伊勢原市上粕屋〆引)に御霊がおまつりされていることです。

社伝によれば、江戸中期(宝永年間)に三ノ宮の御領原(ごりょうはら)から現在の地へ遷されたとされます。

当地は国府跡地といわれ、平安の世には疫神や怨霊を鎮める御霊会(ごりょうえ)が行われたと考えられます。

明日は五霊神社において、御祭神である太田資長命(おおたすけながのみこと:太田道灌公)を称えて、例祭(大祭)が執り行われます。

五霊神社の本殿扁額

五霊神社の本殿扁額

社名の扁額(へんがく)には、「従四位子爵太田資業敬謹書」と記されています。

太田資業は、江戸末期の大名で藩主(遠江国掛川藩・上総国松尾藩)、版籍奉還(はんせきほうかん)で藩知事となった資美(すけよし)の子です。