2011年12月 のアーカイブ

天皇誕生日

2011年12月23日 金曜日

本日は天長節(てんちょうせつ)、天皇陛下の78歳の御誕生日です。天皇陛下には、先月末に気管支肺炎のためご体調を崩されましたが、御身体のご安泰と益々のご長寿をお祈り申し上げるところです。

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本日、皇居では一般参賀が行われましたが、「来る年が皆さん一人びとりにとり、良い年であるよう祈ってます」とお言葉を述べられました。

このお言葉の行間には、東日本大震災という国難はもとより、年初の豪雪や台風、豪雨などによる国民の苦しみを、御自らの心の重さとして表現されています。

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万世一系(ばんせいいっけい)、125代という連綿と続く皇室、世界でも稀有(けう)な伝統は、民を思う御聖徳が為し得たものです。

私たち国民は、日本人が大切にし続けた和の心、日の丸を常に心に掲げ、世の為人の為、清く明るく生きることが、大御心(おおみごころ)に適う生き方だと思います。

長文とはなりますが、御誕生日にあたり、天皇陛下の述べられたご感想を記して御祝の気持ちとさせていただきます。

先月マイコプラズマによる感染症を患い、入院を余儀なくされたことから、多くの人々に心配を掛けました。私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します。退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。

3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。また住まいや生活の場を失った人々、原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、そのことを非常に心強く思いました。また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。

厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。

諸外国からも救援の人々が来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、自分たちは被災者と共にある、という言葉が添えられていたことが思い起こされます。

歴史を振り返ると、我が国は、今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の「三陸地震」を始めとし、これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。私が津波の恐ろしさに接したのは、平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。島は地震と津波で大きな被害を受けており、200人以上の死者、行方不明者が生じていました。少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、もしこの度の被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。この度の津波災害においても、避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、施設面の充実と共に、今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。

私どもの住む日本は、四方に海を持ち、山や川も多く、風光に恵まれた島国です。一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、時に荒れ、多大な被害をもたらします。この厳しい現実を認識し、災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。

今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。

今年は豪雨による災害も、7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、様々な対策が講じられた成果であり、防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。

水害はタイ王国でも起こりました。国王陛下は長らく御入院中で、この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。タイの水害は日本の産業にも影響を与え、タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、生産を再開することになりました。言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は、改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。

今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り、戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。

振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。日本人全体がこの震災に向き合い、被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。本年もあと僅(わず)かになりました。新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。来る年が少しでも良い年となるよう願っています。


陰極まりて陽に転ず

2011年12月22日 木曜日

本日は冬至。正午の太陽が最も低く、日照時間が最も短い日でした。しかしながら、明日からは徐々に日が長くなってきます。

また、一陽来復(いちようらいふく)といい、“ 陰極まりて陽に転ず ” の言葉のように、悪いことが善い方に向くよう願うばかりです。

冬至南瓜(とうじかぼちゃ)、冬至粥(とうじがゆ)を食して、柚湯に漬かった方も多かったと思います。

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さて、例年の如く、一対の干支の絵画が到来いたしました。

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藤沢市の石井行氏による縁起物です。登り竜のように景気の上向きを期待するところです。

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お正月から拝殿に掲げる予定ですので、是非ともご覧ください。

雑誌に掲載

2011年12月21日 水曜日

角川マガジンズのTokyo Walker (12/20-1/6)並びにYokohama Walker (12/21-1/5)の特集に掲載されました。

右:東京ウォーカー  左:横浜ウォーカー

右:東京ウォーカー  左:横浜ウォーカー

東京ウォーカーには、「開運 街ごと初詣」特集(52頁)で、初詣の案内が掲載されました。

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また、横浜ウォカーは、「開運年末年始」特集(24頁)で、おみくじが掲載されました。

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今年最後の戌の日

2011年12月21日 水曜日

先月に続いて12月度重点事業に対する激励のため、伊勢原警察署へ行って来ました。

年末年始は不測の事件や不意の事故などが発生しがちなので、日頃の感謝と更なる職務の精励をお願いいたしました。

敷島の大和心の雄々しさは事ある時ぞあらはれにけり  明治天皇御製

さて、本日は今年最後の戌の日。

安産祈願  おめでとうございます

安産祈願  おめでとうございます

午前中は安産祈願のお参りが続きました。

安産祈願 おめでとうございます

安産祈願 おめでとうございます

寒い時期ですが、十分に気をつけていただき、丈夫な赤ちゃんが授かるようお祈り申し上げます。

新年の戌の日は、1月2日()、14日()、26日(木)です。

最上質の晒(さらし)で奉製した腹帯(岩田帯)

最上質の晒(さらし)で奉製した腹帯(岩田帯)

年越大祓

2011年12月20日 火曜日

12月20日は恒例の年越大祓(としこしおおはらへ)。

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定刻午後2時、社務所前から参進し御殿(ごてん)に上がりました。

そして、大祓奉告祭(おおはらへほうこくさい)を斎行(さいこう)。

その後、境内にて大祓神事を執行しました。

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祭員とともに参列の氏子・崇敬者が大祓詞(おおはらへことば)を繰り返し奏上(そうじょう)する間、氏子・崇敬者の人形(*ひとがた)の名前を1枚ずつ読み上げ、各家庭の災を祓い退けます。

*人形~形代(かたしろ)ともいう。半紙で奉製した人の形を象(かたど)った人形に、息を3度吹きかけ、体をくまなく撫(な)でて、半年の間に積もり積もった罪穢(つみけがれ)をうつします。

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昔はお宮の横を流れる小川に人形を流し、川から大海原に流して祓戸(はらへど)の神さまの浄化力により、罪の消去をしていました。今では、境内において浄火(じょうか)によりお焚き上げしています。

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寒風の中、80分にわたる神事を修め、直会(なおらい)では今年一年間を振り返りながら、時の過ぎゆくのを忘れながら、楽しい親睦の一時を過ごしていただきました。

この後、総代さんと神職で忘年会を行いました。

天地の初は今日を始めとす

2011年12月19日 月曜日

晴れの佳き日、神前結婚式を執り行いました。

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新郎は紋付き羽織袴がとてもお似合いの威風堂々たる姿、新婦は白無垢姿がとても綺麗でした。

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私たちの今あるのは、両親のお蔭。遡れば、代々のご先祖さまに感謝です。

我が国で最も古い書物、『古事記』には、天地開闢(てんちかいびゃく)、国の始まりが記されています。

北畠親房(きたばたけちかふさ)は、『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)に、「天地の初は今日を始めとす」としていますが、生成発展の真理を “ 只今 ” (今日)としています。

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この門出の日を始めとして、幸せな生活を営んでいただきたいと思います。

ご結婚おめでとうございます。

和婚の素晴らしさ

2011年12月18日 日曜日

本日、元湯陣屋においてブライダルフェアが開催され、模擬結婚式のご奉仕をいたしました。

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模擬とはいっても、神前結婚式の「静の厳かさ、動の美しさ」を感じていただくために、本番さながらの流れで進めさせていただきました。

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晩婚化が叫ばれて久しいですが、あの恐ろしい大震災もあって、結婚観にも少なからず影響が及んでいると思います。

結婚を “ 個人の価値観 ” という選択の次元で捉えてきた社会背景がある一方、結婚は子供を産んで育てるという、本来の “ 公の意義 ” を見直す人たちが増えている気がいたします。

本日の新郎新婦(モデルさん)

本日の新郎新婦(モデルさん)

紋付き羽織袴の威風堂々とした益荒男(ますらお)ぶり、おきずりの裾をそっと持ち上げる手弱女(たおやめ)ぶりは、声が詰まるほどの雰囲気でした。

「親からいただいた命に感謝し、次の命を育むための新たな始まりの祈り」がこめられているところにも、和婚の素晴らしさはあるといえます。

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奇しきご縁が結ばれて、花咲くことを願うばかりです。

節目を大切に

2011年12月18日 日曜日

年の瀬を迎え、来社や電話も日に日に多くなり、何となく気忙しくなってきました。

初宮参り おめでとうございます

初宮参り おめでとうございます

幟竿や手水舎の竹も新しくなり、お正月準備も徐々に整っています。

地鎮祭 おめでとうございます

地鎮祭 おめでとうございます

日毎寒さも増していますが、お宮参りや地鎮祭など、人生の節目、建築の節目のおまつりは、季節に限らず行われます。

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私たちの暮らしの中で、季節や人生、様々なものに節目があると思います。来し方、処し方を考える良い機会でもないでしょうか。

辰に因んで

2011年12月16日 金曜日

来年の干支(えと)は壬辰(みずのえたつ)。

干支の干は「幹」の意です。通常、干支(十干十二支)は「えと」といいますが、十干の兄弟(えと)に由来しています。「え」は兄で陽性、「と」は弟で陰性を表します。

十干は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)です。

戦前の学校では、甲・乙・丙で成績が示されました。また、焼酎の分類にも甲類・乙類などが使われています。

この十干と十二支の組み合わせが、甲子(きのえね)から癸亥(みずのとい)まで60通りとなり、60年で1回巡ってくる還暦(かんれき)で、本卦還(ほんけがえ)りともいわれます。

さて、今年も木津根橋(三ノ宮)の杉山土建さんが干支の石造を奉納されました。来年の巳で十二支全ての石造が揃います。タウンニュース社の取材もありました。

宮司と杉山社長さん

宮司と杉山社長さん

辰に割り振られた動物は「竜」で、十二支では唯一伝説上の生物になります。

古墳などに見られる四神(しじん)の一つに青竜がありますが、東に位置します。

単竜環把頭(市重文)

単竜環頭大刀柄頭(市重文)

併設の郷土博物館には、栗原古墳から発見された飾り金具を付した大刀の柄(つか)部分を飾る「環頭大刀柄頭」(かんとうたちつかがしら)が収蔵展示されています。

瑞雲が透かし彫りになった竜ですが、6世紀後半頃のものと考えられる貴重な郷土の財産です。

御本殿梁の彫刻

当社本殿の彫刻

竜の旧字体は龍ですが、甲骨文字には竜が用いられ、その古さがわかります。

古代中国では竜は帝王の象徴とされ、インドでは竜神を仏法の守護神とし、日本でも竜神信仰があります。

雨や水を司るとの信仰や蛇神信仰との結びつきなど、民間の伝承には事欠かない存在です。

手水舎の竜の口

手水舎の竜の口

師走も折り返し

2011年12月15日 木曜日

仕舞いの月も折り返しを迎えました。常の如く「月次祭」(つきなみさい)を斎行し、皇室の弥栄と国の安泰、氏子崇敬者の平穏と発展をお祈り申し上げました。

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年の瀬を迎えましたが、お正月を前にして新居に移られる方の家祓に伺いました。

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家庭の平安無事をお祈り申し上げます。

本日は、境内のおみくじ結所(二箇所)が新しくなりました。

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明後日で、兼務社の年内祭事もいよいよ修めます。

御神札の名前書きも連日続いています。

参拝の方に振舞う 「 限定特別酒 」

参拝の方に振舞う 「 特別限定酒 」

例年のことですが、元日から小正月(1月15日)までは、参拝の方に御神酒と開運守を授与(無料)いたしております。

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