2011年2月9日 のアーカイブ

言霊

2011年2月9日 水曜日

冴え返る余寒なお厳しい天候ながら、今日は本当に久しぶりの雨で、潤いとお清めをいただいた気持ちです。

昨日、崇敬会員の訃報を受け、今日は神葬祭の準備にあたりました。

神葬祭では、故人の来歴を振り返り、誄詞(しのびごと)という祭詞(さいし)の中で、こもごも生い立ちに触れます。

社務所での一年祭

社務所での一年祭

神葬祭の祭詞は、人それぞれの歩みについて言の葉を添えていくため、古語辞典や辞書(現在は電子辞書)を傍らに置いて、悩みながら筆を進めていく難業です。また、通常の祝詞(のりと)の2倍から3倍以上の長文となるため、奉製に時間を要します。

本来、「祝詞=神さま」「祭詞=ご先祖さま」に聞き届けていただくためのものなので、微音で奏上(そうじょう)しても構わないわけですが、参列者に信心や理解を増していただくためにも、神職は朗朗と読み上げる必要があるのです。

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『古事記』では、雄略(ゆうりゃく)天皇が葛城(かつらぎ)山で一言主神(ひとことぬしのかみ)に出会った折、「吾は悪事(まがごと)も一言(ひとこと)、善事(よごと)も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」といったと記されています。

『万葉集』では、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の反歌に、「敷島(しきしま)の大和(やまと)の国は言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国ぞ真幸(まさき)くありこそ」とあります。

日本は、言葉の霊力が幸福をもたらす国だということです。

現在のIT社会は、ブログやツイッターなど、不特定多数の人たちが無尽蔵に言葉を発しています。「言霊の幸はふ美しい国」の道義や品性を再認識すべきだと思います。

もちろん、私たち神職は、“ 挙措 ”(きょそ=立ち居振る舞い)も大切にしなければなりません。