雨雲の続いた8月でしたが、今週は残暑が戻って暑い一週間となりそうです。
涼しげに見える神職の白衣姿ですが、今日の地鎮祭では汗びっしょりとなりました。
さて、『日本の結婚式』(第25号)が社務所に届きました。
今号も挙式場編の神奈川県のところに、県内の25社寺とともに掲載されています。
10月、11月になると神前結婚式に最も相応しい時期となりますが、秋の恒例行事や七五三参りなども多くなりますので、日時はお早めにご連絡下さい。
午前中、正祭・慰霊祭会議(26日)に向けて、共催者である比々多地区自治会連合会の三役と綿密な打ち合わせを行いました。
招魂社と呼ばれる忠魂碑には、西南の役、日清戦争、日露戦争、そして大東亜戦争など、かつての戦役に出征し、散華(さんげ)された英霊182柱の御名が刻まれています。
今年は先の大戦が終結してから72年となりますが、比々多地区では戦歿者の慰霊祭を正月(遺族会主催)と秋(神社と自治会連合会の共催)の2回、継続して執り行っています。
慰霊の目的で平成6年に始まった鎮魂太鼓奉納は、2度の雨天中止を除いて今年で22回目となり、8地区9団体が参加の予定です。
「戦地で満月のお月さまを眺めながら、比々多の太鼓を思い出しました。太鼓奉納では戦友の元に届くように力一杯太鼓を叩いてください。」と5年前に仰っていた古老は、残念ながら今は鬼籍に入りました。
本日、伊勢原市では「第31回平和のつどい」を開催し、「中学生平和作文」表彰式、「中学生平和の旅」体験発表、「戦争インタビュー」上映を始め、戦時中の写真や資料の展示等を行いました。
今年は、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されてから65年、昭和47年5月15日に沖縄が本土復帰してから45年という年にあたります。
声なき声に応えられるよう、神社で、そして地域とともにできる慰霊をこれからも続けていきたいと思います。
今日は所管社3社の総代さんが「神社庁舎視察と鶴岡八幡宮参拝・鎌倉散策」(9月5日)の申込みでお参りになりました。
23社と兼務する神社が多い事もあって、こういう機会は様々な情報交換をしたり、日頃の出来事や今後の課題などについてお聞きする場ともなっています。
来週の締切りを前に、当初予定の50名に何とか近づきそうです。
さて、比々多地区は果樹の里であり、現在は葡萄(ぶどう)や梨(なし)農家の繁忙期です。
その後は蜜柑(みかん)や柿(かき)、苺(いちご)と続きますが、蜜柑農家にとって重要な食害性害虫とされるゴマダラカミキリ(胡麻斑髪切)を境内で目にしました。
触覚が伸びて見た目にも美しく、男の子には人気の甲虫(こうちゅう)の一つですが、成虫は生木や葉を食べ、幼虫(俗称:テッポウムシ)は木質部に食入して一匹で木を枯れさせることもあるようです。
来月開催する「一心泣き相撲比々多場所」(9月17日)まで1ヶ月となりました。
今年も力士役には大学相撲部の方々にお越し頂くことになっています。
午前の部(11時、11時半)の予約受付は終了しましたが、午後の部(12時、12時半、1時)は少しずつ空きがありますのでお早めにお申し込み下さい。
参加資格は首の座っている生後6ヶ月から2歳半の男児・女児です。
詳細につきましては「公式サイト」をご覧下さい。
今年は空梅雨のような天気が続いた分、何だか梅雨がやって来たような数日です。
近隣の田んぼでは早いものは穂が出始めていますが、神社下の御神田では未だ出穂(しゅっすい)が確認されていません。
さて、当地では月遅れの盆行事ですが、昨夕は「迎え火」でした。
住職の棚経(たなぎょう)に比べればごく僅かですが、昨日は神葬祭のお宅に伺い、季節の野菜や果物、好みの品々が供えられた御霊前で〝御霊和め〟(みたまなごめ)のみたままつり(祖霊祭)を執り行い、祭詞(さいし)を奏上して玉串を捧げてきました。
新盆のご家庭では白い提灯が掲げられ、住み慣れた懐かしい我が家にご先祖さまがお帰りになる目印となっていました。