本日、企業の社長さんから「社員が子供の霊を見たのでお祓いをして欲しい」との電話を頂きました。
先ずはお話を具(つぶさ)に伺ってからとなりますが、神道は祓えに始まって祓えに終わるといわれるほど明浄を尊ぶ宗教です。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)の汚穢(おわい)に触れたことから、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)において、水に入り穢(けが)れを流し去ったのが「禊祓」(みそぎはらい)の起源とされます。
禊は「身滌ぎ」「身削ぎ」とも表現され、本来の清浄な姿、人間生来の心身に戻ることにより、神と交流し、融和することができるのです。
よくないことや忘れたいことを〝水に流す〟といいますが、これは神道の考えである禊をする意と理解できるでしょう。
また、「祓え」は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原で行った乱暴な行為に対する償(つぐな)いとして、八百万神(やおよろずのかみ)が千座置戸(ちくらおきと)を負わせ、贖(あがな)わせたことが起源といわれます。
つまり、自分の犯した罪を償(つぐな)い、障りや災禍を除く(解除 げじょ)ことと考えられます。
神社には、湧き水や清水が流れていたり、手水鉢に水が引かれています。また、手水舎(てみずや)として覆屋が設けられていたりします。
参拝する際、手を洗い、口を漱(すす)ぐのも心身の罪穢を祓い除くためのものです。
大きな祭事の折には、臨時に手水桶(てみずおけ)、柄杓(ひしゃく)、水受、拭紙(ぬぐいがみ)、拭紙受などの手水具を弁備することもあります。
手拭(てふき)には布ではなく、白い半紙を用いるのは衛生上の配慮といえます。
祓詞(はらへことば)
掛(か)けまくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に 御禊(みそぎ)祓(はら)へ給(たま)ひし時に生(な)り坐(ま)せる祓戸大神等(はらへどのおおかみたち) 諸(もろもろ)の枉事(まがごと)罪穢(つみけが)れ有らむをば 祓へ給ひ清め給へと申すことを聞こし食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す