2014年2月11日 のアーカイブ

紀元節にあたり

2014年2月11日 火曜日

今日は国民の祝日で「建国記念の日」、明治6年から戦前までは「紀元節」(きげんせつ)といわれていました。

祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と記されています。

全国の主なる神社では「紀元祭」(きげんさい)を斎行(さいこう)し、各県でも奉祝行事が賑やかに催されました。

以下の<参考>にも記されていますが、初代・神武天皇が畝傍(うねび)山・橿原(かしはら)の地で御即位遊ばされてから2674年、世界に誇る悠久の歴史を誇る日本の誕生日を迎えました。

神武東征

神武東征

当社では兼務の石座神社(秦野市鶴巻)、落幡神社(秦野市鶴巻)で祈年祭を執り行いましたが、その折りにも紀元節について触れ、まさに冬季オリンピックの秋(とき)にあたり、グローバル化の時代だからこそ、日本の歴史や文化を正しく理解し、その伝統を後世に伝えることが大切であることを確認しました。

<参考>

神社新報』(2月10日発行)

論説「心の継承の一灯として 紀元節

節分とともに神社本庁設立記念日である2月3日が過ぎた。全国の神社では初詣以降の賑やかさも落ち着きを見せ、日常の神明奉仕が戻ってきつつあることだらう。暦の上では立春を過ぎ、梅の便りも聞かれる季節ともなった。
「北方領土の日」の2月7日には例年、政府主催の返還要求行事が開催されてゐるが、竹島や尖閣諸島をめぐる問題も含め、領土はわが国体を護る上でも軽視できない。一時の国益を超えた大局的な視点を持ちつつも、歴史や法的な観点に基づくわが国の主張を安易に変へてはなるまい。
さらに国政の行く先を占ふともいはれる東京都知事選の結果も、本号が読者の手元に届く頃には明らかとなってをり、今年の国の姿をさまざまな形で分析する流れも出てこよう。昨年来のアベノミクス効果によって景気恢復の兆しを見せる国内経済だが、4月からの消費増税による景気変動への影響も懸念されるところだ。
そんな状況のなか、今年も2月11日が間近となった。
祝日法において「建国記念の日」と定められてゐるこの日は、「紀元節」として、宮中においては新年の四方拝、明治天皇誕生日の明治節、今上天皇誕生日の天長節とともに「四大節」の一つに数へられた。今日でも建国の地・奈良県の橿原神宮をはじめとして、全国の神社でも「紀元祭」が斎行され、わが国の歴史において重要な日をお祝ひする。
神社本庁も参画してゐる「日本の建国を祝う会」では毎年、都内で盛大に中央式典を挙行。また、式典に先立つ奉祝パレードには、幼稚園児や小・中学生の鼓笛隊、國學院大學・駒澤大学など首都圏の大学吹奏楽部などが参加してゐる。それは取りも直さず、建国理念の継承といふ大義を、次世代を担ふ若者たちに橋渡ししたいといふ主催者側の熱意の所作にほかならない。
全国で開催されるお祭りやさまざまな奉祝行事が、多数の老若男女の参加を得て、活況を呈することを祈りたい。
2月11日を「紀元節」と定めたのは明治6年のことだ。「辛酉年の春正月の庚辰の朔に、天皇、橿原宮に即帝位す。是歳を天皇の元年とす」との、『日本書紀』巻第3「神武天皇」の一節に基づき、初代・神武天皇の御即位をわが国の紀元と定めたのである。
この、わが民族にとってかけがへのない日が、大東亜戦争終結後の占領期、占領軍当局の指示に基づいて祝日から除外されたことは、本欄でも繰り返し論じてきた。GHQによる神道指令の圧迫は、神社制度の変革を強ひるだけでなく、日本人の精神生活そのものを徹底的に変質させることを目的としてゐた。無制限に行使された権力は、多数の世論を無視し、「神武創業」の精神を記念する「2月11日」にも矛先を向けたのだ。
一方で占領中から展開された紀元節復活の国民運動は、神社界を中心に形を整へていったものの、運動の盛り上がりとは裏腹に、紀元節を祝日とする法律の成立には時間がかかった。
改正案は折に触れて国会に提出されるものの可決には至らず、七度に亙り廃案となった。昭和41年の第51回通常国会でも廃案濃厚とされるなか、自民党が強行採決に踏み切り、最終的に建国記念の日の日付を棚上げすることで祝日法改正案は可決され、同法の附則に基づき設置された建国記念日審議会において、改めて日付を2月11日と決し首相に答申。翌42年から2月11日が建国記念の日として復活したのだった。
改めていふまでもないが、この日の意義が、心ある国民の意識の中に存在してゐるのは、全国の神社でこの日に斎行される「紀元祭」の祭祀・奉祝行事等の賜であらう。
我々は、神武建国の偉業を次世代に継承させていく使命を持ってゐる。建国の意義を継承することは、民族の根源を喚起させ、本来のあるべき姿を考へることに繋がってゐる。それは今日に生きる私たちにも、天皇と国民とが常に強く結ばれてゐることを改めて啓発するきっかけにもならう。
国の形を現すのは伝統の力であり、そこに疑ひを抱く余地はない。紀元節を、明日の日本の姿を映し出す道標と捉へ、未来を照らす心の継承の一灯とするためにも、我々は言葉を、そして行動を尽くさねばならない。

*日本の伝統を守り、美風を伝へ、正しい日本語を使用することで日本文化を護持するため、本文は「歴史的仮名遣ひ」で記されてゐます。