‘なぜ?なに?’ カテゴリーのアーカイブ

七五三参り

2010年11月11日 木曜日

11月15日は「七五三」。とはいっても、既に半数近くはお参りにみえています。しかしながら、15日直前の土日を控えてか、この2~3日問い合わせの連絡が増えています。

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ここで、あらためて七五三について簡単に説明いたします。

七・五・三の陽数を男女児の年齢に当てはめたもので、三歳男女児の「髪置」(かみおき=それまで剃っていた髪を伸ばしはじめる)、五歳男児の「袴着」(はかまぎ=袴を着け始める)、七歳児の「帯解」(おびとき=付け紐の着物から帯でしめる着物にかえる)という儀式に由来します。

七五三参りは、これまでの成長に感謝し、さらなる無事成長を祈るもので、11月15日にお祝いをします。11月15日に祝うことになったのは、この日が二十八宿(にじゅうはっしゅく)の鬼宿日(きしゅくにち)にあたり、何事の祝い事にも最良の日であることによります。

7歳までは節目となる多くの儀式が行われますが、昔から「七つまでは神の子」といって、神さまと人との変わり目に位置するからです。

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七五三の祈願は、随時承っています。但し、恒例祭典や結婚式の予定もありますので、念のためお問い合わせください。

晴れ着で心晴れやかに

晴れ着で心晴れやかに

鞴祭

2010年11月8日 月曜日

11月8日、京都・伏見稲荷大社では「火焚祭」(ひたきさい)が行われます。古くから、鍛冶屋(かじや)さんや石工(いしく)、鋳物師(いものし)のおまつりで「鞴祭」(ふいごまつり)というおまつりがあります。お稲荷さんはこれらの守護神です。

金属などを製錬、加工するために、火をおこし、火を強めるのに用いる送風装置を「ふいご」「ふきかわ」「はぶき」といいます。『日本書紀』には、鹿の皮で(天羽鞴 あまのはぶき)を作ったと記されています。「たたら」(鑢、蹈鞴)という大型で足踏式のものもあり、「たたらまつり」ともいいます。

工場での鞴祭

工場での鞴祭

一昨日は、会社の工場で「鍛冶屋まつり=鞴祭」がありました。本日は、大学のボイラー室で「火入式=鞴祭」が執り行われました。ボイラー室内は熱がこもり、大汗をかいてのご奉仕でした。

地下のボイラー室に関係者が多数集合

地下のボイラー室に関係者が多数集合

人類と猿の進化の違いに、火の利用を挙げることがありますが、私たちの暮らしに、火は欠くことのできないものです。温もりを求めるこの時期は、尚更その恵みに感謝するところです。一方で、空気が乾燥し火災が多くなるこの時期は、その恐ろしさを再認識しなければなりません。

火の神さまをおまつりして

火の神さまをおまつりして

明日は水の恵みに感謝する「酒祭」(さかまつり)です。

安全を祈る気持ち

2010年10月28日 木曜日

中心付近の風速が45メートルと、非常に強い台風14号が沖縄に近づいています。奄美地方(鹿児島県)は数日前に水害による大きな被害を被っているため、急峻な山が海に落ちている地形から土砂崩れなども予想されます。

離島の災害は救助も難航するため、被害者の精神的打撃も大きいと思います。台風の被害が無いことを祈ります。

さて、本日は冬物を慌てて取り出すような冷たい雨の一日でしたが、大安ということもあり、予定通り数件の地鎮祭奉仕がありました。

地鎮祭の設営準備

地鎮祭の設営準備

地鎮祭の主旨は、各種建物の新築または、土木事業の起工にあたり、敷地の神さまをおまつりして、神慮(しんりょ)を和(なご)め、土地の平安堅固(へいあんけんこ)ならんことを祈る祭儀(さいぎ)です。

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その歴史を紐解くと、「持統(じとう)天皇5年(691)冬10月27日、使者を遣わして新益京(しんやくのみやこ)を鎮め祭らしむ」と『日本書紀』に記されています。

「新益京」とは、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)から移した最初の条坊制(じょうぼうせい)による本格的な都城で、「藤原京」のことです。この宮城をつくるために地鎮祭が行われたわけです。

1300年前と現在では、道具や材料、工法、工期なども異なりますが、安全を祈る気持ちは一緒です。

神棚は家庭のパワースポット

2010年10月26日 火曜日

 神奈川県神社庁から新しい神宮大麻(じんぐうたいま)が届きました。

神宮大麻

神宮大麻

神宮大麻は伊勢の神宮において、清浄を第一として数々の厳粛なお祭りを経て奉製(ほうせい)されるお神札(ふだ)です。 明治5年までは御祓大麻(おはらいたいま)と呼ばれていました。

神宮大麻の奉製

神宮大麻の奉製作業

毎年暮れに、全国の神社を通じて各家庭に頒布(はんぷ)される神宮大麻は、氏神さまや崇敬神社のお神札とともに神棚におまつりします。神棚は心身の甦りを図る「家庭のパワースポット」であり、家庭のまつりは家族の幸せづくりの第一歩です。

御神札掛け

神札掛

神社では、簡易の宮形(みやがた=お宮)も準備しています。初めて神宮大麻をおまつりされる方には、「神札掛」を授与いたしますので社務所にお尋ねください。

お伊勢参り

2010年9月30日 木曜日

25日から29日のお伊勢さまでの研修が無事終わりました。

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解散後にあらためてゆっくりとお参りをいたしました。

神宮(内宮)への入り口となる宇治橋

神宮(内宮)への入り口となる宇治橋

20年に1度執り行われる最大のお祭り「式年遷宮」にあたり、宇治橋も架け替えられられました。その1つとして、昨年11月3日渡始式(わたりはじめしき)が行われました。年間750万人もの人と神さまをつなぐ橋。次の作り替え(平成41年)までの間に、1億人以上の人が渡る計算です。

元和5年(1619)作の擬宝珠(ぎぼし)

元和5年(1619)作の擬宝珠(ぎぼし)

高欄(こうらん=欄干)には松坂の鋳物師(いものし)による青銅製の擬宝珠(ぎぼし)が飾れれていますが、外側向かって左から2番目の擬宝珠の中には、万度麻(まんどぬさ=一万度お祓いを行う意)といわれる特別の神札が納められています。まさしく満願が込められています。

参宮案内所

参宮案内所・衛士見張所

宇治橋西詰には、こちらも新しくなった参宮案内所・衛士(えし)見張所があります。お伊勢さま全般の案内(地図入りパンフレットなどあり)、迷子呼び出し、車椅子貸し出し、コインロッカーからペット一時預かりまであります。

御手洗場(みたらし)

御手洗場(みたらし)

一般の手水舎(てみずや)もありますが、五十鈴川(御裳濯川 みもすそがわ)の清流で心身を清めるのが古来からの習わしです。

国民(くにたみ)も常に心を洗はなむ みもすそ川の清き流れに  明治天皇御製

明応7年(1498)銘の擬宝珠

明応7年(1498)銘の擬宝珠

上の画像は、国内最古ともいわれる風日祈宮橋(かざひのみやばし)の擬宝珠。この橋は9月17日に渡始が行われたばかりで、真新しい檜(ひのき)の香りが漂っていました。

内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)

内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)

神楽殿では各種ご祈願を受け付けていて、神楽が奉納されます。中でも、大々神楽(だいだいかぐら)は古式ゆかしい舞楽(ぶがく)が舞われ、古典芸術としても一見の価値があります。ここでは、神宮大麻(じんぐうたいま)やお守りなどの授与品、ご朱印も受けられます。

石段を上がり内宮御正殿(ないくうごしょうでん)へ

石階を上がり御正殿(ごしょうでん)へ

何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる  

西行法師の思いを体で感じる瞬間です。

踏まぬ石

踏まぬ石

内宮御正殿から荒祭宮(あらまつりのみや)に向かう石階の途中に、4つに割れた石があります。天の字に似ていることから、天から降ってきたとのいわれもあり、踏まぬように盛り塩で清めてありました。

荒祭宮

荒祭宮

荒祭宮(あらまつりのみや)は、内宮御正殿におまつりされている天照大御神(あまてらすおおみかみ)と同一神ですが、その荒御魂(あらみたま)が鎮まるところです。式年遷宮のクライマックスである遷御(せんぎょ)(平成25年;大御神さまがお遷りになる儀式)では、内宮・外宮に続いて準じた形で遷御が行われます。

式年遷宮ではさまざまなおまつりが粛々と行われますが、遷御を含めた12の祭典は、天皇陛下の御治定(ごじじょう;祭典の日時を定められる)を仰ぐもので、祭政一致、国のおまつりとしての意義がここにあります。

御厩(みうまや)

御厩(みうまや)

皇室から牽進(けんしん)された神馬(しんめ)が飼育されている御厩(みうまや)があります。毎月1日、11日、21日の3度、菊花紋の馬衣をつけて御神前に見参します。

おかげ横丁

おかげ横丁

お参りのあとの楽しみの1つです。お土産も沢山ありますが、「宮下」(みやげ)にはお守りが一番です。

禊祓

2010年9月27日 月曜日

神職の行法(ぎょうほう)に禊祓(みそぎはらえ)があります。水につかって心身を祓い清めることです。

その起源は、イザナギノミコトが亡き妻イザナミノミコトに会いに黄泉(よみ)の国を訪れ、その身についた穢(けが)れを祓い清めるため、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で、禊祓をしたと古事記・日本書紀に記されています。

海中での禊

海中での禊

則ち、禊とはミ(身)についた穢悪を水の浄化によってソグ(削ぐ)ということです。水につかる、または水をかぶり、身も心も清め自己の魂を振り起こし、心身の調和を図り、甦りをすることです。水の霊力にふれることが大切なのです。

百人一首でも有名な藤原家隆の和歌(『新勅撰和歌集』)に、

風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける

とあります。これは、六月大祓(みなづきのおおはらえ)を歌ったものですが、神職の研修では大寒の寒中禊を行うこともあります。

鳥船行事(心気を振り起こし大自然の生気と合一させる)

鳥船行事(心気を振り起こし大自然の生気と合一させる)

白褌(しろふんどし)に白鉢巻きの姿となり、祓詞(はらえことば)、鳥船行事、雄健(おたけび)行事、雄詰(おころび)行事、気吹(いぶき)行事、身滌(みそぎ)行事という流れで行います。

鳥船の行は、天海(空)をこぎ渡るような雄大な気持で3つの所作を行い「イエーッ エーイッ」「エーイッ ホ」「エーイッ サ」と元気に声を出します。途中3首の和歌を唱えます。

朝夕に 神の御前(みまえ)にみそぎして すめらが御代(みよ)に仕えまつらむ

遠つ神 固め修めし大八洲(おおやしま) 天地(あめつち)共にとはに榮えむ

天津神(あまつかみ) 國津神(くにつかみ)たちみそなはせ おもひたけびて我が為(な)す業を

 

残念ながら、研修中につき画像を添付できませんが、今朝は五十鈴川(神路山に発し三重県伊勢市を流れる清流)で禊祓を行いました。

教育勅語渙発120年

2010年9月26日 日曜日

今年は、明治23年(1890)10月30日に「教育ニ関スル勅語」(いわゆる教育勅語)が発せられてから120年の節目を迎えました。

教育は「国家百年の計」といわれますが、学級崩壊、校内暴力、いじめ、不登校、引きこもり、学力低下といった子どもたちの異変やモンスターペアレント、児童虐待などの親の異常行動などには目を覆いたくなる有様です。また、教員の精神疾患による休職者の増大化や指導力不足教員の増加などを含め、社会問題として連日テレビを賑わせています。私たちの社会は何を拠り所にすれば良いのでしょうか。

実は100年前にも同様の教育の混乱がありました。江戸幕府が終焉を告げ、文明開化となった明治初年から20年前後、日本は過去を切り捨て極端な西洋化に走りました。地に足のつかない知識教育に偏った結果、徳育が見放され父兄を軽蔑する風潮が生じたといいます。これは、先の敗戦で誇りを失い、占領政策により日本人としての背骨を失った戦後60年の状況と似ていると思います。

教育勅語はそのような社会状況の中、明治天皇より渙発(かんぱつ)されました。その内容は、儒教の人として守るべき道「五倫」(ごりん)と比較されますが、日本の伝統的な精神を活かし、人として践み行うべき徳目が示されています。そして、その意義は道徳心の低下が顕著な今の時代にこそ必要とされている内容だと思われます。

教育勅語(原本) 東京大学蔵

教育勅語(原本) 東京大学蔵

朕(ちん)惟(おも)フニ我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ我ガ臣民(しんみん)克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス爾(なんじ)臣民父母ニ孝(こう)ニ兄弟(けいてい)ニ友ニ夫婦相和(あいわ)シ朋友(ほうゆう)相信ジ恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛衆(しゅう)ニ及ボシ学ヲ修メ業(ぎょう)ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ世務(せいむ)ヲ開キ常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ是(かく)ノ如(ごと)キハ独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン斯(こ)ノ道ハ実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ

口語訳 国民道徳協会訳文

口語訳 国民道徳協会訳文

ここには、①孝行②友愛③夫婦の和④朋友の信⑤謙遜⑥博愛⑦修業習学⑧知能啓発⑨徳器成就⑩公益世務⑪遵法⑫義勇という大切なこと、12の徳目が示されています。

神宮大麻頒布研修会

2010年9月21日 火曜日

来る10月17日(日)に、比々多地区戦没者の慰霊祭が行われますが、午後からは鎮魂太鼓の奉納演奏があります。その囃子車の通行に支障がないように、駐車場と道路の枝下ろしをいたしました。

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午後、神奈川県神社庁において「神宮大麻頒布研修会」が開催され、県内32名の神職が参加いたしました。

研修会の様子

研修会の様子

伊勢の神宮で丁重に奉製(ほうせい)される御神札(おふだ)を神宮大麻(じんぐうたいま)といいます。毎年年末になると新しい御神札を神棚に納め、新しい年が良い年であるようご加護を願うのが古くからの家庭のまつりの在り方です。

江戸時代には、御祓大麻(おはらいたいま)といわれ、御師(おんし)といわれる人たちにより全国の9割もの家庭に頒布(はんぷ)されていました。明治5年には今の神宮大麻に名称が変わり、現在では神社本庁を通して各都道府県の神社庁、そして各神社から各家庭に頒布されています。

神宮大麻

神宮大麻

神宮大麻は、皇室の祖先神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御神威(ごしんい)のこもった御神札であるとともに、「御祓大麻」といわれたように、その工程においてお祓いが何度も何度も厳修されています。また、“ 祓の具 ”としての麻串(ぬさぐし)が芯には入っています。

*古くは千度麻(せんどぬさ)・万度麻(まんどぬさ)ともいい、千度もの大祓詞(おおはらえことば)を唱えて奉製していました。

青年会考案の新しい神棚

青年会考案の新しい神棚

本日講師をつとめられた、神宮の孫福先生は、「神棚にお参りの際、目をつぶり、お伊勢さまの大きな石段を一歩ずつ上がるイメージをもち、白布の向こうの御正宮(ごしょうぐう)にお参りをする気持ちでお参りしてみてください」といわれました。

恐らく、希望に満ちて一日のスタートが始まり、かたじけない、もったいない思いで一日を終えることができることでしょう。

みちのかみ

2010年9月17日 金曜日

「さえのかみ・くなどのかみ・ちまたのかみ」などというと、さっぱり何のことか分からないでしょうが、「障神・岐神・衢神(道俣神)」と記すと理解できるかもしれません。これは全て、道祖神(どうそじん)のことです。

道祖神

道祖神

古くから道祖神は、村境、峠、道の辻、橋のたもとなどに祀(まつ)られ、邪悪なものや疫病が進入するのを防ぐ尊い神さまとして敬われてきました。現世と他界とを隔てる場所や祖霊を迎える場所とも考えられてきました。

また、道案内の猿田彦(さるたひこ)と同一視されたり、地方により縁結び・安産・子どもの神・夫婦和合・旅行神などの複雑な信仰を有しています。

道祖神移転のお祓い

道祖神移転のお祓い

県道44号(伊勢原藤沢線)において、車の往来が激しく危険なため、新たに歩道を設けることになりました。しばらくの間、道祖神さんに移転していただくこととなり、その奉告(ほうこく)と安全を祈願いたしました。

橋のたもとの道祖神(伊勢原市神戸)

橋のたもとの道祖神(伊勢原市神戸)

徳育

2010年9月9日 木曜日

今朝早く、伊勢原市倫理法人会  (社団法人倫理研究所)のモーニングセミナー(於:フォーラム246)に参加いたしました。講師には、日華親善協会副会長・酒井麻雄先生をお迎えして、「見えない歴史」(昭和史)についてお話を伺いました。

倫理法人会は、純粋倫理の実践によって自己革新をはかり、健全な繁栄をめざす経営者の集まりです。政治を始め、経営、環境、医療、公務員など広範囲にわたり道徳の規範となる原理、つまり倫理が求められています。

私たちの世の中は、あらゆる分野で “ モラル・ハザード ”(道徳崩壊)が露呈し、徳育の見直しが喫緊(きっきん)の課題です。

 

現在にあてはめても、国是としての内容を誇る「五箇条の御誓文」(ごかじょうのごせいもん)【明治元年3月14日、明治天皇が宣布した明治新政の基本政策】第2条には、

一、上下(しょうか)心を一にして、盛(さかん)に経綸(けいりん)を行ふべし

とあります。経綸とは、「国家を治め整えることであり、治国済民(ちこくさいみん)の方策」(『広辞苑』)のことです。御誓文の起草には、福井藩士・由利公正(ゆりきみまさ)があたりましたが、その出身である横井小楠(よこいしょうなん)の著『国是三論』の中には、経綸の言葉が主に「財政経済を興すこと」に重きが置かれ、起草にはその影響が強いといわれています。

 

明治23年(1890)10月30日、国民道徳の根源である「教育勅語」が渙発(かんぱつ)されてより120年になります。残念ながら、この60年は公教育の場から排除された空白状態にあります。しかしながら、家庭の親、職場の上司、地域や社会の指導者に求められる手本として、大いに見直される機会にあることは事実だと思います。