「18日の高麗山(大磯町高麗)のお祭りが晴れると22日の当社は雨」と昔から伝えられていますが、その逆となり「今日18日が雨となりましたので22日は晴れ」という地元の人たちの言葉です。
雨が農作物を盛んに成長させる「穀雨」(こくう)は明後日(20日)ですが、梅の実も大きく膨らんできました。
外は雨でしたが、例祭式に着用する正装の装束を社務所内に干しました。
明日はよい風を通すことが出来そうです。
毎年のことですが、大祭(4月22日)の斎行(さいこう)にあたり、交通状況の心配は尽きないものです。
今年は隣接する東京農業大学伊勢原農場さんの御協力を賜り、露店出店者の専用駐車場としてお借りすることになりました。
また、神輿を担ぐ青年の方々と神輿渡御(みこしとぎょ)に伴う安全確認を行いました。
そして、大きな人形山車(にんぎょうだし)の巡幸(じゅんこう)に配慮して、道路の枝下ろし作業などが進められました。
さて、「第31回まが玉祭」【5月19日(土)・20日(日)】の開催にあたり、今夜は実行委員会を開催しました。
足下の悪い中でしたが、お蔭様で51名もの方々にお集まり頂き、あらためて多くの皆様の御尽力により支えられていることを感じています。
今年の舞台行事では日本舞踊の団体が増えるとともに、新入学児童の健康祈願を行う予定です。
子供たちには「ぼくたち・わたしたちの夢」を絵馬に書いてもらい、御神前に掲示します。
尚、行事内容につきましては、あらためて拙ブログでご紹介します。
今日は大祭の行列奉仕に関わる奉仕者の報告などが総代、自治会、青年会などからありました。
一週間後には例祭の宵宮(よいみや)で「動座祭」(どうざさい)が執り行われますが、大祭式に参列される方の返信もほぼ出揃いました。
落幡神社(秦野市鶴巻南)の祭礼は午前9時の例祭式に続き、地区戦没者慰霊祭が粛々と執り行われ、終日掛けて神輿(みこし)が氏子区域を隈(くま)無く渡御(とぎょ)しました。
一時雲行きが怪しくなり、雨が落ちて来ましたが、午後6時半近くに無事還御(かんぎょ)を迎えることが出来ました。
村内に太鼓連の叩く鼓(つづみ)の音が鳴り響き、めでたく賑々(にぎにぎ)しいお祭りとなりました。
来週末は北金目神社(平塚市北金目)、神明社(伊勢原市上平間)、そして当社の大祭を迎えることになります。
昨晩は例祭に関する責任役員・総代会議を開き、細部にわたる準備や役割等について確認を行いました。
明日は神社周辺の草刈りや竹取り奉仕が行われます。
さて、大祭では勇壮な神輿(みこし)の渡御(とぎょ)や三基のからくり人形山車(にんぎょうだし)の巡幸(じゅんこう)が神賑(しんしん)行事として執り行われます。
その供奉行列(ぐぶぎょうれつ)の中で、一際目立つのが行列の先を行く猿田彦(さるたひこ)です。神話では天孫(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨(こうりん)に際し道先案内をした神さまです。
そのお面を氏子(三ノ宮)の大木吉之助氏が御奉納になりました。
今日は入園式を迎えた園児が、親御さんとお参りになる姿が見られました。
「友だち沢山できるといいですね」と声を掛けると、笑顔で返事をしてくれました。
また、大学の教職員が学内の安全祈願祭でお越しになりました。
本格的な学校生活が始まる時期ですが、環境や生活の変化に早く慣れ、生業に励んで欲しいと思います。
さて、昨年の6月下旬に地鎮祭奉仕をしたお宅の新居が無事竣工し、新築家祓とともに、神棚奉斎(かみだなほうさい)の神事を執り行いました。
檜木(ひのき)の香(かぐわ)しい神棚は、木材の木目とも合って麗(うるわ)しく、神さまも落ち着いて鎮まって頂けるものと感じながら、新生活の安全無事を祈り上げました。
平日ながら、今日は兼務する御嶽神社(伊勢原市池端)の例祭(れいさい)でした。
例祭は恒例によって1年に1回執り行われる最も重要な祭祀であり、多くは御祭神または神社にとってゆかりの深い日があてられています。
神社本庁の「宗教機能に関する規定」には濫(みだ)りに変更することは許されず、やむを得ざる場合においてもその変更については統理(とうり)の承認を得るべきことが明示されています。
例えば、当社の例祭は毎年4月22日ですが、市内では大山阿夫利神社は8月28日、相模國府祭の類社である一之宮・寒川神社は9月20日、四之宮・前鳥神社は9月28日、平塚八幡宮は8月15日です。
また、菅原道真公をおまつりする天神さまは、誕生日と亡くなった日にあたる25日が例祭日となっています。