まさしく雨後の筍(たけのこ)、次々に勢いよく頭をのぞかせています。
今日は落幡神社(秦野市鶴巻南)の例祭でした。続いて地区戦没者の慰霊祭を執り行い、その後氏子地域へ神輿渡御となりました。
弱い雨が降りましたが、夕刻には定め通り神社に無事還御(かんぎょ)となりました。
明日は晴れ間がのぞいて幟(のぼり)立てができそうです。
例祭の祭具・行列具なども徐々に出しながら準備を進めます。
神社では毎日の出来事などを日誌に綴(つづ)っていますが、例年に比べても春雨の多い今年の天候です。
大安吉日、今日は地鎮祭(じちんさい)などの出張祭儀(外祭)が重なりましたが、午前中は何とか天気がもちました。
宅地造成された住宅現場では、戸建て住宅の基礎工事や躯体(くたい)工事、外装工事、外構工事などが行われ、それぞれの職人さんが工事に励んでいました。
また、ハウスメーカーの住宅展示場において、年度始まりの時期にあたり、営業繁栄祈願祭を執り行いました。
〝 商人(あきんど)に系図なし 〟(商人に身分や家柄は関係ない。才覚と手腕である。)という諺(ことわざ)がありますが、地道な努力と誠実な行動で〝 天佑神助 〟(てんゆうしんじょ=天の助けと神の加護)が得られるよう願います。
天皇皇后両陛下には、戦後70年の戦没者慰霊で、パラオ共和国を御訪問(8日・9日)になりました。平成17年のサイパン島御訪問以来の海外慰霊となりました。
全国の神社では、行幸啓(ぎょうこうけい)に先立ち「天皇皇后両陛下帛琉御渡航行幸啓安泰祈願祭」を執り行い、御訪問中も各社の日供祭において御安泰を祈り上げました。
本日は、先の大戦の激戦地となったペリリュー島にある慰霊碑において献花なされ、戦没者の御霊を慰められました。
報道されていませんが、ペリリュー州では4月9日を「天皇皇后両陛下御訪問の日」として、法律で祝日に制定したそうです。
第一次世界大戦後、日本の委任統治下となったパラオでは、西欧が植民地支配した国々とは異なり、学校・病院・道路など、日本によるインフラ整備がもたらされました。
この度の熱烈な歓迎ムードでもパラオが親日国であることがわかります。その背景には、先の大戦で日本軍が多くの命を失う中で、島民の命を必死で守ったことにあり、〝 青い太平洋に浮かぶ黄色い月 〟のパラオの国旗が、日本(日章旗)に対する敬意の表れであることからも理解できます。
70年以上も前に西太平洋の島々で起こった出来事、日本人の勇敢さと気高い精神をあらためる考えさせられる両陛下の御訪問でした。
その大御心(おおみこころ)にいかにこたえることができるのか、戦後生まれが8割を占める現在、私たち国民は先人の歴史に学ぶこと大です。
平成27年4月8日(水)
パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)
「宮内庁ホームページ」より
本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲ばれます。
私どもはこの節目に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。
パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和10年頃には、島民の数より多い5万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。
終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。
この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオ国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。
この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。
終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。
今日は真冬並みの寒さとなりました。
午後6時、榊会(さかきかい)正式参拝の折りには、御殿の中は気温4℃でした。
榊会は元総代の会で、昭和55年に組織され、春秋の正式参拝、国府祭の助勢奉仕などを事業としています。
今年は戦後70年ですが、今日がちょうど70回目の正式参拝となりました。
今春、総代の役目を終えた方も、新たに会員として加わりました。
今年は2年に一度の改選期にあたり、新役員も紹介されました。
次は、新役員さんと国府祭の打ち合わせ会議(4月29日)を行います。
昨日の初夏を思わせる天候から一転、今日は冬の寒さに逆戻りとなりました。
雨により桜の絨毯(じゅうたん)が敷き詰められましたが、県立高校では花びらの舞う入学式を迎えたのではないでしょうか。
授与所では、通学安全・交通安全の御守を受けられる親御さんの姿が見られ、子を思う温かな親心を感じました。
さて、先週は欧州の方の神前結婚式がありましたが、神宮の式年遷宮を契機に、外国人の日本文化に対する関心も非常に高まっているようです。
外国人に日本の神道文化を理解してもらうために、神社本庁が作成した英文冊子 『 SOUL of JAPAN 』 のインターネット版が、3ヶ月で180万という驚異的ダウンロード数を記録したそうです。
当社でも諸団体の国際交流を含めて、年間に訪れる外国人数が徐々に増えています。
専門用語を解説することは容易ではありませんが、日本人の心、日本文化などを理解してもらうことで、神道への関心を高めたいと考えています。
今日は総代さんの奉仕作業で俵づくりでした。
毎年、例祭(4月22日)と国府祭(5月5日)の粽(ちまき)行事に用いる俵を4つ拵(こしら)えています。
ここ数年は総代さんの担(にな)いとなっていますが、総代任期は3年限り。
一年に一回のことで引き継いでいくのは大変なことです。
経験の中で体で覚えている人、独自のノートに作り方を書き込んでいる人など、それぞれですが、力を合わせて伝統を紡(つむ)いでいく様子は素晴らしいものです。
「お祭りはここから始まっているんだ。」といった声が聞かれましたが、皆さん表情は真剣そのものです。
優れた手先と段取りにより、青々とした立派なものに仕上がりました。
もちろん、総代さんたちの真心がこもっています。
本日は万物清新の気に満ちあふれる「清明」(せいめい;清浄明潔の略)であり、百花咲く好季節にあたります。
しかしながら、〝 春に三日の晴れ無し 〟という言葉通り、雲に覆われた一日となりました。
今日も雨の様子を気にかけながら、兼務社の例祭奉仕となりました。
市内では十二柱神社(伊勢原市伊勢原)と雷電神社(伊勢原市串橋)、市外では八坂神社(平塚市入野)と熊野神社(平塚市千須谷)の大祭です。
十二柱神社では昨年末に続き、篤志者から太鼓の奉納があり、例祭式にあわせて神さまに奉告しました。
祭典後、長寿会太鼓の会により太鼓の披露がありました。
若者に負けない熱意で桴(ばち)を握る姿に、氏子の人たちも暫(しば)し聞き入っていました。
雷電神社では例祭式が終わるのを待って、子供たちが一斉に太鼓を叩きはじめました。
同じ市内でも地域によって太鼓の叩き方には微妙な違いがあり、その伝統を引き継ぐ喜びと大切さを、お祭りを通して肌で感じられるのはありがたいことです。
花曇りの空を見上げながら、雨粒が落ちないことを願いつつ、兼務社の例祭奉仕に出かけました。
本日は、神明社(伊勢原市白根)と石座神社(秦野市鶴巻)において大祭を迎えました。
残念ながら、神明社では小雨の影響で出店は縮小となりましたが、神輿や囃子太鼓は予定通り、子供たちの元気いっぱいの姿が見られました。
例祭式に続き、明後日入学式を迎える新入児童21名の安全祈願祭を執り行いました。
神妙な様子の子供たちはもとより、保護者も祭典に臨むのは初めてという方が多く、貴重な機会になったと思います。
記憶の片隅にお祭りの思い出が残れば幸いです。