2015年4月9日 のアーカイブ

天皇皇后両陛下パラオ御訪問

2015年4月9日 木曜日

天皇皇后両陛下には、戦後70年の戦没者慰霊で、パラオ共和国を御訪問(8日・9日)になりました。平成17年のサイパン島御訪問以来の海外慰霊となりました。

全国の神社では、行幸啓(ぎょうこうけい)に先立ち「天皇皇后両陛下帛琉御渡航行幸啓安泰祈願祭」を執り行い、御訪問中も各社の日供祭において御安泰を祈り上げました。

本日は、先の大戦の激戦地となったペリリュー島にある慰霊碑において献花なされ、戦没者の御霊を慰められました。

報道されていませんが、ペリリュー州では4月9日を「天皇皇后両陛下御訪問の日」として、法律で祝日に制定したそうです。

第一次世界大戦後、日本の委任統治下となったパラオでは、西欧が植民地支配した国々とは異なり、学校・病院・道路など、日本によるインフラ整備がもたらされました。

この度の熱烈な歓迎ムードでもパラオが親日国であることがわかります。その背景には、先の大戦で日本軍が多くの命を失う中で、島民の命を必死で守ったことにあり、〝 青い太平洋に浮かぶ黄色い月 〟のパラオの国旗が、日本(日章旗)に対する敬意の表れであることからも理解できます。

70年以上も前に西太平洋の島々で起こった出来事、日本人の勇敢さと気高い精神をあらためる考えさせられる両陛下の御訪問でした。

その大御心(おおみこころ)にいかにこたえることができるのか、戦後生まれが8割を占める現在、私たち国民は先人の歴史に学ぶこと大です。

パラオ共和国の国旗

パラオ共和国の国旗

平成27年4月8日(水)

パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

宮内庁ホームページ」より

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲ばれます。

私どもはこの節目に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。

パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和10年頃には、島民の数より多い5万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。

終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。

この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオ国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。

この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。