‘なぜ?なに?’ カテゴリーのアーカイブ

神社庁舎上棟祭

2016年10月25日 火曜日

昨日は雲一つ無い青空の下、神奈川県神社庁新庁舎上棟祭(じょうとうさい・むねあげのまつり)が横浜市磯子区磯子台で執り行われました。

上棟祭は各種建物の新築にあたり、棟木(むなぎ)を上げる際に行われる祭儀(さいぎ)です。

6月17日に地鎮祭(じちんさい)が斎行(さいこう)されてから、災禍(さいか)なく順調にこの日を迎えましたが、今後長く新殿(しんでん)新室(にいむろ)に禍(わざわい)なく、幸あれと願うものです。

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祭儀では家屋の守護神である屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)・屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)と、工匠(こうしょう=大工)の神である手置帆負命(たおきほおひのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の4柱(よはしら)の神々をお祭りします。

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部材には県内産の桧(ひのき)が用いられていますが、その屋上に桧(ひのき)の幣串(へいぐし)3本、両脇に天の弓矢、地の弓矢が飾り立てられました。

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上棟祭は工匠の仕来(しきた)りで種種の仕方で行われる神事ですが、棟木の位置を測量・検地(けんち)する「丈量の儀」(じょうりょうのぎ)、棟木を棟に曳上げる「曳綱の儀」(ひきつなのぎ)、棟木を棟に打ち固める「槌打の儀」(つちうちのぎ)、災禍(さいか)を除く「散餅散銭の儀」(さんぺいさんせんのぎ)が本義に基づいて相次いで行われました。

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閉式後、「福餅福銭散供」(ふくもちふくせんさんく)が行われ、大勢集まった近隣の子供たちや住民に、お祝い分けの紅白餅や福銭、お菓子などが撒(ま)かれました。

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引き締まった祭典

2016年10月16日 日曜日

予報通りの快晴の青空の下、正祭・慰霊祭に続き、午後から慰霊祭奉納太鼓を予定通りに開催することが出来ました。

四季桜

四季桜

先ずは、秋の祭礼「正祭」(しょうさい)の様子をご報告致します。

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祈年祭(2月17日)、例祭(4月22日)、新穀勤労感謝祭(11月23日)など、午前10時に執り行う祭事が多い中、正祭は午前9時斎行(さいこう)ということで、総代さんたちも朝7時過ぎには参集しました。

三方に載せた神饌

三方に載せた神饌

神さまにお供えする「神饌」(しんせん)を載せる台を「三方」(さんぼう)といい、神事にはこの三方が概(おおむ)ね用いられます。これは折敷(おしき)と胴(どう)から成り、胴の三面に眼象(げんじょう)という繰形(くりかた=えぐってあけた穴)があることから名付けられたものです。

平素は5台の神饌を並べていますが、正祭では白木(しらき)の三方に載せた9台の神饌をお供えします。

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祭式作法通りに粛々(しゅくしゅく)と進めるのが神事の神事たる由縁(ゆえん)ですが、清浄を期し、秩序を重んじ、何より敬神報恩(けいしんほうおん)の至誠(しせい)を尽くすことにより、神徳(しんとく)が添えられるものです。

緊張の中、参列者一同がその境地にあるような、引き締まった祭典でした。

楽屋

2016年10月10日 月曜日

更衣(ころもがえ)後も汗ばむような日が続きましたが、乾いた空気に包まれた秋らしい日となりました。

私たち神職が身に付ける装束(しょうぞく)も、ようやく湿気から解放されそうです。

林先生の驚く

林先生が驚く初耳学! 「まが玉祭の映像」

さて、昨晩放送の『林先生が驚く初耳学!』(9日22:00TBS系列放送)において、「楽屋」(がくや)の言葉の由来について説明する場面で、当社「まが玉祭」の雅楽(ががく)演奏の画像が紹介されました。

出番を待つ役者などが衣裳(衣裳)を着替えたりする準備の部屋を楽屋といいますが、もともとは雅楽の楽人(がくじん)が奏楽(そうがく)する場所をいったそうです。

他にも雅楽に由来する言葉では、「二の句(にのく)がつげない」「千秋楽(せんしゅうらく)」「打ち合わせ」「打ち止め」「音頭(おんど)を取る」などがあります。

荷田春満と五霊社

2016年10月2日 日曜日

昨日は市内で開催されている第49回伊勢原観光道灌まつりにあたり、墓所である大慈寺(伊勢原市下糟屋)と洞昌院(伊勢原市上粕屋)において、文武両道に秀でた太田道灌公の遺徳(いとく)を偲び、墓前祭(ぼぜんさい)が執り行われました。

今日は兼務する八剱神社(平塚市上吉沢)と五霊神社(伊勢原市上粕屋)で例祭のご奉仕がありました。

五霊神社 例祭

五霊神社 例祭

社伝によると、五霊(ごりょう)神社は大同(だいどう)元年(806年)の創建で、旧社地は三ノ宮地内の御領原(ごりょうはら)に鎮座していました。

平安時代には三ノ宮の地に国府が置かれていたと考えられ、国司による御霊会(ごりょうえ=死者の怨霊(おんりょう)を鎮めるためのまつり)が行われていたものと考えられます。

この五霊神社には、太田資長命(おおたすけながのみこと=太田道灌公)が合祀(ごうし)されています。

宝永7年(1710年)に現在の七五三引(しめひき)の地に遷座(せんざ)しましたが、その祭典において祝詞(のりと)を奏上したのが、賀茂真淵(かものまぶち)・本居宣長(もとおりのりなが)・平田篤胤(ひらたあつたね)とともに「国学の四大人」といわれる荷田春満(かだのあずままろ)です。

五霊社解除祝詞 荷田春満

五霊社解除祝詞 荷田春満

社殿を新たに造営するにあたり、「邪心(よこしまごころ)なく、穢(けが)れなく、咎(とが)もなく、祟(たた)りもなく、御恵(みめぐみ)と御徳(みいつ)により」と、無事を祈る斎主(さいしゅ)としての心情が祝詞に表れています。

昔から〝見るなの禁〟〝目がつぶれる〟といわれるのが神さまの鎮まる本殿(ほんでん)であり、清浄(せいじょう)を期(き)した宮司であっても、大祭の祭儀のみでしかその扉(とびら)を開くことはできないものです。

この宝永の造営時の墨書(ぼくしょ)には〝神主と雖(いえど)も開けるべからず、一国一郷(いっこくいちごう)の災難起こるべし〟とあり、後生(こうせい)に託(たく)す秘(ひ)すべき戒(いまし)めの言となっています。

今日の例祭に併せて、「戦没者慰霊祭」を毎年行っていますが、招魂(しょうこん)する英霊(えいれい)は五柱であり、「五霊神社」「御領原」「御霊会」の語と相俟(あいま)って、その関係の不思議さに恐れ畏(かしこ)むばかりです。

神地・神戸を定め給ふ

2016年10月1日 土曜日

今月は神無月(かんなづき)ですが、「無」は上代(じょうだい)の格助詞で「の」を表し〝神の月〟にあたります。

当社では秋の祭礼「正祭」(しょうさい:10月16日)を執り行います。

第10代崇神(すじん)天皇7年「天社(あまつやしろ)・國社(くにつやしろ)及(また)神地(かむどころ)・神戸(かむべ)を定め給ふ」(日本書紀)とありますが、神領地として「神地・神戸」を賜ったその由縁に感謝する祭儀として「正祭」は行われています。

社頭掲示 神無月

社頭掲示 神無月

律令制下では、「神地」は朝廷が神社に寄進した所領、「神戸」は神社に属してその経済を支えた民ですが、全国各地に地名として残っています。

崇神天皇は初代 神武(じんむ)天皇と並んで「御肇國天皇」(はつくにしらすすめらみこと:『日本書紀』)と記され、国を初めて統治された御事績(ごじせき)を称えた呼び名です。

例祭日

2016年9月29日 木曜日

昨日は國府祭(こうのまち)の類社(るいしゃ)であり、相模国式内社(さがみのくにしきないしゃ)、そして現在では同じ相模中(さがみなか)連合支部に属する前鳥神社(平塚市四之宮)の例祭(れいさい)にあたり、禰宜が参列しましした。

前鳥神社 例祭(修祓式)

前鳥神社 例祭(修祓式)

恒例によって年に一回執り行われる例祭(大祭式)は、最も重要な祭祀(さいし)で、春や夏、秋など神社により季節が異なりますが、御祭神(ごさいじん)や神社にとって特にゆかりの深い日があてられ、濫(みだ)りにその日時を変更することは許されません。

当社の例祭日は4月22日ですが、近隣でも平塚八幡宮(8月15日)、大山阿夫利神社(8月28日)、寒川神社(9月20日)、前鳥神社(9月28日)など、氏子の人たちによってその伝統がしっかりと守られています。

境内の金木犀

境内の金木犀

境内では季節の変わり目の雨の中、金木犀(きんもくせい)が一際強い香りを放っています。

秋の梅雨のようですが、昨日発生した台風18号の動向には注意をしたいところです。

五十日祭

2016年9月26日 月曜日

昨日は神葬祭(しんそうさい)における祖先のまつりを参集殿で執り行いました。

現在の諸事情や地方のしきたり、各家の考え方に多少の違いはあるものの、告別式の前夜に行う「通夜祭」(つやさい)、故人の御霊(みたま)を霊璽(れいじ)という白木(しらき)の木主(もくしゅ)に遷し留める「遷霊祭」(せんれいさい)、告別式にあたる「葬場祭」(そうじょうさい)という重儀を経て、火葬場で行う「火葬祭」(かそうさい)、葬儀が無事済んだことを告げる「帰家祭」(きかさい)、また「十日祭」(とおかさい)までが、一般にいうお葬式にあたります。

五十日祭の様子

五十日祭の様子

その後、帰幽(きゆう)した当日を基点として行われる霊前祭(れいぜんさい)のうち、最初に重きを置くのが「五十日祭」(ごじゅうにちさい)で、仏教でいえば四十九日法要にあたるものです。

身内に不幸が生じた場合、ある一定の期間は喪(も)に服(ふく)しますが、これを「服忌」(ぶっき)といい、「忌」は故人の死と向き合って葬儀等の儀礼に専念すること、「服」は故人への哀悼を表す期間をいいます。

戦前における制度と異なり、現代社会では官公庁や企業などにおいて服務規程が定められています。

地域による違いはあるものの、一般的には五十日祭までが忌の期間にあたり、これを過ぎれば神社への参拝や神事は従前通りに行い、家庭の神棚や祖霊舎(それいしゃ)に覆っていた白紙を取り除き、平常に復します。

尚、立場上で止むを得ない場合等には、神職による「清祓」を受けることも出来ます。

産育の行事

2016年9月25日 日曜日

彼岸明けの日曜日、久しぶりに青空の広がる天候となりました。

好天に誘われて、遠方からの御朱印参拝も多い一日でした。

安産祈願 「 岩田帯 」

安産祈願 「 岩田帯 」

社頭は安産祈願、初宮参り、七五三参りなど家族連れの参拝者が多く、笑顔の絶えない様子でした。

時代の経過とともに生活様式は様変わりするものですが、妊娠、子供の誕生、成長と、その過程における〝 産育 〟(さんいく)は、日本人が長い年月を経て受け継いできた大切な風習です。

不安定なものを安定へと導く、先人の知恵ともいえます。

木の子

2016年9月23日 金曜日

今日は秋分に最も近い戊(つちのえ)で「社日」(しゃにち)です。秋の社日を秋社(あきしゃ)といいます。

昨日は社殿を構えない地神社(秦野市鶴巻南)の例祭でしたが、雨の影響もあり、同じく兼務する落幡神社(秦野鶴巻南)の殿内において遙拝式(ようはいしき)を執り行い、御祭神である土の神・埴安姫(はにやすひめ)に収穫感謝の祈りを捧げました。

地神社の大榎

地神社の大欅 ( おおけやき )

雨続きの2週間余り、社務日誌をめくってみても晴れの日がほとんど無く、御天道様(おてんとうさま)が恋しい日々です。

稲刈りを目前にした農家も多く、さすがに深刻な問題となっています。

神社でも至る所が湿気に覆われ、参道の石畳や御神木の樹皮は苔(こけ)むしています。

相生の欅

相生の欅 ( あいおいのけやき )

境内の樹木の下に視線を落とすと、キシメジ科?と思える茸(きのこ・菌)が群生していました。

茸類を古名で〝 くさびら 〟といいますが、『和名抄』(わみょうしょう:倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)の略)には、「笠のないものを茸、笠あるものを菌」というとあります。

東日本では「キノコ」(木の子)、北陸では「コケ」(ふけ・雲脂)、関西では「タケ」(茸)、九州では「ナバ」(ねばねばしたもの)という言い方も面白いものです。

霧雨や白き木子の名は知らず 乙二

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夏には多くの虫が見られましたが、その死骸を分解するのは菌類の役割です。

それが土の栄養となり、植物が育つわけです。

〝 木の子 〟として木から養分ももらうだけでなく、見えない地中の菌糸(きんし)が菌根(きんこん)として養分の相互補給を行い、共生が成り立っているようです。

秋季皇霊祭

2016年9月22日 木曜日

秋の彼岸の中日(ちゅうにち)で「秋分」となりました。

ご先祖さまに御萩(おはぎ)をお供えし、墓参りをする日本独特の行事です。

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〝 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ 〟国民の祝日「秋分の日」ですが、明治・大正・戦後間もなくまでは「秋季皇霊祭」(しゅうきこうれいさい)という祭日でした。

宮中では春分の日と同様に、皇霊殿(こうれいでん)において歴代天皇の大御霊(おおみたま)を始め、皇后・皇族の御霊をおまつりする先祖祭(秋季皇霊祭)が、神殿(しんでん)では天神地祇(てんじんちぎ:天つ神国つ神)八百万神(やおよろずのかみ)の神恩(しんおん)に感謝する秋季神殿祭が執り行われます。

仁孝天皇(文政8年)

天照らす神のめぐみに幾代々もわがあしはらの国は動かじ

彼岸は盂蘭盆(うらぼん)と同じく、古来の民俗信仰と結びついて年中行事化したものです。

神道でも春季同様に、先祖祭の「秋季霊祭」(しゅうきれいさい)が執り行われます。

玉襷(たまだすき)かけて祈らな世々の祖(おや)祖の御祖(みおや)の神の幸(ちは)ひを 平田篤胤