正祭を斎行した後、午前10時に比々多地区戦没者慰霊祭(比々多神社・比々多地区自治会連合会共催)を執り行いました。
伊勢原市内では各地で戦没者の慰霊行事が行われ、当社の所管神社(平間神明社、日月神社、五霊神社、落幡神社)でも各社の祭礼に併せて慰霊祭を毎年執り行っています。
しかしながら、地区自治会として行っているのは当地区のみであり、遺族はもとより、市遺族会長、県議会議員、市議会議員、12自治会役員、神社役員・総代など、多くの関係者が参列して戦後70年の意義深い慰霊祭に思いをいたしました。
昨日の午前9時、秋の祭礼「正祭」(しょうさい)を斎行しました。
現存の『社伝記』(天保5年)によれば、「第十代 崇神(すじん)天皇の七年、神地「神戸」(ごうど)を奉られ」とあり、そのことに感謝する由縁の祭典(現在は10月17日に近い日曜日)です。
『日本書紀』巻第5の「御間城入彦五十瓊殖天皇」(みまきいりひこいにゑのすめらみこと=崇神天皇)の七年の項には、神地(かむどころ)・神戸(かんべ)を定めたことが記されています。
即ち、「世の中に疫病が流行し災害が起こるのは、善政が無いために咎めを受けているのだ」と、崇神天皇は八十萬神(やそよろずのかみ)を集めて占い、大田田根子(おほたたねこ)に大物主大神(おほものぬしのおほかみ)を祭らせ、百官とともに祈ることにより神慮(しんりょ)をなだめ、はじめて疫病が止み、五穀が実り、国民が賑わったということです。
その結果、天社(あまつやしろ)・国社(くにつやしろ)、また神地・神戸を定められたことが記されています。
現在、氏子地域には神戸(ごうど)が地名として、神戸(かんべ)が姓として名残をとどめています。