相模国三ノ宮・比々多神社

神戸

昨日の午前9時、秋の祭礼「正祭」(しょうさい)を斎行しました。

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現存の『社伝記』(天保5年)によれば、「第十代 崇神(すじん)天皇の七年、神地「神戸」(ごうど)を奉られ」とあり、そのことに感謝する由縁の祭典(現在は10月17日に近い日曜日)です。

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『日本書紀』巻第5の「御間城入彦五十瓊殖天皇」(みまきいりひこいにゑのすめらみこと=崇神天皇)の七年の項には、神地(かむどころ)・神戸(かんべ)を定めたことが記されています。

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即ち、「世の中に疫病が流行し災害が起こるのは、善政が無いために咎めを受けているのだ」と、崇神天皇は八十萬神(やそよろずのかみ)を集めて占い、大田田根子(おほたたねこ)に大物主大神(おほものぬしのおほかみ)を祭らせ、百官とともに祈ることにより神慮(しんりょ)をなだめ、はじめて疫病が止み、五穀が実り、国民が賑わったということです。

その結果、天社(あまつやしろ)・国社(くにつやしろ)、また神地・神戸を定められたことが記されています。

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現在、氏子地域には神戸(ごうど)が地名として、神戸(かんべ)が姓として名残をとどめています。

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