相模国三ノ宮・比々多神社

国府祭 神揃山

金目の行在所(あんざいしょ)を後にして、神揃山(かみそろいやま・かみそりやま)へと出立(しゅったつ)。

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一行は大磯学園前でバスを降り、在庁(ざいちょう)役のお出迎えを受けて、神揃山の北側から山道を進みます。

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各社とも参道が定められていますが、斎場へは当社が最も険しい道程です。

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現在では皇紀2600年(昭和15年)に各社お揃いで奉製された白木の神輿ですが、昔はこの山道を大神輿でどのように渡御(とぎょ)したものか、何とも想像をかき立てられます。

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神揃山にも2箇所の化粧塚(けしょうづか)が設けられ、古のことも思いながら定めし時間通りに斎場へと歩を進めました。

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一宮、二宮の斎場お着きの知らせを受けて、当社も斎場入りとなりました。

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斎場では準備班が万端整えて御成(おなり)を待ち構えていました。

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神輿のお着きとともに、海の幸、山の幸、季節のものをご神前に並べまつり、「着御祭」(ちゃくぎょさい)の斎行(さいこう)です。

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昔は熟饌(じゅくせん)といって煮炊(にた)きしたものを供えていました。

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一宮から始まり、着御した順番通りに着御祭が斎行されました。

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一国一社・八幡宮の式が終わると、総代の合図で当社の「粽行事」(ちまきぎょうじ)が始まります。

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各社の無事鎮座を寿(ことほ)ぐ儀式ですが、青年会により四方八方に粽が撒(ま)かれました。

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粽行事とほぼ同時に、各社(寒川神社・川勾神社・比々多神社・前鳥神社・平塚八幡宮)への「五社列拝」(ごしゃれっぱい)となります。

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そして、正午になると古式「座問答」(ざもんどう)が始まります。

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任官した国司(こくし)が、国内の有力大社を参拝して「天下泰平」「五穀豊穣」を祈る祭政一致の伝統行事ですが、大化の改新(645年)とともに、国の編成がなされ、676年には国府祭が始まったとされます。

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相模国の成立により、相武(さがむ)の一宮であった寒川神社と、磯長(しなが)の一宮であった川勾神社が一宮争いをしたことが儀式化されたのが「座問答」です。

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一宮を主張する両社が、神座(みくら)に見立てた虎の皮を、お互いに上位に敷くこと三度、両社は互いに譲りません。

そこに三宮である当社が仲裁に入り、「いずれ明年まで」の掛け声で神事が納められるというものです。

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何とも神さまらしい解決の仕方に、一斉に「おー」というざわめきと、拍手がわき起こります。

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座問答が終わると、定められた神体石(しんたいせき)に、各社の神さまの依り代(よりしろ)である鉾(ほこ)を立てます。

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間もなく、各社から迎神(げいしん)のための奉迎使(ほうげいし)が総社・六所神社へと旅立ちます。

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五社同時に「発輿祭」(はつよさい)を執り行い、一宮から順に大矢場(おおやば=逢親場)斎場へと向かいます。

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