この3日間、祖先のまつり(五十日祭・埋葬祭・一年祭・十年祭)が続きました。
祖先のまつりの祭詞(さいし)には、「咲く花のついに散り」「咲きの盛りと咲継げど」「花ならば咲きの盛りに」「花紅葉時折々に忘るることなく」「花は咲き鳥はさえずるもいと悲しく」・・・など、花にたとえて口惜しい心情を表現しますが、この時期の花と言えばやはり桜です。
桜の開花宣言は、各地の気象台や測候所近くの定められた標本木の開花(5~6輪)をもって行われるそうです。よく知られているように、東京の標準木は靖國神社境内にあります。
戦争末期、兵士の遺書に良寛(りょうかん)の辞世の句といわれる「散る桜 残る桜も 散る桜」が引用されましたが、日本人の気高くも潔(いさぎよ)い、情緒溢れる奥深い心を桜にたとえたものといえます。
華々しいさと対照的にもののあはれ(物の哀れ)や無常といった仏教の人生観とも捉(とら)えることができますが、来年、再来年と繰り返し咲くという考えでは、神道の生死観、先祖から私たちに、そして子々孫々につながる不連続の連続、甦(よみがえ)りの生命(いのち)ともいえます。