‘その他’ カテゴリーのアーカイブ

海ゆかば

2011年7月19日 火曜日

大型で強い台風6号(マーゴン)が、本土に近づいており、暴風雨に警戒が必要です。

比々多小学校では台風に備えて、明日の終業式を前に、通知表(同小では「あゆみ」)を配布しました。

昨日は「海の日」でしたが、ひたちなか市(茨城)や三浦市(神奈川)では、台風の影響で高波にさらわれる事故が相次ぎました。

 

さて、「海ゆかば」という歌をご存じでしょうか。

海行(ゆ)かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草むす屍 

大君の 辺(へ)にこそ死なめ 顧(かへり)みはせじ 

奈良時代の万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)の歌に、信時潔(のぶときよし)が曲をつけ(昭和12年)、大東亜戦争中に準国歌(第二国歌)として「君が代」以上に歌われました。

次第に激しくなりゆく戦時中に、悲壮感漂う鎮魂歌として好まれたため、戦後は嫌悪感を抱かれて封印されてしまいました。

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しかしながら、歌詞の由来をたずねると、むしろ勇壮な言の葉の名歌なのです。この一首は、現存最古の歌集『万葉集』(巻十八)に登場します。

当時、奈良の大仏鋳造(ちゅうぞう)という大事業にご苦心されていた聖武天皇が、陸奥国(むつのくに:現在の青森と岩手の一部)で黄金(銅)が出たことを非常に喜ばれ、詔(みことのり)を出されたのに対してお応(こた)えして詠んだ長歌の一部分です。

大伴家は宮廷の警護と軍事を司る家柄で、我が身を顧みることなくお務めに徹することを歌ったものです。

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大君を国に置き換えて考えると、今の為政者の覚悟と行動の指針にもなろうかと思います。率先垂範・有言実行で自らの務めを果たした、なでしこジャパンの主将・沢穂希選手のサッカー人生には、そんな勇壮さを感じました。

 

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靖國神社参拝研修会

2011年7月14日 木曜日

昨日、神道政治連盟神奈川県本部と東京都本部合同の靖國神社参拝研修会が開催されました。

7月13日から15日は、靖國神社の「みたままつり」にあたり、全国各地から遺族会はもとより、家族連れなどが大勢集まり、境内は賑わっていました。

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先ず、靖國神社に鎮まる英霊の真心やご事蹟を今に伝える「遊就館」をゆっくりと見学しました。

「スポーツと靖國神社」と題した特別展も開催され、元巨人軍・沢村栄治命を始め、戦地に散華された多くのスポーツ選手の思いが伝わってきました。

遊就館は、夏休み期間は小・中学生の入場が無料なので、近現代史を学び、親子や家族の絆について考える絶好の機会だと思います。

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遊就館や境内には、政治家や作家、芸能人やスポーツ選手の揮毫やぼんぼりが数多く飾られ、見ているだけでも飽きませんでした。

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靖國神社も大事業所ということで、15%節電を実施していましたが、みたままつりは神事ということで、時間短縮はあるものの、提灯に灯がともるようです。

京極宮司さまから貴重なお話をいただいたのち、昇殿して心静かにお参りをいたしました。

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境内には、昭和天皇の御製が掲げられていました。国民を思う大御心を実感いたしました。

昭和天皇御製     東北地方視察 (昭和22年)

水のまがにくるしみぬきしみちのくの山田まもる人をあはれと思ふ

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その後、自由民主党本部に移り、衆議院議員・稲田朋美氏の講演を拝聴しました。「東京裁判史観はともかく、その時代に若人が身を挺して戦い、国の為に尊い命を失ったことは紛れもない事実であり、首相が靖國神社を公式参拝することは当然であり、他国から干渉される筋合いのないこと」と断言されました。

その後、多くの国会議員との懇談会を実施し、とても有意義な1日となりました。

 

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文月

2011年7月1日 金曜日

今日から文月。お中元の品々も到来しており、御礼の手紙や暑中見舞いなど、文を書く季節です。

宮城県名取市で津波の被害に見舞われ、神棚も流された方からお神札を送って欲しいとの連絡が入りました。早速、筆を執って手配をいたしました。心の安寧を祈るばかりです。

神奈川県神社庁 7月ポスター

神奈川県神社庁 7月ポスター

当地は、しばらく雨の予報が続いていますが、気温もかなり高くなっています。神社では、お宮も社務所も各施設クーラーなしで過ごしていますが、こまめに水分だけは摂取するよう心掛けています。

今日は、月次祭(つきなみさい)で、氏子・崇敬者はもとより、国の安全と世界の平和を祈願いたしました。昨日、長野県で大きな揺れがありましたが、被災地の安全を願うところです。

暑さしのぎ(^^)/~~~風鈴

暑さしのぎ(^^)/~~~風鈴

お身体ご自愛のうえ、今月も元気にお過ごしください。

 

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本殿竣功奉祝祭

2011年6月27日 月曜日

昨日、武州柿生の琴平神社(川崎市麻生区)で、本殿竣功奉祝祭が斎行され、禰宜が宮司の代理で参列いたしました。

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4年前の6月26日、心ない者により放火され、ご本殿が焼失してしまうという悲劇が起こりました。琴平神社は川﨑市内で最も古い社殿建築でしたが、一瞬でその歴史が消えてしまいました。

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また、天井には江戸時代の文人画家・渡辺崋山の作とされる63枚の板画が描かれていましたが、それらも全て失ってしまいました。

しかしながら、画伯である宮司さんが、2年半の歳月を掛けて渾身の思いで筆を執られ、花鳥山水の実に見事な天井画が復元されました。

氏子を中心とした再建委員会や奉賛会のご努力により、本当に素晴らしいご本殿が再建されました。

奉祝祭後の記念式典では、皆さまの苦労話の一端を伺いましたが、関係者の笑顔はそれを吹き飛ばすものでした。

記念式典での清興「還城楽」

清興「還城楽」

記念式典では、清興として横浜雅楽会による舞楽「還城楽」(げんじょうらく)が演じられました。

5月に行った「まが玉祭」の管絃と舞楽の夕べで演じていただいたものです。

神さまのみたまが慰められ、大いなるご加護が氏子崇敬者の皆さまにもたらされると信じてやみません。

神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う 『御成敗式目』

 

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先生の社会体験研修

2011年6月24日 金曜日

昨晩、本日と親しい方のお葬式(神葬祭)のおつとめをさせていただきました。みたまの安からんことをお祈り申し上げます。

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さて、昨夏2人の先生方(小学校)を社会体験研修として受け入れましたが、今夏も市内小学校の先生がやって来ます。

教員の初任研修(昨年)

教員の初任研修(昨年)

学校としては、任用後5年以内の先生を対象に、福祉施設や企業に対して、社会体験研修の実施をしていますが、たまたま当社では3回目の受け入れとなります。

先生には、神社の諸施設はもとより、歴史や由緒、まつり、地域との関わり、神職の仕事や役割などについて大いに学んでいただこうと考えています。

 

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被災地支援

2011年6月23日 木曜日

翌22日、昨日の雨は上がりましたが、東北地方は初の真夏日となりました。

この日は、視察組と支援ボランティア組に分かれて行動をしました。視察組は、岩手県の陸前高田、大船渡、釜石、大槌町へと向かい、ボランティア組は気仙沼の支援センターに入りました。

 

支援センターで作業仕分けを待つ人たち

支援センターで作業仕分けを待つ人たち

良く聞いた話ですが、作業の仕分け、マッチングに大変時間を要しました。支援ボランティア組も体育館での写真洗い出し班と店舗の泥掻き出し班に分かれました。

気仙沼市唐桑町の体育館

気仙沼市唐桑町の体育館

体育館には、数え切れないほどの写真アルバムが所狭しと並んでいました。当方は4人、他に5人、事前から作業を行っている人たち5人を含め、14名で作業は始まりました。

写真の洗い出し作業

写真の洗い出し作業

先ずは、汚れたアルバムから写真を取り出す作業。泥水に濡れて、写真とくっついて剥がしにくいものもありました。また、アルバム毎に番号で区分して、他と混在しないように気を配りました。

次に、プラスチックの衣裳ケースに水をくみ入れ、薄いゴム手袋をはめて写真を1枚ずつ洗う作業。ぬめりや汚れが取れないものも多々あり、異臭もあってマスクは必需品でした。

続いて、写真の水気を拭き取ったうえで、乾燥機械(発電機を使用)を用いて乾燥させました。その後、簡易アルバムへのしまい込み作業で完了。

作業にあたって人たちと

作業にあたった人たちと

この人数でも、3組分のアルバムしか作業を完了することが出来ませんでした。まだまだ先の遠い長い作業ですが、アルバムを手にして喜ぶ人たちの姿を想像しながら、根気よく続けて欲しいと思います。

多くのご先祖さま

多くのご先祖さま

体育館には、津波で流された多くのご先祖さま(霊璽や位牌)が安置されていました。そっと拝み手を合わせました。

北野神社

北野神社

視察組と北野神社(気仙沼市新町)で合流しました。ここでは、菅原宮司さんから被災地の状況についてお話を伺いました。諸施設が使用出来ないことから、社務所を様々な団体の会議場所として提供されているとのことでした。

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4月には、新しい神楽殿の着工予定だったようですが、取り止めとなりました。しかしながら、氏子総代の総意により、先送りするものの工事を行うことが決まったばかりのようです。心の支えである神社の隆昌こそ、氏子地域の発展につながっていることを感じました。

日々執り行われる罹災者の慰霊祭

北野神社で日々執り行われる犠牲者の慰霊祭

 菅原宮司さんは「犬や猫がぶるぶるっと身体を揺するように、現世に生きる人の災いを大地が身を揺らして祓ったようなもの」と揶揄(やゆ)されました。

そのお言葉は、自然とともに生きてきた日本人が、自然に対する畏れを忘れ、感謝を忘れたことの戒めと咀嚼(そしゃく)しました。

派手さのない、ささやくような言葉ながら、東北人の心の強さやひたむきさを感じることのできる2日間でもありました。

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被災地視察

2011年6月23日 木曜日

神道青年全国協議会OB有志による「東日本大震災被災地視察並びに復興支援」(21・22日)が開催され、禰宜が参加いたしましたのでご報告いたします。

榴岡天満宮

榴岡天満宮

仙台駅東口から徒歩約15分、榴岡(つつじがおか)天満宮(仙台市宮城野区)に、全国から15名の神職が集合しました。

被災地の復興支援は、日毎に進んでいますが、神社の復興はまだ程遠いのが現状です。また、マスコミでは報道されませんが、地震発生直後、神社が避難所となったり、支援物資供給の拠点となりました。

そこで、神職の目で被災状況を見るとともに、支援をする目的で開催されました。

倒壊したままの燈籠

倒壊したままの燈籠

この神社では、本殿の扉がずれて開かず、全ての見積もりで2億円ほど経費が掛かるとのことでした。

国宝・大崎八幡宮の大前で

大崎八幡宮の大前で

次に、国宝である大崎八幡宮(仙台市青葉区)にお参りいたしました。

ここは、地震発生間もない頃に、被災地への物資供給の拠点となったところです。境内には大きなテントが設営され、現在も全国から様々な物資が届いているとのことです。

支援物資について説明を伺う

支援物資について説明を伺う

小野目宮司さんからは、支援物資受け入れや配給、炭水化物ばかりの食生活が続いたことなどの苦労話を伺うことができました。

続いて、被災の大きい石巻へ入りました。

日和山・鹿島御児神社から石巻湾を望む

日和山・鹿島御児神社から石巻湾を望む

古くから、神社は比較的高台に鎮座していますが、石巻の港を見渡す日和山(ひよりやま:標高60.4メートル)には、旧県社・鹿島御児(かしまみこ)神社(石巻市日和が丘)が鎮座しています。

政府や行政、報道関係者も、一度この丘の上から石巻の状況を一望してから被災地へ入るようです。

大きな被害を受けた入江の様子

大きな被害を受けた旧北上川河口の様子

江戸時代には、奥羽米の積出し湊として栄えた石巻ですが、水産業の大きなダメージも一目してわかります。

手向けられた沢山の花束

手向けられた沢山の花束

この日和山は、松尾芭蕉、石川啄木、宮澤賢治、志賀直哉、斎藤茂吉、折口信夫などの文人が、風光明媚な様子を歌や句に詠んだところです。民の竈(かまど)から煙の上がる日が一日も早く訪れることを願いました。

続いて、零羊崎(ひつじさき)神社(石巻市湊)にお参りしました。

延喜式内名神大社・零羊崎神社

延喜式内名神大社・零羊崎神社

ここは、地震直後には約150人もの避難者を受け入れ、現在でも多くの方々が避難所生活を余儀なくされていました。

昇殿参拝をして、櫻谷宮司さんから避難所内でのトラブルを含め、貴重なお話を伺うことができました。

この後、避難所として受け入れ先となったところや、被災地で陣頭指揮を取られた神職の方々をお招きして、一関の温泉旅館で体験談をお聞きすることができました。

 

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子どもの心を育む

2011年6月15日 水曜日

本日は15日で月次祭(つきなみさい)を斎行(さいこう)し、氏子崇敬者の安寧と発展を願いました。

さて、今年も神奈川県神社庁主催の「青少年書道展・絵画展」が、8月8日(月)・9日(火)新都市プラザ(そごう横浜店 地下2階正面入口前)にて開催されます。

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 昨日、応募作品が集まりましたので、出品手続きを整えて神社庁に送りました。

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 書道・絵画を通して、清らかで豊かな青少年の心を培い、道徳心の養成を図るのを目的に開催しています。更には、神社に対する敬神の念を育むきっかけとなれば幸いです。

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 子どもたちが一生懸命に書いた作品をながめていると、こちらもほのぼのとした気持ちになります。 

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 境内では、昨日に続いて比々多小学校1年生約60名が、「三ノ宮探検」ということでやってきました。

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神社の大きな木、鳥居、神社で働く人、鳥の声、青い空、紫陽花、カタツムリなど課題のものを発見して丸印を付けていました。

また、それぞれ発見したカブト虫の幼虫やモグラの穴などしっかりとメモを残して学校へ帰って行きました。

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景観まちづくり市民ワークショップ

2011年6月14日 火曜日

本日は、比々多地区の景観散策の提案ということでお誘いをいただき、地域の方や伊勢原市の方とともに、近くを散策しました。

埒面(らちめん)古墳の見学

埒面(らちめん)古墳の見学

先ず、昭和43年に(元)恵泉女学園短期大学建設中に発見された「らちめん古墳」を見学しました。墳丘は40メートル、推定全長は90メートルの円墳とも考えられる相模國最大規模の古墳で、銀装の大刀や金銅製の馬具など一級品の埋葬品が発掘されました。(三之宮郷土博物館所蔵)

ブルーベリーの実

ブルーベリーの実

その後、比々多神社の北西約150メートルの高台にある元宮へ上がりました。戦国時代に北条氏と三浦氏の争いにより、この地から現社地(昔は神主屋敷)にお宮を遷したと社伝記には記されています。

西は湘南平、東は江ノ島や横浜のランドマークタワーを望む、大パノラマの絶景ポイントです。

ストーンサークル

ストーンサークル

再びお宮まで下り、下谷戸縄文遺跡(ストーンサークル)を見学。昭和40年に東名高速道路建設中に発見され、敷石住居や環状に配石された立石(メーンヒル)を境内に移築保存したもので市指定遺跡となっています。

田園風景とアヤメ

田園風景とアヤメ

続いて、市内で最も古い斉藤家住宅(266年前建築・1745年)を訪れました。広い土間、太い梁、黒光りする大黒柱、竈の跡など、とても趣深い民家で、今でもここに住む古老からは、沢山の温かいお話を伺いました。

膨らみ始めた梨

膨らみ始めた梨

山里の田園風景を眺めながら、叔母様観音(おばさまかんのん)に手を合わせ、山道を上がって浄業寺(じょうぎょうじ)廃寺跡を訪れました。

史跡 浄業寺跡

史跡 浄業寺跡

孟宗竹が生い茂る中に、かなりの古刹(こさつ)だったと想像できる歴代和尚の石塔が数多く並んでいます。

開山大和尚の石塔

開山大和尚の石塔

静かに手を合わせたくなるほどの歴史の重みを感じる場所です。

風情ある土壁の蔵

風情ある土壁の蔵

竹ノ内の集落を抜け、臨済宗の能満寺を参詣して、比々多神社へと戻りました。

3時間足らずのウオーキングでしたが、地域再発見の散策となりました。

今後、地域特性を活かしたうえで、「景観まちづくり」が広がりを見せるよう、様々な意見を集約し、研究成果が上がるよう、神社としても協力していきたいと思っています。

 

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畏れ

2011年6月10日 金曜日

5日のブログに、紫陽花(あじさい)は土の性質(酸度)によって、多彩に色を変えることから七変化といわれると記しました。

今日の「産経抄」(産経新聞)には、「それほど敏感な花なら、千年に一度の津波を起こした地殻変動に気づかないはずがない。福島第1原発事故に伴って漏れた放射性物質も、たとえ微量であっても感知しているはずだ。」と記されていました。

ヤブキリ(キリギリス科)

ヤブキリ(キリギリス科)

大震災の1週間前(3月4日)、茨城県の鹿島灘の下津(おりつ)の浜に鯨(くじら)の一種である「カズハゴンドウ」52頭が打ち上げられました。地域の人たちの努力むなしく、22頭は海へ戻ることが出来ずに命をひきとり、浜に埋葬されました。

記憶に新しいニュージーランド大地震(2月22日)の2日前にも、スチュワート島という小さな島に107頭の鯨が打ち上げられていたそうです。

動物の予知能力というか感性の鋭さに驚かされます。

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上述の鹿島灘に近い鹿島神宮には、地震を起こす鯰(なまず)の頭を押さえるといわれる「要石」(かなめいし)があり、香取神宮(千葉県)の要石は鯰の尻尾を押さえているといわれているそうです。

(参考 『鹿島の神と諏訪の神』~東日本大震災の復興に向けて)

自然の変化に敏感な動植物を観察することにより、人の感性は磨かれます。神社の境内には、沢山の自然が息づいています。どうぞゆっくりと時間を掛けてお過ごしください。

神と自然への畏(おそ)れと感謝の祈りこそ大切です。

先祖伝来のまつり、「先神事」(まづしんじ)といわれる所以です。

 

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