相模国三ノ宮・比々多神社

海ゆかば

大型で強い台風6号(マーゴン)が、本土に近づいており、暴風雨に警戒が必要です。

比々多小学校では台風に備えて、明日の終業式を前に、通知表(同小では「あゆみ」)を配布しました。

昨日は「海の日」でしたが、ひたちなか市(茨城)や三浦市(神奈川)では、台風の影響で高波にさらわれる事故が相次ぎました。

 

さて、「海ゆかば」という歌をご存じでしょうか。

海行(ゆ)かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草むす屍 

大君の 辺(へ)にこそ死なめ 顧(かへり)みはせじ 

奈良時代の万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)の歌に、信時潔(のぶときよし)が曲をつけ(昭和12年)、大東亜戦争中に準国歌(第二国歌)として「君が代」以上に歌われました。

次第に激しくなりゆく戦時中に、悲壮感漂う鎮魂歌として好まれたため、戦後は嫌悪感を抱かれて封印されてしまいました。

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しかしながら、歌詞の由来をたずねると、むしろ勇壮な言の葉の名歌なのです。この一首は、現存最古の歌集『万葉集』(巻十八)に登場します。

当時、奈良の大仏鋳造(ちゅうぞう)という大事業にご苦心されていた聖武天皇が、陸奥国(むつのくに:現在の青森と岩手の一部)で黄金(銅)が出たことを非常に喜ばれ、詔(みことのり)を出されたのに対してお応(こた)えして詠んだ長歌の一部分です。

大伴家は宮廷の警護と軍事を司る家柄で、我が身を顧みることなくお務めに徹することを歌ったものです。

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大君を国に置き換えて考えると、今の為政者の覚悟と行動の指針にもなろうかと思います。率先垂範・有言実行で自らの務めを果たした、なでしこジャパンの主将・沢穂希選手のサッカー人生には、そんな勇壮さを感じました。

 

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