相模国三ノ宮・比々多神社

宮鐘

雨天につき、予定されていた「市民総ぐるみ清掃」は、来週に延期されました。

本日は、神奈川県神道青年会の禊(みそぎ)と凧揚げ(横浜・海の公園)が行われています。冷たい雨の中で、白フンドシ1枚は大変だと思いますが、神職にとって禊行は大切な事であり、頑張りを期待するところです。

tako001

昨日、茨城県の方から宮鐘(きゅうしょう)についての問い合わせを受けたので、あらためて鐘を確認いたしました。境内にはウグイスの鳴き声が心地よく響いています。

鐘楼(しょうろう) 

鐘楼(しょうろう) 

 当社の宮鐘の起源は不詳ですが、宝暦4年(1754)に寄進されたものは、大東亜戦争に供出されました。その後、鐘楼のみ空しく残っていたので、人間国宝である香取秀真(かとりほつま)氏に新鐘の制作を依頼して、昭和25年(1950)秋、香取秀真・正彦父子により完成をみました。

恒例祭典では、参進の折に総代が撞(つ)きます。

恒例祭典では、参進の折に総代が撞(つ)きます。

鐘銘(しょうめい)によれば、

相模の早鐘朝團子(そうしょうあさだんご)の俚諺(りげん)あり人を集むるに早鐘を鳴し朝食には用意し置ける團子を食ふの意なり鎌倉武人の風習を傳(つた)ふるなるべし吾社相模諸社の列にもれず古来警鐘を備ふ風水の害失火の災に備へ殊に祭礼には欽(か)くべからざる寶器(ほうき)なり

とあり、「相模の早鐘朝団子」なる民間に伝わる風習があったこと、時代は特定出来ぬものの、鎌倉時代に倣い古くから鐘を備え、災害の警鐘としての役割、そして祭礼に用いていたことが読み取れます。

IMG_0555

『新編相模風土記稿』(江戸時代の官撰地誌・1841年)の「巻之五十 大住郡巻之九 三宮明神社」には、延宝4年 (1676)の釣鐘の存在が記されていて、更に淵源を遡ることができます。

お参りの際には、安全・安心の念を込めて、静かに1回撞いてみてください。

コメントをどうぞ