大寒を迎えましたが、今日は寒さがいくらか和らいでいます。境内の杉が膨らみをもち始め、花粉が飛散するのも間もなくでしょうか。
ダイドードリンコ提供による「日本の祭り」のポスターとパンフレットが到来いたしました。
今年は、「国府祭」(こうのまち;5月5日・県無形民俗文化財指定)が「日本の祭り」に取り上げられ、神奈川テレビで特集が組まれる予定です。
比々多神社では、氏子中(三ノ宮・栗原・神戸・木津根橋)が輪番で奉仕にあたりますが、今年は三ノ宮が年番です。
また、毎日新聞の「かながわのまつり」ポスター(カレンダー)も届きました。
節分祭(2月3日)、祈年祭(2月17日)が過ぎると、春の大祭(4月22日)に向けて、準備が忙しくなってきます。
冠省
比々多神社さまの、暴れ神輿は昔に拝見いたしまして、
大変不思議に思ったことがございます。
由来はどのようなものなのでしようか?
相模の国の成り立ち論争とか、比々多神社の祭祀権(?)を
めぐっての地元と大和朝廷との問題などにかかわりが
あるのでしようか。
いろいろ思いをはせると神社って興味のつきないものですね。
権田直助さま、いつもありがとうございます。
暴れ神輿というより、お宮では「勇壮な神輿」と喧伝したいのですが、、、。
それはさておき、神輿を揺さぶるのは「魂振り」(たまふり)だといわれています。
年に一度の大祭で、神さまが氏子地域を旅をするので、担ぎ手が神輿を倒し、
その神威(しんい)を氏子中の家々にもたらして、1年の幸福を願うのです。
また、神輿の前後を青年が背中合わせで担ぎ、自分の地域へ少しでも神さまを引き寄せるように
しているところが面白いです。
中央との関わり、、、難しい問題で私にはここでは答えられません。(^^;)