相模国三ノ宮・比々多神社

二十三夜塔

昨晩は比々多観光振興会の正副会長会が神社で開かれました。

秋に行われる正祭(しょうさい)、慰霊祭・鎮魂奉納太鼓に合わせ、境内において「骨董蚤の市」(こっとうのみのいち)が開催される予定で、諸団体との話し合いのもと準備が進められています。

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さて、昨日は敷地の片隅にお祀(まつ)りされるお稲荷さんの奉還祭(ほうかんさい)をお仕(つか)えしました。

諸事情により継続することが叶わなくなったわけですが、長年の恩恵に感謝するとともに、今後の無事を祈り上げました。

お供えした米・酒・塩などで式後にお清めをした折、お稲荷さんのすぐ横の茂みに、「二十三夜塔」(にじゅうさんやとう)の石塔があるのに気がつきました。

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旧暦23日の夜、「月待ち」をすれば願いが叶うという民間信仰で、十三夜・十五夜・十七夜などの特定の月齢に行われた月を祭るしきたりの内、全国的にも最も多く行われていたもので、町人文化が発展した文化・文政期(1804-1830)の化政文化の頃流行したようです。

また、月待ちは毎月ではなく、正月・五月・九月が重要視されていたようです。

二十三夜が最も盛んだったこともあり、二十三夜講の人たちが造塔したものが多く見られます。

この石塔には嘉永2年(西暦1849年)と刻まれていました。

コメント / トラックバック2件

  1. 鈴木治美 より:

    お稲荷さんも 二十三夜塔も初めて知りました

    十日の月も見ることがあるようですが 月見が夜の風流だったのでしょうか

  2. 禰宜 より:

    鈴木治美 様

    旧暦(太陰太陽暦)の頃は、暦と生活が密接なものであり、特に月の満ち欠けが生活のリズムであり、神秘的な現象として捉えられていたのかもしれません。
    十三夜や満月だけでなく、立待月・居待月・寝待月・更待月(17~20日月)と、欠けゆく月に惜しむような月見の感情がなんとも風流に感じます。

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