相模国三ノ宮・比々多神社

國府祭 其の2

國府祭其の2です。この時間には気温もうなぎ昇りでした。

DSCF0442DSCF0450IMG_0862

IMG_0868IMG_0870IMG_0873

神揃山への御着きは、一之宮から順に定められています。6社の合同祭典なので、時計ともにらめっこです。着いた神社から着御祭(ちゃくぎょさい)を斎行(さいこう)し、八幡宮の式典が終わると同時に、当社の粽行事が行われます。

残念ながら、画像にはありませんが、五社をお互いにお参りをした後、正午に古式「座問答」(*ざもんどう)が行われます。その頃、各社の迎神使(げいしんし)が、裃(かみしも)を身につけ、総社に神さまを迎えに出掛けます。

*座問答・・・昔、相武(さがむ)と磯長(しなが)という2つの国があり、両国が合併する際に、両国の一之宮が互いに譲らずに一之宮争いをしたとされます。即ち、虎の皮を神座(しんざ=神さまの座位)に見立て、一之宮と二之宮が繰り返し神座を上の位置に進めます。互いに譲らぬこと3度、遂に三之宮の宮司が神前に進み、「いずれ明年まで」という決まり文句を告げて、神事が収められます。調和を尊ぶ日本人の有り様が表れています。

DSCF0454IMG_0878IMG_0881

その後、各社同時に御立ちの式(発輿祭)を執り行い、総社の待つ「大矢場」(おおやば=逢親場・大家場)祭場(馬場公園)に向かいます。

IMG_0886IMG_0888IMG_0889

大矢場では、七十五膳(しちじゅうごぜん)の儀といわれる「五社献饌」(ごしゃけんせん)、各社の御分霊(ごぶんれい)である守公神(しゅこうしん)を総社へ納める「神納対面」(しんのうたいめん)、古代装束を身につけた国司(こくし)【大磯町長が代役】が各社を参拝する「国司代奉幣」(こくしだいほうべい)など次々に神事が行われます。

現在は、公園の内外が露店で賑わいますが、昔は見世物小屋や農機具市で近隣から群衆が押し寄せたそうです。

IMG_0892IMG_0893IMG_0894

帰りの伊勢原道中、観光協会・商工会・商店会連合会・大神宮通り商店会の皆さまが参列されて伊勢原行在所(あんざいしょ)御着きの式が行われました。

大磯は当社が一番遠く、その昔は八十八ヶ村の村渡しで行われていたそうです。蔵書の古文書には道中の訴状などもあります。徳川時代には天下祭りといわれ、人手や費用や時間など、物心掛けて1300年以上に亘り守り伝えられてきた伝統あるお祭りです。

宮入りとなる午後7時には里の周辺も暗くなり、皆さん疲れもピークに達していました。しかしながら、ご奉仕された方々の表情は安堵の面持ちでした。

ご協力に感謝申し上げます。

各社の粽 左から一之宮、二之宮、三之宮、四之宮

各社の粽 左から一之宮、二之宮、三之宮、四之宮

コメントをどうぞ