昭和56年(1981)1月6日の政府閣議により、2月7日が「北方領土の日」と定められました。これは、北方領土返還要求運動の民間関係団体の要望や、広く各界各層、自治体や学識者の運動の成果です。安政元年(1855)2月7日は、静岡県下田市に於いて日露和親条約(下田条約)が調印された日で、日本とロシアの国境を択捉島(えとろふとう)とウルップ島の間と定めたものです。これにより、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)及び歯舞群島(はぼまいぐんとう)の北方四島は日本の領土として確定し、これ以後、両国の国境は何度も変わりましたが、北方四島は一貫して日本の領土でした。
しかしながら、戦後の混乱の最中、ロシアは強制的に北方四島を支配し、未だに返還されない状況です。 旧島民や島民2世の人たちは奪われた故郷への熱い思いを消すわけにはいきません。 ご先祖さまが眠る大地を強引に奪い、その故郷に帰ることもままならないわけです。 今私たちに出来ることは、地方からその思いを根気よく支えることではないでしょうか。 何年かかろうともあきらめずに、北方四島一括返還を地道に訴え続けることが大切だと思います。 |
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