相模国三ノ宮・比々多神社

社司社掌

本日から兼務社で「祈年祭」(きねんさい・としごいのまつり)が始まり、午前は神明神社(伊勢原市笠窪)、午後は八幡神社(伊勢原市坪ノ内)において、氏子総代を始め関係者が参列のもと、五穀豊穣・諸業繁栄を祈りました。

祭祀(さいし)は神社祭式上、大祭式・中祭式・小祭式・諸式に区別されますが、例祭(当社は4月22日)、新嘗祭(にいなめさい・11月23日)と並んで祈年祭は大祭式にあたり、本殿の御扉(みとびら)開閉がある重きおまつりです。

さて、旧臘(きゅうろう=去年の12月)30日に帰幽(きゆう)し、年明け神葬祭(しんそうさい)奉仕をしたお宅で五十日祭が営まれました。

ご霊前には海幸・山幸(うみさち・やまさち)、そして生前好まれた甘き品々が横山の如く供えられ、家族・親族一人一人が玉串に心の丈(たけ)を尽くして拝礼しました。

自宅から列をなして奥津城(おくつき=墓所)に至り、代々の先祖が眠る墓地に安らかに埋葬されました。

五十日祭

五十日祭

古い墓石には、「社掌兼訓導〇〇〇〇祝老翁」とありました。

明治維新政府は神祇官(じんぎかん)を復興し、太政官布告(だじょうかんふこく)を以て神官職制を定め、その後も制度が整えられ、社司(しゃし)・社掌(しゃしょう)の名称ができました。社掌は府県社・郷社以下の職名で判任(はんにん)待遇の官吏(かんり)、地方長官による補命でした。

また、訓導(くんどう)は教部省・教導職の職制の一で、神道の布教にあたったものです。

拝殿 扁額

拝殿 扁額

国家管理下の神職とは、国家の定めた制度に基づき、神社の職員に任命され、官吏に準じて待遇を与えられ、国家の宗祀(または神明)に奉仕し、祭儀を掌(つかさど)り、庶務を管理し、祭儀及び庶務に従事する者をいいました。

これらは終戦により神祇院が廃止され、国家神道が終わるまで続きました。

因みに、当社拝殿に掲げられた扁額(へんがく)には「社司 永井健之輔」(先々代宮司)と記されています。

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