昨年まで来宮神社(静岡県熱海市)の例祭(7月14日-16日)にあたり、当社から3日間のお手伝い(助勤奉仕)に出向いていました。
長い間の奉仕に感謝の念を込めて、昨晩は宵宮祭(よいみやさい)に参列させて頂き、立派に竣工した社務所を隅々まで拝見しました。
今日はちょうどお盆にあたりましたが、伊豆山の中腹に位置する興亜観音にお参りする機会を得ました。
昭和15年(皇紀2600年)2月、支那事変(しなじへん)の戦没者を日支とも「怨親平等」(おんしんびょうどう)に供養するため、陸軍大将・松井岩根(まついいわね)の発願により建立されたものです。
観音像の近くには、日支の供養碑が建立されていますが、極東軍事裁判において一方的に裁かれた、いわゆるA級戦犯として処刑された殉国七士之碑が建立されています。
また、古くより走湯山(伊豆権現・走湯権現)といわれる伊豆山神社へお参りしました。
源頼朝は伊豆山神社と箱根神社への「二所詣」という風儀を生み、大規模な行列を伴うほどの篤い信仰を寄せました。