‘博物館’ カテゴリーのアーカイブ

まが玉の霊力

2010年12月17日 金曜日

『OZ olus 』(オズプラス・2011年2月増刊)の「開運初詣」特集に比々多神社が掲載されました。

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御祭神の「天明玉命」(アメノアカルタマノミコト)は、玉づくりの祖先神です。神社周辺の遺跡からは数多くの勾玉(まがたま)が発掘されていて、比々多には工房跡とされる「才玉」という地名も残っています。また、三之宮郷土博物館には、県内唯一の「勾玉の首飾り」が展示されています。 

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勾玉は、胎児の形にもたとえられ、物事が形をなす始まりともいわれます。ご祭神のご神縁(しんえん)を授かり、万物の生成発展をお祈り申し上げます。

「勾玉守」は縁結び・子宝・安産のお守りとして授与しています。

神宮の美

2010年9月24日 金曜日

昨日の雨は意外と激しく、境内の砂利が結構流されていました。御神田もそうですが、近隣では稲刈りがこれからのところもあり、稲穂の状況が気になります。

土手(招魂社前)の彼岸花

土手(招魂社前)の彼岸花

ようやく彼岸花がぽつぽつと咲き始めました。

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 横浜高島屋で行われている「伊勢神宮に捧ぐ近・現代の美」に行ってきました。神宮美術館に所蔵されている文化功労者、日本芸術院会員などの超一級品の絵画に触れることが出来ました。入場料は一般800円ですが、神社に無料券を若干用意していますので、ご希望の方はご連絡ください。

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明日から5日間、伊勢の神宮(於:神宮道場)で研修に入るため、伊勢の地へ参りました。

埒が明かぬ

2010年8月6日 金曜日
昨日に続き、今日はこんな大物が到来しました。
30㎝を優に超える長茄子

30㎝を優に超える長茄子

さて、今日の読売新聞の夕刊に記されていましたが、「あかん」の語源について。決して予算委員会を終えた某首相のことではありません。

この言葉は、京都・上賀茂(かみがも)神社で生まれたそうです。毎年5月5日に行われる賀茂競馬(かもくらべうま)という、その年の吉凶を占う伝統神事において、皆がその行事に集中し、これが終わらないと何事も手につかず、埒(らち)が明かないそうです。無事終わると、馬場の柵である「埒」が片付けられ、埒が明くというわけです。

漢字で記すと、「明かん」。「埒が明く」の否定形、「埒が明かぬ」の「明かぬ」が「明かん」になったということです。

実は、比々多神社の北側に、「埒面」(らちめん)という字名があります。昔は、ここに馬場があり、神事として競馬が行われていました。語源はやはり上記と同じです。

埒面古墳

埒面古墳

らちめん古墳は、比々多神社の北側、元の恵泉女子学園短大の構内に位置(この周辺は、元比々多神社境内地)します。この古墳は、昭和43年(1968)に工事中に発見され、横穴式石室をもち現在は露出した石室(せきしつ)や玄室(げんしつ)、玄門(げんもん)、羨道(せんどう=えんどう)も見ることができます。

神奈川県内では最大級の円墳(えんぷん)ですが、古墳時代にかなりの権力を保持していた相模国の国造(こくぞう・くにのみやつこ)の墳墓ではないかと考えられています。

この埒面古墳の少し上からは、相模国を一望できる素晴らしい眺望です。

 

生徒から御礼の手紙

2010年8月3日 火曜日

先月の15日、自修館中等教育学校の1年生がフィールド学習で、当社と郷土博物館を訪れ、郷土の歴史や文化について学んでいきましたが、今日の郵便物の中に、生徒たちからの御礼の手紙が入っていました。

生徒たちからの御礼状

生徒たちから届いた沢山の御礼状

今後、学んだことをまとめ、10月末には探究文化発表会で、発表がなされるようです。今回の校外学習では、郷土の歴史に関心をもち、知識の幅が更に広がる良い機会になったことと思います。

皆さんの発表が上手くいくとともに、今後とも歴史や文化に対する興味が高まることを期待いたします。

文に親しむ

2010年7月13日 火曜日

日曜日(18日)に予定している泣き相撲【http://www.nakisumo.jp】は、84人となりました。お申し込みをいただいた皆さまありがとうございます。今のところお天気も良さそうです。授乳の方は、社殿横にテントを設けますのでご利用ください。

文月(ふづき・ふみづき)も半ばが近付いて来ました。七夕は過ぎましたが、和歌や詩歌を献じたりという、古の文化を楽しむ機会も少なくなっています。小生は唯一、いただいたお中元の御礼文をせわしなく書くぐらいでしょうか。

博物館に残る書状

博物館に残る書状

三之宮郷土博物館には、江戸時代の古文書が数多く収蔵されていますが、近代の書状などは、却って懐かしさというか興味深く感じます。

坪井正五郎氏の書簡

坪井正五郎氏の書簡

坪井正五郎氏(1863-1913)は江戸に生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)を卒業。日本の人類学の先駆者。日本石器時代住民についてコロポックル(*アイヌ語)説を唱えました。

*コロポックル~アイヌ語で蕗(ふき)の下に住む人の意。アイヌ伝説に登場する小人で、坪井氏は日本列島の先住民で、アイヌに追われたと説きました。

子どもたちも夏休み目前となりましたが、暑中見舞いや残暑見舞いに心をこめて欲しいものです。

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校外授業

2010年5月7日 金曜日

黄色、赤、ピンクに続いて最後に白い牡丹(ぼたん)が咲きました。

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比々多公民館からの要請で、比々多小学校6年生が校外事業の為、2班に分かれて郷土博物館にやってきました。説明は伊勢原市文化財課の方々でしたが、放課後になって更に学ぼうとやってきた熱心な子どももいました。

郷土博物館を見学する小学生

郷土博物館を見学する小学生

 当館には、神社及び神社周辺の遺跡から発掘された遺物(いぶつ)を始め、神社の宝物(ほうもつ)、伝世品など地域の財産が多数所蔵されていて、地域の歴史を知る上で貴重な資料となっています。子どもたちが、自分たちのまちの歴史を学ぶことはとても大切で、郷土愛を育み、ふるさとを大事にする第一歩だと思います。

タウンニュース 5/7号

タウンニュース 5/7号

タウンニュースにお祭りの記事が掲載されました。

発掘調査

2010年3月27日 土曜日

比々多神社境内裏手の住居建設予定地で、発掘調査が行われているので、状況を見学に出掛けました。神社のすぐ裏は宮ノ前遺跡ですが、この調査地はそのすぐ上にあたり、宮ノ上遺跡の一部です。

寒の戻りの厳しい中、伊勢原市文化財課の諏訪間さん、立花さん、井出さんら6名で発掘調査を実施していました。

文化財課の方の説明では、大きな周溝については、決定的な遺物が出ていないのと、今回の調査では完全な形が把握出来ないため確定は出来ないものの、方形墳と考えられるようです。また、弥生時代の住居址は7メートルぐらいの比較的大きなものとのことでした。

方形墳と思われる周溝・奥が境内の杜

方形墳と思われる周溝・奥が境内の杜

発掘された縄文中後期の土器破片や黒曜石が脇にありました

発掘された縄文中後期の土器破片や黒曜石が脇にありました

 

弥生時代の住居址

弥生時代の住居址

この住居には何人ぐらいで生活をしていたのでしょうか?食事や生活の道具、気候や1日の過ごし方、家族構成など、今とは違う昔の暮らしぶりを考えるのも良い機会です。

敷石(しきいし) 右端が炉(ろ)

敷石(しきいし) 右端が炉(ろ)

ここ三ノ宮周辺は、縄文時代から地形的にも気候的にも生活に適した場所であり、集落の中心であったことが想像できます。

いせはら市民大学

2010年3月13日 土曜日

今日はお宮の戸を半分閉じる程、大風の一日でした。

いせはら観光ボランティアガイド&ウオーク協会の「いせはら市民大学」講座が行われました。観光ボラさんには、節分祭やまが玉祭でお手伝いをいただいていますが、今日は比々多神社神社周辺の文化財めぐりを実施し、30名程の参加者が集まりました。

県内でも伊勢原の観光ボランティアは、早くから組織され、その会員も多く、自然や史跡のガイドを始め、その他の活動も非常に活発です。

観光ボラ発行の地図

観光ボラさん発行の地図

下の地図上で、14が比々多神社ですが、半日掛けて史跡を訪ね歩いたようです。講師は、伊勢原市文化財課の諏訪間さんが務められました。

比々多神社周辺の文化財・史跡地図

比々多神社周辺の文化財・史跡地図

 参加者は中高年の方ばかりですが、講師の説明に熱心に聞き入っていました。古墳時代には、相模国の文化の中心であったといわれる三之宮周辺です。古に思いをはせ、郷土の歴史に理解を深める良き講座となったようです。

三之宮郷土博物館を見学する参加者

三之宮郷土博物館を見学する参加者

番付表

2010年3月5日 金曜日

三之宮郷土博物館には、板に書かれた古い番付表が保存されています。東の大関は雲龍久吉(柳川)、西の大関は境川浪右エ門(桑名)。残念ながら年号部分が不明ですが、力士の番付を見る限り、安政6年(1859)正月のようです。

【前年の9月は、井伊直弼(いいなおすけ)による安政の大獄(たいごく)が始まり、翌年は桜田門外の変が起きた年です。】

安政年間の番付表

安政年間の番付表

当時は大関が最高位ですが、雲龍・境川ともに横綱免許でした。江戸相撲では、吉田司家(よしだつかさけ)が相撲の全権をもち、横綱免許をはじめ行司の最高位である立行司の免許、仕切りなどの礼作法様式も定めていたようです。

昭和25年に、日本相撲協会が横綱審議委員会(横審)を発足させるまで、横綱免許は続きましたが、それまで吉田司家から免許を得ていない力士は歴代の横綱には数えられていません。

相撲の世界には、力関係や派閥争いが存在し、古い体質を非難する向きも多いですが、歴史と伝統を維持する上で苦労を重ねてきたが故に、他の競技にはない人気や楽しさが存在するのかもしれません。

3月1日発表の番付表が片男波部屋から届きました

3月1日発表の番付表が片男波部屋から届きました

横綱には特権が与えられるわけですから、心技体が整っていてこそはじめてその大きな責務を果たせるわけです。

春の大阪:玉乃島(中央)は前頭4枚目、玉鷲(左)は前頭4枚目

春の大阪:玉乃島(中央)は前頭14枚目、玉鷲(左)は前頭4枚目

 今夏、泣き相撲の開催(仮称「一心泣き相撲 比々多場所」)を計画しています。人生には折々の節目がありますが、“赤ちゃんの卒業式”という意味合いで行います。詳細はあらためてお知らせいたします。

御神像調査

2010年2月25日 木曜日

今朝早くから、市文化財課の安藤さんと諏訪間さんが国選定技術保存者の桜井さんを伴って来られました。御神像修復調査の為です。

仏像が銅製など半永久的なつくりのもの(木彫りも多い)があるのとは異なり、御神像は木造ですから、当然のことながら朽ちるわけです。しかしながら、木は生きていると感じる日本人の感性がそこに込められています。

西洋が石の文化であれば、日本は木の文化です。法隆寺のように、木の特質を生かした日本最古で最大の建造物もあれば、お伊勢さまのように20年ごとに造り替える(神宮式年遷宮)ことにより、伝統や技術を次世代に伝えていく素晴らしさがあるわけです。

木の文化の象徴であるお伊勢さま

木の文化の象徴であるお伊勢さま

 御神像は御神体ですが、お宮の杜(もり)にある木々一本一本も御神木であり、神さまの宿る木です。

米国の23%、中国の14%、イギリスの10%に対し、日本の国土に占める森林面積は66%もあります。私たちのご先祖さまが大切にしてきた木を育てる文化を考え直し、子々孫々に伝えていきたいものです。