‘なぜ?なに?’ カテゴリーのアーカイブ

祖霊祭祀

2015年3月16日 月曜日

週の始まりの月曜日、気温が15℃を越えて暖かな一日となりました。

スギ花粉の最も多い時期ですが、午後からは雨が降り、アレルギーの人には潤いの雨かもしれません。

さて、明後日は彼岸の入りとなりますが、今日は年祭(ねんさい)のご奉仕がありました。

一年祭(斎場)

一年祭 ( 斎場 )

神葬祭(しんそうさい=神道の葬儀)では、帰幽(きゆう=亡くなること)当日を基点に、五十日祭、百日祭、一年祭などの霊前祭(れいぜんさい)を経て、御霊代(みたましろ)は先祖累代(せんぞるいだい)の祖霊舎(それいしゃ)におまつりされ、一家の守護神(しゅごしん)となります。

その後は、三年祭、五年祭、十年祭と一定の年忌(ねんき)で祖霊祭(それいさい)が営まれます。

五年祭 自宅

五年祭 ( 自宅 )

日々の営みは、祖霊の加護によるものであり、その御恩に感謝し、祭祀(さいし)を厳修(げんしゅう)するのが祖霊祭祀です。

追慕歌

いますごと目にも見え来てなつかしも今日のまつりにその世しのべば

むねあげのまつり

2015年3月14日 土曜日

今日は上棟祭(むねあげのまつり・じょうとうさい)のご奉仕がありました。

各種建物の新築工事において、棟木(むなぎ)を上げるにあたり、家屋の守護神、屋船久久能遅命(やふねくくのちのみこと)・屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)並びに工匠(たくみ)の神、手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祭って、新室(にいむろ)に災禍なく、永遠の守護を願う祭儀です。

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工匠の仕来(しきた)りであることから、神さまの依代(よりしろ)となる榊(さかき)の神籬(ひもろぎ)の後方には、扇車に鏡を取りかけた幣串(へいぐし)や、邪気払いの破魔矢・破魔弓などを飾ります。

方位神の鎮めとして、表鬼門(艮=うしとら 東北)・裏鬼門(坤=ひつじさる 西南)に餅や銭を撒(ま)く散餅・散銭の儀を行うのも特徴的です。

本日は一般家屋の棟上げのため、既に棟が固定されていることもあり略儀でしたが、「曳綱の儀」(ひきつなのぎ)と称して白布を棟木にくくり、建主と棟梁(とうりょう)が曳くのに合わせて、職方一同が「エイ、エイ、エーイ」と心一つに唱えました。

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取挙(とりあぐ)る棟梁(むねうつばり)は此の家長(いえぎみ=主人)の御心の林(栄える意)なり

神宮大麻都市頒布向上計画研修会

2015年3月6日 金曜日

伊勢の神宮会館において、第1回神宮大麻都市頒布向上計画研修会(5日・6日)が開催され、全国各地から64名の神職が参加しました。

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昨年、神社本庁において新しい3ヶ年計画を実施しましたが、初年度にあたり、全国の運用状況を確認するとともに、「神宮大麻」(じんぐうたいま)頒布(はんぷ)に関して抱いている課題点を共有し、是正・改善するための方途(ほうと)を探ることを目的にしたものです。

神宮会館

神宮会館

今次の施策についての説明はもとより、神宮大麻頒布の歴史・意義についてあらためて学び、分散会では6グループに分かれて今後の推進に向けた討議を重ねました。

また、現代人の神棚奉斎(かみだなほうさい)や神宮大麻に関する意識調査について考え、全体会では討論の結果を発表しました。

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明治4年までは、御師(おんし)といわれる人たちが神宮に仕え、全国各地へ赴いて「檀那」(だんな)「檀家」(だんか)と呼ばれる崇敬者のためにお祓い・祈祷(きとう)を行い、その「しるし」として「御祓」(おはらい)を配布したり、伊勢参宮の宿泊手配、饗応(きょうおう)などをしていました。

御師は「御師匠」「御詔刀師」(おんのりとし)の略称ともいわれ、太夫(たゆう)さんとも呼ばれていました。

12月を「師走」(しわす)といいますが、御師が御祓を配るのに走り回ったからともいわれています。

その制度が廃止され、明治5年には明治天皇の聖旨(せいし)により、新たに「神宮大麻」として神宮司庁(じんぐうしちょう)より各家庭に頒布されるようになりました。

(前略)(あした)に夕(ゆふべ)に皇大御神(すめおほみかみ)の大前(おおまへ)を慎(つつし)み敬(ゐやま)ひ拝(おろが)がましめ給(たま)ふと為(し)今年より始めて畏(かしこ)き大御璽(おほみしるし)を天下(あめのした)の人民(おほみたから)の家々に漏落(もれおつ)ることなく頒(わか)ちたまはむと(後略)

これは明治5年4月、神宮大宮司が「神宮大麻御璽奉行式祝詞」で奏上したもので、神宮大麻が天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまの「大御璽」(おおみしるし=御神徳・御神威の象徴)であり、国民の家庭に漏れ落ちることなく頒布されるようにとの明治天皇の大御心が表れているものです。

内宮 宇治橋

内宮 宇治橋

早朝、外宮内宮を清々しく参拝し、奉製施設の見学を通して本研修の意義を再確認しました。

平日ながら、お伊勢さんに参る人の列は途絶えることなく、賑わいを見せていました。

五十鈴川

五十鈴川

夫婦の和

2015年3月2日 月曜日

終日降った雨も上がり、新しい月の新しい週の始まり、月参りの企業が佳き月であるように祈願を上げました。

境内には夫婦連れの参拝者も多く見られました。

今月の社頭ポスターは「夫婦の和」です。

社頭掲示 3月

社頭掲示 3月

近代日本の建設にあたり、教育の普及と道徳の実践を重要視された明治天皇は、明治23年10月30日「教育に関する勅語」をお下しになりました。

315字で綴られた本文には、大切な12の徳目「孝行」「友愛」「夫婦の和」「朋友の信」「謙遜」「博愛」「修学習業」「智能啓発」「徳器成就」「公益世務」「遵法」「義勇」が示され、私たち国民にとって普遍の道徳教育の基礎となっています。

昭憲皇太后御歌

むつまじき中洲にあそぶみさごすらおのづからなる道はありけり

夫婦はお互いに敬愛の心をもって睦じくありたいものです。

雛人形と桃の節句

2015年2月26日 木曜日

春の雨の一日でしたが、人形感謝祭(3月17日)の申し込みで雛人形(ひなにんぎょう)を抱えた家族がお越しになりました。

境内に飾られた雛人形は、女の子の無事成長の願いが込められたものです。

古雛(ふるびな)のため、人形に損傷があったり、手に持つ道具がなかったりと様々ですが、家家の歴史や思いが沢山詰まっていると思います。

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雛祭(ひなまつり)は、人の穢(けが)れを人形に移して川に流した祓えの神事です。当社ではこの古儀にならい、申し込みの際に半紙で象(かたど)った形代(かたしろ)を雛人形に付け、託された思いを形代に負わせて浄火で焚き上げます。

伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会うため黄泉(よみ)の国を訪れた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、その変わり果てた姿に驚いて逃げ帰る際、醜女(しこめ)に追いかけられ、比良坂(ひらさか)に成っていた桃の実を3つ投げつけて難から逃れました。

「上巳」(じょうし)である雛祭は、「桃の節句」でもあります。氏子の花農家の方から戴いた桃が、雛人形を邪気から守ってくれています。

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今日は家屋2棟の解体安全祈願祭がありましたが、古い建物にも様々な生活の思いが蓄積されています。

感謝の祈りは、明日への更なる元気を後押ししてくれることでしょう。

禊と祓

2015年2月24日 火曜日

本日、企業の社長さんから「社員が子供の霊を見たのでお祓いをして欲しい」との電話を頂きました。

先ずはお話を具(つぶさ)に伺ってからとなりますが、神道は祓えに始まって祓えに終わるといわれるほど明浄を尊ぶ宗教です。

祓所 伊奈波神社(岐阜県)

祓所 伊奈波神社(岐阜県)

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)の汚穢(おわい)に触れたことから、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)において、水に入り穢(けが)れを流し去ったのが「禊祓」(みそぎはらい)の起源とされます。

禊岩 土佐神社(高知県)

禊岩 土佐神社(高知県)

禊は「身滌ぎ」「身削ぎ」とも表現され、本来の清浄な姿、人間生来の心身に戻ることにより、神と交流し、融和することができるのです。

よくないことや忘れたいことを〝水に流す〟といいますが、これは神道の考えである禊をする意と理解できるでしょう。

五十鈴川の御手洗場 神宮(三重県)

五十鈴川の御手洗場 神宮(三重県)

また、「祓え」は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原で行った乱暴な行為に対する償(つぐな)いとして、八百万神(やおよろずのかみ)が千座置戸(ちくらおきと)を負わせ、贖(あがな)わせたことが起源といわれます。

つまり、自分の犯した罪を償(つぐな)い、障りや災禍を除く(解除 げじょ)ことと考えられます。

水盤 神魂神社(島根県)

手水鉢 神魂神社(島根県)

神社には、湧き水や清水が流れていたり、手水鉢に水が引かれています。また、手水舎(てみずや)として覆屋が設けられていたりします。

参拝する際、手を洗い、口を漱(すす)ぐのも心身の罪穢を祓い除くためのものです。

手水舎(重要文化財) 東照宮(静岡県)

手水鉢(重要文化財) 久能山東照宮(静岡県)

大きな祭事の折には、臨時に手水桶(てみずおけ)、柄杓(ひしゃく)、水受、拭紙(ぬぐいがみ)、拭紙受などの手水具を弁備することもあります。

手拭(てふき)には布ではなく、白い半紙を用いるのは衛生上の配慮といえます。

松尾大社(京都府)

亀の水口 松尾大社(京都府)

祓詞(はらへことば)

掛(か)けまくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に 御禊(みそぎ)祓(はら)へ給(たま)ひし時に生(な)り坐(ま)せる祓戸大神等(はらへどのおおかみたち) 諸(もろもろ)の枉事(まがごと)罪穢(つみけが)れ有らむをば 祓へ給ひ清め給へと申すことを聞こし食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す

稲荷の信仰

2015年2月23日 月曜日

今年は初午が建国記念の日(11日)と重なったため、二の午の本日、企業の邸内社の稲荷祭や屋敷内のお稲荷さんで竣工式などがありました。

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暖かな春風に包まれて、気温は20度近くまで上がりました。

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奥手は開き始め、早生は満開の花びらが舞い、それぞれの庭に咲く梅の遅速を愛でることができました。

(ふた)もとのむめに遅速を愛すかな 蕪村

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稲荷社のご祭神は、宇加之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)や保食神(うけもちのかみ)、御食津神(みけつかみ)などで、「ウカ」「ウケ」「ケ」と食物を意味する神さまです。

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その信仰形態は食物や農耕、商業や工業、そして屋敷神など多様な広がりをもち、民衆信仰の最たるものといえます。

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社司社掌

2015年2月7日 土曜日

本日から兼務社で「祈年祭」(きねんさい・としごいのまつり)が始まり、午前は神明神社(伊勢原市笠窪)、午後は八幡神社(伊勢原市坪ノ内)において、氏子総代を始め関係者が参列のもと、五穀豊穣・諸業繁栄を祈りました。

祭祀(さいし)は神社祭式上、大祭式・中祭式・小祭式・諸式に区別されますが、例祭(当社は4月22日)、新嘗祭(にいなめさい・11月23日)と並んで祈年祭は大祭式にあたり、本殿の御扉(みとびら)開閉がある重きおまつりです。

さて、旧臘(きゅうろう=去年の12月)30日に帰幽(きゆう)し、年明け神葬祭(しんそうさい)奉仕をしたお宅で五十日祭が営まれました。

ご霊前には海幸・山幸(うみさち・やまさち)、そして生前好まれた甘き品々が横山の如く供えられ、家族・親族一人一人が玉串に心の丈(たけ)を尽くして拝礼しました。

自宅から列をなして奥津城(おくつき=墓所)に至り、代々の先祖が眠る墓地に安らかに埋葬されました。

五十日祭

五十日祭

古い墓石には、「社掌兼訓導〇〇〇〇祝老翁」とありました。

明治維新政府は神祇官(じんぎかん)を復興し、太政官布告(だじょうかんふこく)を以て神官職制を定め、その後も制度が整えられ、社司(しゃし)・社掌(しゃしょう)の名称ができました。社掌は府県社・郷社以下の職名で判任(はんにん)待遇の官吏(かんり)、地方長官による補命でした。

また、訓導(くんどう)は教部省・教導職の職制の一で、神道の布教にあたったものです。

拝殿 扁額

拝殿 扁額

国家管理下の神職とは、国家の定めた制度に基づき、神社の職員に任命され、官吏に準じて待遇を与えられ、国家の宗祀(または神明)に奉仕し、祭儀を掌(つかさど)り、庶務を管理し、祭儀及び庶務に従事する者をいいました。

これらは終戦により神祇院が廃止され、国家神道が終わるまで続きました。

因みに、当社拝殿に掲げられた扁額(へんがく)には「社司 永井健之輔」(先々代宮司)と記されています。

敬神の生活

2015年2月6日 金曜日

今朝一番に工務店の棟梁(とうりょう)がお越しになりました。

昨年の5月に地鎮祭を行った個人住宅の竣工が間近となり、新居におまつりする神棚4宇の注文を承りました。

養鶏業を営む施主さんの信仰は篤く、生活と神まつりが身近なものであることを感じます。

家庭のまつり

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世界に戦慄(せんりつ)が走ったイスラム国の蛮行(ばんこう)は、イスラム教の信仰とはかけ離れたテロ行為そのものであることは疑う余地もありません。

神道は日本人の生活文化から生まれ育ち、変遷してきた信仰であり、唯一神ではなく八百万(やおよろず)の神であり、教祖や開祖は存在せず、特定の教義・経典をもたず、布教活動を行わず、現世を重んじる宗教です。

古来より四季折々恵まれた風土の中で、自然とともに生き、花鳥風月、山川草木に神々を感じ、まつりを通してその恩恵を表してきました。

それ故に宗教と感じせしめるところがないことが大きな特徴です。

お参りはちょっとした安らぎや幸せをもたらすものであり、目に見えぬ大きな力に守られていると感じるものです。

わが心清め清めてよく見ればまことは我が心なり - 橘弘政・心の百首  -

立春望月

2015年2月4日 水曜日

節分を境に春の始まりである「立春」を迎え、暦の上では今日から本格的な一年が始動しました。

参拝者から「御朱印に立春大吉と記してください」というお願いもありました。

昨年の冬至は、旧暦11月1日と重なる「朔旦冬至」(さくたんとうじ)で、〝 日と月の蘇りの吉日 〟とブログ(12月22日)に記しましたが、昨日は節分と旧暦12月15日(十五夜)が重なり、本日は立春に満月が重なる「立春望月」(りっしゅんもちづき)でした。

〝 陰陽一致 〟というめでたい始まりに、良いことが起こる前兆、吉兆を祈るところです。

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さて、総代さんたちが節分祭の舞台解体に従事する最中、千葉県神社庁印旛支部御一行様が、遙々(はるばる)当社に詣で昇殿参拝されました。

限られた時間ながら、当社の由緒や歴史の一端についてお話しの後、神輿殿や博物館をご案内いたしました。

草枕(くさまくら) 旅ゆく君を幸(さき)くあれと 斎瓮(いわいべ)(す)ゑつ 我(あ)が床(とこ)の辺(へ) 『万葉集』

旅路にあるものは旅先で安全を祈り、留守のものは家の枕辺(まくらべ)に無事を祈る、今も昔も変わらない旅の心です。