本日は戌(いぬ)の日で、安産祈願や安産守を授かるお参りの方が目立ちました。
さて、伊勢原市景観まちづくり市民ワークショップの第3弾が実施され、禰宜がメンバーとして半日参加しました。比々多地区(8月2日)・大山地区(8月27日)に続き、今回は成瀬地区のまち歩き。
集合は、小田急線愛甲石田駅から徒歩3~4分の子安神社。石田郷の鎮守(旧村社)で、創祠は平安末期以前にさかのぼります。樹高45メートル・幹回り6.5メートル・樹齢500年の子安松がありましたが、惜しくも松食い虫により昭和40年に伐採され、現在は松の根が保存されています。
石田地区にはビルマの首相が農業視察に訪れ、その折に子安神社で太鼓などの披露をしたことが石碑に刻まれていました。
近くに竹林が木陰をつくる湧水池があり、ここで7月末に水神祭が行われています。この地区は、大正15年から昭和3年にかけて工事を施し、中津川から水を引く昭和用水が足下に流れ、農業に用いられています。
次に、子安神社の別当を務めた不動明王を本尊とする円光院(高野山真言宗)を参詣しました。平家物語で知られる木曾義仲を、近江の国栗津・深田に追い詰め、一矢で射止めた石田次郎為久の供養墓に手を合わせました。
高森に小金塚と呼ばれる小高い丘があり、小金神社が鎮座しています。ここは360度のパノラマで周囲を見渡せます。大正10年11月18日、関東の陸軍大演習で摂政官・東宮(後の昭和天皇)が御野立所とされたことが、県知事謹書の石碑に刻まれています。
歴史と文化を感じるまちなみから抜け出し、宅地開発により住宅地となったあかね台の永窪公園へ。地域住民のボランティアで、荒れた台地法面に手を入れ、竹林景観をつくりあげたそうです。ここは大山の絶景ポイントでもありました。
高森の住宅地から柘植地蔵(つげじぞう)を抜け、昨年作られた丸山城址公園へ。丸山城は平安末期から鎌倉時代に活躍した糟屋有季(かすやありすえ)の居跡として始まり、その後築城されたようです。昭和59・60年の調査で掘・土塁などの城郭遺構が確認されています。
大山の自然と対照的な第2東名の橋脚を眺めながら、最終地である高部屋神社へ。
ここは、醍醐天皇の延喜年間につくられた法制書「延喜式」に所載の神社で、「式内社」(しきないしゃ=延喜式内社・式社)という由緒正しき古社です。相模國には13社あり、伊勢原市には3社(大山阿夫利神社と当社・比々多神社)が登載されています。
今回の成瀬地区は範囲も広く、他にも景観の見所は沢山ありますが、行程3時間半近くが経過し、参加者が感想を述べて解散となりました。
本事業は伊勢原市都市部都市総務課によるものですが、歴史と文化、四季折々の自然に恵まれた伊勢原のまちづくりにあたり、目に見えない(触れにくい)景観を掘り出す作業が必要だと体感しました。
こちらのブログで 子安神社について 改めて確認させていただきました
丸山城址公園は 夏前に行きました
次回は 高部屋神社にお参りさせていただく予定です
式内社13社のうち 半分以上はお参りしました
あと 半分くらいも お参りしたいです
鈴木治美 様
古い拙ブログをご笑覧下さり恐縮です。
式内社につきましては同社名による「論社」が存在し、確定できないところもあります。
しかしながら、歴史と由緒を有する神社には他の神社とはまた違った味があるものです。
どうぞゆっくりお参り下さい。